第57話 ミオ先生の授業


「読み書きは……大丈夫なのよね?」

「うん。たぶん」


 そう言ってユウキは羽ペンを取る。こんな形の筆記用具なんて初めてだと思いながら、薄茶色の、何も書かれていない紙に本の内容を数行、写し取った。頭の中で理解できるし、理解できれば文字にするのも抵抗はなかった。

 ただ、ちょっと不思議な感覚だ。


 ユウキの斜めすぐ後ろに立ったミオはうなずいた。


「それじゃあ、この本から。この世界の成り立ちについて書かれているわ」


 そう言って、机上の本から分厚い一冊を取り出し、広げた。

 ユウキは眉を下げた。


「いきなり大物だね」

「歴史は面白いわよ。私は毎日読んでる。気晴らしにね」

「あはは……」


 一応、彼女からすれば取っつきやすい本を選んでくれたということなのだろう。ユウキは苦笑した。

 手垢の汚れがページの端に目立っていた。毎日読んでいるというミオの話は、本当なのだろう。

 ミオが熱中する歴史。ユウキが転生した、このレフセロスという世界の成り立ち。興味はある。


 とはいえ。

 びっしり文字列が並ぶ本を今から読み進めるのは一苦労だ。


 ちらりとミオ先生を見上げると、すでに彼女は本の中身も見ずに暗唱し始めている。教えられるのがよほど嬉しいのか、キラキラと目が輝いていた。


(ま、いいか)


 歴史書のページをめくりながら、大事だと思うところを紙にメモしていく。

 これが正しい勉強法なのかは不明だ。けれど、一緒にひとつのことを学んでいる気持ちにはなれた。

 ミオ先生、博識が災いしているのか口調が早い。ページをめくるのもユウキは必死である。


 そんな中、気になる記載を見つけた。


「ねえ、ミオ」

「――ここで大帝国は――って、なに? いま歴史の始点にして一大転換点の良いところなんだけど」

「ごめん。それは伝わってくるし興味深いんだけどさ。ここに魔法について記載があるじゃない」


 トントン、と紙面を指先で叩く。


「ここの記載のとおりなら、さ。大昔の魔法はもっと大規模で、もっと色んな種類があったことになるよね」

「よい視点だわ」


 ミオ先生、満足げにうなずく。

 いったん講義を止めた彼女は、壁面の本棚に向かった。高い位置の本を取ろうとして爪先立ちする。

 ユウキの方が少しだけ背が高い。ミオの代わりに手を伸ばし、「これ?」とたずねると、彼女は「そう。ありがと」と素直に答えた。

 黒地にくすんだ黄金色の紋様が描かれた、どことなく曰くありげな本である。


「これは昔の魔法について書かれた本よ」

「へえ――って、そんな気軽に見ていいの?」

「ダメに決まってるじゃない」


 表紙を見せるだけよ、とあっさりミオは言った。

 見た目だけでも圧を感じる装丁だ。しかも、胸の奥がざわざわしてくる。どうやら、善き転生者の魂がこの本に込められた魔力を感じ取っているらしい。


「この本には、かつての魔法がたくさん記載されている。中には、簡単に人の命を奪ったり、暮らしをダメしたりする黒魔法もある」

「そんな危ないもの……」

「ええ。本当に危険。これを読んでいるときは手が震えたわ。今でもたまに夢に出るくらい。だからね」


 なにを思ったか、ミオが魔法書を手渡してくる。恐る恐る手にすると、ずっしり重かった。手のひらに、なにかが蠢いているような錯覚を抱く。


「私はソラやサキに、安易に魔法を頼るような人間になって欲しくないの。特にサキ」

「……」

「力で言えば、きっとソラの方がずっと強いのだろうけど……あの子は魔法の怖さを自分で十分に理解しているみたいだし、きっと使い方を間違うことはないと思う。サキも……まあ、あの子の場合『知りたい』って感情の方が先だから、そこで収まっているうちはいい」


 もちろん、あなたも――とミオの怜悧な瞳が貫いた。


「でも、私はこの本の中身を知ってしまった。だから家族院に皆には、魔法使用にはかなりキツく言ってきた。これからもそれは変えない。だって、こんなにも怖ろしいものなんですもの」

「ミオ……」

「世の中にはまだまだ怖ろしいことがたくさんある。勉強すればするほど、それが増えていく。だから私は学ぶことを止めることはできない。しない。学び続けないと、家族を守れないのだから」


 口調は静か。けれど、強い決意を込めた言葉だった。

 ユウキは黒の魔法書の表面を撫でた。


「ミオは、ミオのやり方で家族院を守ってるんだね」

「そうよ。誰に理解されなくってもいい。これが私のやり方だから」

「……すごいよ。本当にすごい。ミオは強い。でもさ」


 ユウキは魔法書を返した。


「これからは、僕も一緒に学んでいきたい。知識で家族を守るのも、ひとりよりふたりの方がいいはずだよ。ダメかな?」

「ダメかなとか言ってるようじゃ、本当にダメ」


 ぴしゃりと言われる。


「あなたはこの家族院の院長になったんでしょう。だったら、『やる』の。少なくとも、私が持っている知識くらいはあなたも持ってなきゃダメ」

「うん。そうだね。やるよ、僕」


 迷いなくうなずくユウキ。ミオは腕を組み、少しだけ視線を外した。それから、いそいそと魔法書を元の位置に戻す。

 やっぱり手が届かないので、ユウキが手伝った。

 ミオがこほんと咳払いする。


「とりあえず、あなたの本気度はわかった。あまり初日から詰め込みすぎもどうかと思うから、いったんここまでにしてあげる」

「お腹すいてきたしね」

「レンみたいなこと言わない。……で、なにかあなたの方から聞きたいことはある? 簡単なことなら、すぐに答えてあげるわよ」


 きっと授業直後の先生ってこんな感じなんだろうなと思いながら、ユウキは考えた。

 ひとつ、思いつく。


「ミオは、天使様とどんな風にやり取りしてるの?」


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