第四章 水の盟約

三十五.夜の帳に隠れて

 夜を迎えて、泰輝は目を覚まさないレディを陽向に預けると疲れた意識に鞭を入れ損傷した亜夏の点検に入る。切り裂かれた右肩は機神経質が完全に寸断されているか伸び切って混線しており、応急処置すらままならない有様であった。また、斧を吹き飛ばした瞬間に過負荷がかかったのか焼け焦げている周辺部品も多い。

 続けて左脚の状況を見る。こちらは目に見える断線箇所が少なくその部分を修理すれば稼働に問題はなさそうに見えた。右肩の修復に合わせて点検を入れる必要はあるであろうが、とりあえずは動かせそうな見込みが立ったことに泰輝は安堵の吐息を漏らす。


「やれやれ、命を長らえただけでも儲けものか……この借りは高くつきそうだ」


 佐倉喜央斎のしわがれ声を思い浮かべながら点検を終えると、焚火を作って眠り続ける義娘を見守っている陽向の下へと歩み寄る。


「泰輝様、点検の方は終えられましたか?」

「ああ、何とかなりそうだ。お前こそご苦労だったな陽向」

「そのようなこと……泰輝様こそ戦いの終わりからお休みもないままでお疲れではありませぬか?」


 陽向はそう気遣う。国同士の戦場ならば支援もある程度まで整った中で戦え操縦士も戦いのみに専念できるが、このような旅路の途中では戦いのあとも己一人で全てを済まさなねばならなかった。これまではその負担をレディの存在が軽減していてくれたものの、今回はそれも期待できそうにない。身勝手な振る舞いもあったが、それでもここまで厳しい戦いを切り抜けて来られたのは彼女の力があってこそなのだと痛感させられる。


「そもそもの発端がこの娘にあるとは言え……」

「いや、違うな。発端は別にあるだろう」

「と、言いますと?」

「喜央斎は何故あの場に戻って来た? 奴は言っていた『七色を黒荘には渡せぬ』と」


 時の力の暴走によって異なる世へと飛ばされたはずの喜央斎たちが自ら告げた「五年くらい」の時間をかけて当時の時間に誤差を伴いながらも舞い戻り、わざわざ自分たちの窮地を救ったのには天海の関与があったのではないか、と泰輝は推測する。


「例えば、今このときに紫建の手が回らないのは喜央斎めが何かしているせいではないのか?」

「考えすぎではありませぬか」

「奴らは時間を超えられる。それを白華が黙っているとも思えぬな」


 元々白華は喜央斎を紫建に追いやることで自分たちにとっての不安定要素を排除していたふしがあるとも考えられる。黒荘が空間を操作する術を既に完成させていたにも関わらずに泳がせているからには、白華も同等以上の技術を有していると見て良い。そこに白華とも黒荘とも与しない喜央斎が時間を超えるという技術を得て帰還したことで、紫建が白華寄りの態度を変える可能性も生まれた。白華や黒荘がそれを座視しているとも思えず、情勢は大きく動き出している。


「私たちは、どうなるのでありましょうか?」

「どうもならぬよ。今は蚊帳の外であったほうが都合が良い」


 遠くを見つめるような陽向の嘆息に、泰輝は気楽に笑ってみせた。情勢が新たな動きを見せ始める中で、戦いに敗れたことが必ずしも負債になるだけとは限らない。


「損をして得を取る、と?」

「そういうことだ。どのみち娘が目覚めぬことにはおちおち戦うこともできぬ。今は一時の休息を楽しもうではないか」


 明朝から修理に入ろう、と告げて泰輝はようやく目を閉じる。一日の終わりが一週間のそれと同じように感じられた。



 同じ頃、白華の中央である董源京とうげんきょうでは家宰の越智おち博邦ひろくにの招集による緊急の会議が行われている。


「紫建と水盟の境で、空間と時流の乱れが観測されたとの報告は真でありましょうか?」

「間違いはない。紫建からの急使の報告とも一致する」


 内務参与である柴原しばはら修三おさみの問いに越智は厳しい表情で頷いた。空間の乱れはこれまでも自然に発生する例が見られており、彼らが緊急の問題にするような案件とは言い難い。ただし、その方面に天海からの使者が向かっていなければ、である。更に厄介なことに黒荘と並んで頭痛の種となっていた問題児が絡んでいるとの報告も入っていることが事態を複雑にしていた。


「黒荘めが。天海への牽制として泳がせておいたのが仇となったか」

「しかもそこにあの喜央斎までが絡んでいるとなると」

「天海の使者の生死は?」

「紫建は何事も無く無事であると申しているが当てにならぬ。喜央斎の件についても知らぬ存ぜぬ、と言うばかりでな」


 越智は直前に会っていた紫建の使者の顔を思い浮かべて不快感を隠さない。彼らが全てを怠りなく告げているとは思えず、かと言って『何が起きても天海の使者に手を出さぬように』と念を押していた側からそれを必要以上に深掘りしては白華の体面を損なうことになる。

 北面守護職ほくめんしゅごしき猪狩いかり隆重たかしげが論点を質すために口を開いた。


「空間の異常は黒荘の手によるものとしても、時流の乱れについては喜央斎が?」

「おそらくは……彼奴めが一番執着を示しておった七素の要であるからな」

「天海の使者が力を示したいのなら、早々にしていようし……何れにせよ厄介なことだ」


 やりとりを聞いていた家臣団のざわめきが一応の集束を示し始めたところで話は別の方向へと向いた。


「して、越智殿。上様にはどうお伝えするつもりか」

「事態を隠すわけにもいかぬが、使者の安否が不明であるなどと言えるはずもあるまい」

「しかし、手を出すなという勅命が破られたと知れれば……」

「滅多なことを申すでない! 我らから危険を誘致したのではないのだ。道中にて事故が起き、事態の確認を進めていると上様にはお伝えいたす」


 越智は家宰としての責任は果たす、と続けて場を収め会議は散会となる。全員が去ったことを確認した彼が面会の取次を申し出るために席を離れようとしたところで声がかけられた。


「博邦、夜分に密談とは感心せぬな……」

「……! う、上様!」


 広間の襖越しから主君に声をかけられた越智は仰天して床に伏す。その様子を感じとったのか、相手は小さく笑い声を漏らした。


「案するな。紫建の一件については、私にも理解できている……どうやら悪戯が過ぎたようですね」

「申し訳ございませぬ。我らが至らぬばかりに……!」

「構わぬ。元はといえば、この私の親不孝に原因があるのですから、多少の不手際があろうとそなた達の問題ではありません」


 ですが、と言葉を置いてしばらく間を取った声の主はそれまでの柔らかな態度とは一転して強い口調で家宰に告げる。


「これ以上の放置は我らの愛する不二の地に良からぬ影響を与えかねない。白華の主としてそなたに命ずる……万難を排し、天海の使者を当地へ迎えよ」

「は、はっ!」

「必要であれば我がしるしを用いても良い。私を失望させぬよう、励め」


 越智が体を震わせながら下がっていった後、声の主は傍らに控える近侍に語りかけた。


「少し強く言い過ぎたであろうか?」

「博邦殿にはあれくらい申しても宜しいかと」

「ふむ、あれも忠誠篤いゆえ、もう少し肩肘張らずに務めてもらいたいものよの……どうも男どもは忙しくて成らぬ」

「上様、お戯れを口になさるのはほどほどに……」


 近侍の注意に静かに頷くと、主は改めて寝所へと下がっていく。


「あまり心配をさせるな。早く顔を見せておくれ……我が妹よ」


 主の言葉を近侍は流して聞かず、後には沈黙だけが残された。

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