第58話 見習いたい精神
「天使様と?」
ミオが怪訝そうにする。
「どうしてそんなことを? あなたは直接、天使様とお話ししたと聞いているけれど」
「確かにそうだけど、あまり長い時間、お話ができたわけじゃないんだ。その点、ミオはずっとやり取りをしてきたと聞いたから」
「……天使様の言葉は魔法の手紙として届く。こちらから声が届けられるわけではないの」
そう言って、彼女は別の棚に手を伸ばす。他の書籍と違い、お手製感のある紙の束をミオは持ってきた。
「天使様はとても魔力が強いお方。私たちに悪影響を及ぼさないよう、天空から魔法の手紙を届けてくださる」
「へえ、空から。なんだか素敵だね」
「そんな軽いものではないわ」
ぴしゃりとミオは言った。
ユウキは紙の束に目を向けるが、ややあって眉根を寄せた。
一枚一枚、丁寧に書かれてはいる。だが、どうもミオの字にそっくりのようなのだ。
「これは私が書き写したもの。皆に天使様の言葉を正しく伝えるためにね」
「え? どういうこと?」
「さっきも言ったでしょ。天使様は魔力が強い。それは、あの方が書かれた手紙も同じ。天使様の手紙は特別製で、ある一定の時間を過ぎるとひとりでに消えてしまう仕組みになっている」
「じゃあ、この紙は全部、ミオが手紙を受け取って、それを書き写したものなんだ……」
「聖域での過ごし方、この地に暮らす生き物たちの生態、天候、その他もろもろ。生きていくために必要な情報ばかり。こんな地道で大事な仕事、他の子に任せられないでしょ」
ミオはそう言って、模写の束を再び棚に戻した。
ユウキは改めて実感した。初めてもふもふ家族院に来たとき、天使様が皆の前に姿を現さなかったのは、こういうことだったのだ。
ユウキは残念そうにつぶやく。
「天使様、もふもふ家族院の皆のことが大好きみたいなのに……ちょっと可哀想だな」
「私たちは間違いなく寵愛を受けている。そのことに感謝して過ごすのが、あの方のためになる。私はそう信じているわ」
眼鏡を一度外し、ハンカチで拭く。再び眼鏡姿になったミオは、窓の外を見た。
「おかげで、こうして危険な外の世界とかかわりを持たずに暮らしていけるのだから」
「……そういえば、ミオは聖域の外がどうなっているか知ってるの?」
「自分の目で見たことはないけれど、一応ね」
その口調からは、あまり外の世界について知りたくなさそうな雰囲気がにじんでいた。世界の歴史についてはあんなに熱心に語っていたのに。
不思議そうなユウキの視線に気づき、ミオは腕を組んだ。
「今、このときの外界は、私たちにとって脅威だわ。だって、私たちには身を守る術がないんですもの。もし外の世界の大人たちがやってきたと考えると、ぞっとする」
「言われてみれば、確かに……。ねえ、聖域の外から人が入ってくる可能性はあると思う?」
「正直、わからないわ」
ミオは首を振った。
「天使様の手紙やここの資料を見るに、外の人間は聖域の視認も聖域への侵入もできないようになっている。さらに聖域の近くでは、天使様から天啓を受けた一族が集落を作って、聖域を守っているという話もある。だから普通ならまず心配はいらないはずなんだけど」
「けど?」
「さっき見せた魔法書の中には、そういう結界を破る魔法も当然含まれている。天使様の創った聖域が破壊されるなんてにわかには信じられないけれど――可能性でいえば、ゼロじゃない」
「そう、なんだ」
「……ま、サキやレンなんかは、むしろ外の人間と会いたがってる節がある。私に言わせればとんでもないことだわ」
眼鏡の奥が鋭く光る。
「外の大人が善人である保証なんて、どこにもないんだから」
それは、暢気な家族に代わって自分が疑いを持たなければならないという、強い信念を感じる言葉だった。
ふたりの間に沈黙が降りる。
不安になったらしいケセランが、机の上でコロコロと転がり始めた。ユウキは安心させるように、ふわふわの身体を両手で包み込んだ。
「大丈夫だよ、ミオ」
え?――とミオが振り返る。ユウキは言った。
「もし外から人が来たときは、僕がなんとかする。だって僕は、もふもふ家族院の院長先生だから」
「ふぅん。で、どうやって?」
「まずは話し合いかな」
「あなたね……私が根拠のない安請け合いは好きじゃないの、薄々わかるでしょうよ」
「そうだね。だからミオ先生にも知恵を借りたい」
「……呆れた」
「ふふ。でもね。実際、僕たちは言うほど無力じゃないと思うよ」
ユウキは羽ペンを器用に指先で回してみせた。
「僕たちには味方がいる。聖域内の生き物たちと友好関係にあるんだ。相手はそれを知らないだろうし、天使様に守られていた未知の土地で、いきなり無茶はしないんじゃないかな。それに――」
ぴたり、と羽ペン回しを止める。
「魔法って、15歳未満は禁止なんでしょ? 僕たちが魔法を使うとは、相手は思わないはずだよ」
「……」
「……ミオ? どうしたの、ずっと黙って」
「いえ。ちょっと驚いただけ」
ミオは再び腕組みをした。彼女の目には驚きとともに、どこか親しげな色が浮かんでいた。
「新しい院長先生は、意外にたくましいのね」
「僕はひとりじゃないからね。こうして生きているだけでも、じゅうぶん」
そう答えると、ふいに笑い声が聞こえた。
ミオが、口元に手を当てて吹きだしていた。
「いいわね。その精神、見習わせてもらうわ」
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