第60話 夜の違和感


 ――長い、濃密な一日が終わった。


 院長用として割り当てられた部屋で、ユウキはベッドに横になっていた。一階にある角部屋で、他の子たちの部屋よりも造りがしっかりしている。

 最初は、こんな立派な部屋を使わせてもらっていいのかなと思ったが、もふもふ家族院の全員から「いいから」と言われて受け入れた。


 少しカーテンを開けて、ベッドから夜空を見上げる。

 窓越しにでも、澄み切った空気と溢れるばかりの星のきらめきがわかる。


 ベッドは大きく、そして快適だった。

 生前、慣れ親しんだ病室のベッドとはまた違う。全身をふんわりと受け止めてくれる。聖域ならではなのか、掛け布団も信じられないほど軽く、柔らかく、そして温かい。


 ぴょこっと、視界にケセランが現れた。枕元や掛け布団の上に、何匹か集まっている。ふわふわな身体を撫でると、彼らは気持ちよさそうに目を細めた。お礼のつもりなのか、小さく小さくせせらぎの音を真似てくれる。入眠に最適な、ヒーリング音楽だ。


 アオイが作ってくれた晩ご飯は美味しかった。生まれて初めて、何も気にせずお腹いっぱい食べられる。しかも、同じテーブルには賑やかで優しい仲間、家族たちが揃っているのだ。

 幸せなこと、この上ない。


「ふふっ」


 ユウキは思い出し笑いを漏らす。晩ご飯の後に『約束通り』、アオイから説教を受けたサキ。けれど、周りにレンやヒナタがいると、話があらぬ方向へと飛んでしまって、見ている側は面白かった。どうやらアオイもミオも、そのあたりは薄々予見していたようで、お説教はさほど間をかけずおしゃべりの時間に変わっていった。

 賑やかで、ほのぼの。

 こんな一日が過ごせるなんて、本当に、本当に夢のようだった。

 小さく寝返りをうつ。もう一度。さらに、もう一度。


「……ふう」


 それからユウキは、ベッドから起き上がった。

 よく眠れるようにと、アオイからハーブティーをもらっていたが、あまり効果はなさそうだった。

 不思議そうにユウキを見上げてくるふわもこケセランたち。ユウキは彼らに「ごめんね」と手を合わせた。


「けど、無理もないよね。あれだけ色んなことがあったんだから」


 全部、『生まれて初めて』の枕詞まくらことばがつきそうなほど、刺激的な出来事ばかり。

 幸せな興奮は、まだ心の奥底で灯り続けている。そんな気がした。


 しかし――。

 ベッドに腰掛けながら夜空を見上げたり、ケセランたちと戯れたりしながら、眠気が来るまで待っていたユウキは、次第にかすかな違和感を覚えるようになっていた。


 いっこうに、眠くならない。


 それどころか、夜中のあの気だるい疲れや、頭のぼんやり感もない。ほとんど日中と変わらないほどスッキリしている。

 かといって、「興奮して眠れない!」ともどこか違う。鼓動も呼吸も穏やかで、幸せな気持ちはあれど、心はとても凪いでいる。


 ユウキは生前、看護師さんから教わったことを思い出した。

 人は心が疲れると眠れないことがある。それは不安や悲しみといった負の感情だけでなく、すごく嬉しいときにも起こるのだそうだ。どちらの感情も、いつもと違いすぎて心が疲れてしまうらしい。

 ユウキは胸に手を置いた。そこにいるであろう、善き転生者の魂たちを意識する。


「ごめんね。皆も眠りたいよね」



 ――気にするな、少年。

 ――むしろ私たちが謝らないとね。



 日中よりもはっきりと聞こえるようになってきた、転生者たちの言葉。彼らかも気遣われていると感じ、ユウキは申し訳ない気持ちになった。


「よし。せっかくだから」


 ユウキはベッドから立ち上がると、寝間着から着替えた。

 上の階の皆を起こさないように、そっと部屋を出る。

 灯りの落とされたエントランスとリビングは、しんと静まりかえっていた。窓から差し込む月の光が、幻想的な空間を演出している。


 ケセランたちがついてきた。肩や頭の上に乗ってくる彼らに、ユウキは「しーっ」と指を立てた。

 音を立てないよう、慎重に玄関を開ける。


 ――眠くならないのなら、それまで夜の散歩をしよう。


 もふもふ家族院の外に出たユウキは、改めて夜空の星に圧倒された。


「こんなにはっきりと天の川が見られるなんて、初めてだよ……!」


 思わずつぶやいてから、慌てて口元を押さえる。

 家族院を振り返るが、誰かが起きてくる気配はなかった。ユウキはホッと息をつく。


 どうやら聖域内は、一日中過ごしやすい気温で保たれているらしい。暑くもなく、寒くもない。でもちゃんと夜の澄み切った空気は感じられる。そんな中を、ユウキはゆっくりと歩き出した。

 夜にベッドを抜け出す――そのワクワク感が、ユウキの違和感を塗りつぶしていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る