第38話 レース決着、しかし


 ユウキは慌ててレースに視線を戻す。

 池の外周コースも終盤、最後のコーナーに差し掛かるところだった。


 スライムが、ほんのわずか前に出たのである。


「みょんみょーん!」


 スライム一家の応援にも熱がこもる。

 一方の家族院側も、負けじと応援の声を張り上げた。


 仲間たちの声援に力をもらったのか、それとも――焦ったか。

 汗を噴き出しながら疾走するレンの表情が、一瞬だけ歪んだ。


 直後、彼はコース脇の岩の上に飛び乗った。池と地面との境に突き出たその岩を踏み台にして、勢いよく跳躍する。さらにせり出した木の枝を空中で引っ掴み、まるでターザンロープのように身を躍らせたのだ。


 流れるような動きにユウキは目を丸くする。

 レン、本当に身体能力がすごいんだ……!


 コーナーの一部を空中ショートカットするという荒技で、レンはスライムの前に出ることに成功した。それなりの高さから着地したにもかかわらず、速度をほとんど維持したまま再び走り出す。


 ヒナタとソラが湧いた。スライム一家が戸惑って騒然となる。


 ひとり、ユウキだけがその大技に眉をひそめた。ついさっきまで感動していたはずの表情が、曇る。

 ズルだと非難したいわけじゃない。


 レンの表情が――あまりにも必死だったからだ。


 レンの性格やこれまでの言動から考えれば、この会心の一手に得意満面だったことだろう。後ろを行くスライムに「どうだ!」と言わんばかりの態度を示しても不思議じゃない。

 なのに、今のレンには一切の余裕がない。ただただ必死にゴールを目指している。


 ユウキは思い出した。岩場からジャンプする直前と、着地した直後の表情を。


「レン……もしかして、どこか身体を痛めた……?」


 そのつぶやきは、レースに熱中する仲間たちの耳には届かない。


 レースは最終盤になる。

 レンの勢いは止まらない。差は少しずつ詰まっているが、そのまま押し切ると思われた。


「みょみょみょーん!!(ぼくだってぇーっ!!)」


 そのとき、スライムが気合いを入れるように大きな声を出した。

 そしてなんと――池の方にコースアウトしたのである。

 水の中に落ちる!


 ソラがつぶやいた。


「ああ……やっぱり。そっちに行くよね……」


 どういうことか――ユウキがたずねる前に、ソラの言葉の意味がわかった。


 スライムは池に突っ込むと、そのまま水上を疾走し始めたのだ。小さな身体で後方に水飛沫を残しながら、もの凄い速さでゴールへと向かう。


 レンが空中ショートカットなら、スライムは水上ショートカット。

 これがソラの不安視していた、スライムの力。水上疾走能力。

 池の中に住む生き物なのだから、確かに水の上を走る力があっても不思議じゃない。


「あっ!」


 ヒナタが口元に手を当て、小さく叫ぶ。

 ゴールを目と鼻の先にしたとき、レンの前にスライムが割り込んだのだ。レンの表情がさらに険しく歪む。


 状況は変わらなかった。

 そのままスライムがゴールを越える。数歩分遅れて、レンがゴールの線を越えた。


「みょみょみょみょーんっ!(やったやったやったぁー!)」

「ああちくしょう! ちくしょーっ!」


 喜びを爆発させて跳びはねるスライム。

 ゴールするなり、その場に大の字に寝転がって悔しがるレン。彼は汗だくだった。

 すぐに彼は上体を起こす。


「無効だ反則だやり直しだっ! オレは認めねえぞこの勝負!」

「みょみょみょっ!(そっちが先にズルしたんじゃないか!)」

「オレは負けてねえっ。負けてねえったら負けてねえ!」


 わめくふたり。お互いの健闘をたたえ合う空気にはほど遠かった。

 ヒナタが拍手しようかどうか迷っている。


「ねえ、これって慰めた方がいいのかな? いい勝負だったよって言ってあげた方がいい?」

「たぶんだけど……火に油だと思うな、ボク……」


 ソラが控えめに意見を言った。

 保護者のチロロとお父さんスライムが、大きなため息をついている。お互いが納得しない状況、どうしたものかと考えているようだ。

 レースは終わったのに、微妙な空気になる池のほとり。


 そんな中、ユウキはレンに歩み寄った。声をかける。


「お疲れさま、レン」

「オレは負けてねえぞっ!」

「レンの気持ちはわかったよ。でも僕が言いたいのはさ」


 ちらとやんちゃ少年の足首を見る。レンはさっきからずっと威勢良くわめいているが、立ち上がろうとはしなかった。


「怪我をするくらいなら、無理をして欲しくなかったなってこと」

「な……!」

「足。痛めたんでしょ?」

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