第37話 池一周徒競走


 このままでは当人たちが収まらない――ということで。

 レンと子スライムの希望通り、かけっこで勝敗を決することになった。

 ユウキはつぶやく。


「結局、どうして勝負するのかよくわからなかったな……」

「うーん、まあレンだし。ほら見て見てユウキ。ちょっと楽しそうだよ」


 釈然としない院長先生とは対照的に、ヒナタはすっかり成り行きを楽しんでいる。ソラはどこかハラハラした表情だ。チロロは保護者として監督はしなければと近くまで来ているが、実にリラックスした様子で横座りしている。


 いつの間にか、スライム一家と思しきぽよんぽよんした魔物たちが、水面に出てきて様子をうかがっていた。


 皆の視線は、池のほとりに注がれている。

 ユウキが地面に引いた線に、レンと子スライムのふたり(ひとりと一匹)が並んで、互いに視線の火花を散らしている。

 勝負の内容はかけっこ。この池を一周し、先にゴールした方の勝ちだ。


「ハーブをかけた追いかけっこじゃおくれを取ったが……今度はそうはいかねえぞ!」

「みょんみょん!(今度も負けないもんね!)」


 勇ましい決意表明。ユウキはなんとなく、かけっこ勝負になった事情を理解した。

 ソラにたずねる。


「ねえソラ。もしかしてレンたち、ハーブが取られたときにこの池まで競争したとか、ない?」

「よくわかったね」

「あはは……」


 ユウキは苦笑する。

 すると、隣に寝ているチロロがあくびをしながら言った。


『相変わらず子どもよのう。余にはなかなか理解しがたいぞ。異なる種族同士で争ってなんになるのか』

「まあ、遊びの一環なんだろうけど……チロロ、あんまり意地悪言わなくてもいいんじゃないかな。きっと本人たちは本気なんだよ」

『それはわかる。本気で遊ぶのも子どもの特権よ』


 そしてまたあくびをする。このまま眠ってしまいそうでユウキは不安になった。


 レンたちを見る。

 ユウキは少しだけ、口元をムズムズさせた。


 ――正直に言うと、羨ましいと思った。

 生前のことがあるからだ。

 院内をぐるっと一周するだけでも『一日、よく頑張った』と褒められるような生活。当然、思いっきり走ることも、ましてや誰かと競争することもなかった。


 相手は種族の違うスライムだけれど。

 今、この身体で一生懸命走ったら、どれほど気持ちいいだろう。


「おい、ユウキ院長!」


 物思いに沈みかけていたユウキの意識を、レンが呼び戻す。


「おまえがスタートの合図をしろ」

「構わないけど、僕でいいの?」

「まあ、おまえが話をまとめてくれたようなモンだからな。特別だぞ」


 レンが半眼のまま言う。ユウキはちょっと笑ってしまった。

 地面に引いた線の端に立つ。レンと子スライムが並び、スタートの合図を待つ。


 水辺の爽やかな空気を感じる。緊張と心配とワクワクが入り混じった雰囲気。固唾を呑む――とまでは言えない緩さを感じさせる。

 ユウキはふたりのため、お腹の底から声を絞り出した。


「よーい――スタートッ!!」


 ――ドンッ、と地面が鳴った気がした。

 緩かったはずの空気が、一気に持っていかれる。

 口元に草の端が飛んできて、ユウキは手で払った。瞬きする。あまりにも鋭い踏み込みで、地面の草が巻き上げられたのだ。


 レンたちの背中を目線で追いかける。スタート時点からもう距離が離れていた。


「レンたち、すごい。速い!」

「そりゃそうだよ」


 隣でしゃがんでいるヒナタが、穏やかに言った。


「レンは家族院の中で一番小柄だけど、足の速さとか身体の強さはイチバンだからね」

「驚いた……」


 映像で見た陸上の競技会さながらのスピードで、レンが疾走していく。後ろ姿しか見えないが、体幹がブレない綺麗な走りだ。僕は絶対真似できないなとユウキは思った。


 だが、子スライムも負けていない。

 人や獣でいう足がないにもかかわらず、すごい速度で走っている。まるで地面の上を滑っているような感じだ。


 お互い、一歩も譲らない。

 気がつけば、ユウキは叫んでいた。


「頑張れーっ!」

「レーンッ、ファイト、だよーっ!」


 ヒナタも応援に加勢してくれる。

 見ると、スライム一家もみょんみょんと騒ぎながら応援していた。あれはきょうだいだろうか。


「うおおおおおっ!」

「みょみょみょー!」


 池の向こう側に回っても、ユウキのところまでレンたちの叫び声が聞こえてくる。


 これ、本当にどっちが勝つのかわからないよ!


 ユウキが手に汗握っていると、ふと、後ろでぽつりとソラがつぶやいた。


「……レン、だいじょうぶかな。スライムくんには、が……」


 なんのことだろう、とユウキは振り返る。

 スライム一家がざわついたのは、ちょうどそのときだった。 

 

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