第41話 再戦


 ヒナタの声に合わせ、後ろ足に力を込める。つま先がグッと地面を


 走り出す。


 最初の数歩は無我夢中だったため、意識しなかった。

 頬に風を感じる余裕が出てくると、ユウキの鼓動は激しく高鳴った。


 僕、走ってる……!!


 大きなストライドで、一歩一歩、跳ねるように地面を蹴る。自分の思い通りに身体が動く感動に、ユウキはひたすら、「もっと、もっと」と前に進んだ。

 息は、苦しい。だが自然と顔には笑みが浮かんだ。


「はっ、はっ……ははっ! これがっ、レンや君が見ている、景色っ、なんだね……っ!」


 走っている最中だというのに、我慢できず話しかける。子スライムは、ユウキの隣でぴったりと併走していた。


「みゅみゅっ(きみ、やるね)」

「もっと、走りたいな! この凄い景色、もっと見たい……!」

「みょみょみょ!(だったら、もっとバクハツ!)」


 スライムが前に出た。池の外周、最初のコーナーで鋭く内側に入り込む。一歩分、いや二歩分、後れを取った。


 すごいや、とユウキは心の中で喝采をあげる。

 スライム君も、レンも、こんな世界で競っていたんだ。すごい、すごいや!


 同時に思う。これほど高揚する時間を共有できる相手だからこそ、レンは、スライムに負けたくなかったのだろうと。

 家族に手を出されて、自分は黙って見過ごすような男ではない。なあなあで済ませるつもりはない。それを知ってほしいと。

 そのために勝つ。勝ちたかったのだ、と。


 ユウキは服の胸元を握った。痛いほど心臓が鼓動している。でもそれは苦しみではなく、力をユウキにくれる。

 今、ユウキは家族院の院長として走っている。レンの気持ちを背負って走っている。

 レンが、子スライム相手だからこそ負けたくなかったのならば。

 院長として、自分も負けるわけにはいかない。


「みょみょっ!?」


 スライムがうろたえた。一度は引き離したと思っていたユウキは、再びすぐ隣に並んだためだ。

 見上げてくるスライム。ユウキは荒い息づかいで眉根を寄せながらも、口の端を引き上げて応じた。


「負けられないよね!」

「みょみょみょん!(ぼくだって!)」


 風を全身で感じながら、走る。

 身体中の力を振り絞る快感、それを味わう。


 問題の場所が近づいてきた。レンがショートカットを試みた、水辺の岩だ。

 ユウキとスライムは、併走して岩を通り抜けていく。

 ちらとスライムがユウキを見上げた。前を向くユウキは気づかない。


「みょん、みょみょん!」


 スライムが声を上げた。だが、ユウキにはその内容がよく聞き取れない。


 小さくてやんちゃなスライムに視線を落とした、まさにそのとき。

 家族院の皆やスライムの家族たちがどよめいた。


 レンとの競争のときに通ったのと同じルート――すなわち、水上コースカットにスライムが動いたのだ。

 ユウキはほとりの草地を走ったまま。


 ――先のレースでは、レンの方が『ズル』を試みて、スライムがそれに応じた形。

 今回は、スライムの方から『ズル』を仕掛けてきた。前とまったく同じやり方で。


 どうして、とユウキは思った。

 正々堂々、コース上で競うことはできなかったのかと。

 そんなズルを繰り返してまで、君は勝ちたいのかと。


「――!」


 ユウキは目を見開いた。水面に飛び込む寸前、スライムがこちらに目配せをしてきたのだ。

 声はしない。だが、ユウキはスライムがこう言ったように感じた。


 きみなら、きっとズルに負けないよね。


 試されていると思った。本当にこのスライムは、レンとよく似ている。ふたり揃って、ユウキを試すような言動をする。

 無意識のうちに、胸元を押さえていた。負けられない。ふたりの期待に応えたい。


 ――その熱さ、買った。怖れず飛び込め、少年。


 頭の中に響く声。考える間もなく、ユウキは身を躍らせた。

 池の上。スライムとまったく同じコース。

 ヒナタたちが悲鳴を上げる。


 ユウキの足が水面に沈む寸前、彼の身体を白い魔力の輝きが包んだ。

 水が、ユウキの足を


 そのまま、蹴った。

 草地を蹴る以上の推進力を得て、ユウキは水面上を走る。いや、飛ぶ。

 ユウキの身体から溢れ出した魔力が、水面上へゴールまで一直線に続く道を描き出す。


 三歩目で、スライムを飛び越えた。その瞬間は、やけに時間がゆっくり流れたような気がした。


 スライムと目が合う。

 つぶらな黒い目が、「やるじゃん」と少しだけ緩んだように見えた。


 水の冷たさを切り裂いて――。


「ゴールッ!!」


 ユウキが今、先頭でヒナタの声を聞いた。


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