大河ルルリスと都市国家(五)

「ま、待ってください!」


 私は慌てて飲んだくれエブリウスさんの服の裾を掴んだ。無茶だ、いくら師匠でも勝てるような相手ではない。


「おい、邪魔すんじゃねえ」


「だ、駄目です。勝てるわけありません、だってあの黒の勇者アトムールさんですよ?」


「わかってんじゃねえか。一対一サシであいつに勝てる奴なんざいねえよ」


「だったら……」


「いいか、勝てなくても負けなきゃいい。何なら負けても生き残りゃいい。黙って見とけ」


 言い捨てて歩みを進める師匠。この人を行かせていいのだろうか、まだ体調が戻りきっていないというのに、相手はあの黒の勇者アトムールさんだというのに。

 でも、と自分に言い聞かせる。この人は自分を見失うことがない、敵を見誤ることもない。自分の体調も相手の実力も承知の上で「黙って見とけ」と言ったのだ、ならば私はそれを信じるしかない。




 黒髪に黒の金属鎧、雄大な体躯。黒く塗られた鞘から大剣を引き抜いたのは黒の勇者アトムール、人類の希望とまで称される至高の勇者。


 うらぶれた風貌ふうぼうに使い込まれた革鎧、これだけは丁寧に手入れが施された直剣を提げるのは飲んだくれエブリウス、私が贔屓目ひいきめに見ても得体えたいの知れないただの勇者。


 打ち交わした初撃の音は意外と小さなものだった。おそらくは力勝負を挑んだ黒の勇者アトムールさんに対してまともに受け止めなかったのだろう、軽く身をかわして位置を入れ替える。

 だがそれを無条件に許すような相手ではない。黒い大剣が暴風のごときうなりを上げて迫り、たまらず後退する飲んだくれエブリウスさん。その軍靴が湿った音を立てて湿地の泥にまり、見ているだけの私の背中に冷汗が噴き出す。


 だがこれは誘いの隙だった。追い立てる黒の勇者アトムールさんが足首まで泥に沈み、大きく均衡バランスを崩す。この機を逃さず放たれる飲んだくれエブリウスさんの連撃、防御もままならず黒鎧を削られ、しまいには蹴撃を受けてよろめく。泥の中に片膝をつく黒き英雄の姿に、私ばかりか両軍の兵士までもが息を呑んで思わぬ伏兵を見つめた。


「ようこそ俺の戦場へ、黒の勇者アトムール




 軽装で身軽な飲んだくれエブリウスさんが湿地帯を駆け回り、金属鎧を着込んだ黒の勇者アトムールさんの前後左右から斬りつける。わざとらしく泥を蹴り上げ、それが目に入らぬよう片手を掲げたところに連撃を浴びせる。間合いの外から投剣ティレットを投げつける。卑劣で執拗で、およそ勇者の名に相応ふさわしくない戦いぶりに敵軍から非難の声が上がるが、意に介した様子もない。


 雄大な体格に金属鎧、長さも厚みも通常のものとは比較にならない大剣、だがそれらがかせとなって黒の勇者アトムールさんの身を縛る。湿地に足を取られ、体の均衡を崩し、小賢こざかしく動き回る敵に翻弄されるばかりだ。

 一方の飲んだくれエブリウスさんは人の悪い笑いを浮かべ、つかず離れずの距離を保って嫌がらせの攻撃に終始している。本来ならばまともに打ち合えないほどの実力差があるのだろうが、地形を利用し、相手の重装備を逆手に取る抜け目の無さで優位に立っている。


 だがそれも薄氷の上での優勢。互いの剣を打ち交わすことしばし、先程とは逆に飲んだくれエブリウスさんが誘いの隙に乗ってしまった。背後からの斬撃に素早く反応した黒の勇者アトムールさんが大きく泥を跳ね上げつつ大胆に間合いを詰めてきて、大剣の暴風域に巻き込まれかけて危うく逃れる。


「おっとぉ! こいつはやべえ」


「……」


 泥濘でいねいの中で激しく数十合を打ち交わしたというのに、黒の勇者アトムールさんは僅かに呼吸を乱しただけ。

 一方飲んだくれエブリウスさんは額に汗を浮かべ、呼吸するたびに肩が上下している。泥の中を動き回ったとはいえ、五十キロを一気に駆け通す師匠がこれほど疲労するわけがない。神託装具エリシオン代償デメリットのためかと嫌な予感に胸を掴まれ、戦いを止めるため声を上げようとした時。


わりい、もう疲れたわ。また今度にしようぜ」


「……いいだろう」




 疲労をにじませ、全身を汗と泥にまみれさせながらも師匠は私の元に帰って来た。言葉通りあの黒の勇者アトムールを敵に回して生き残ったのだ、他の誰にこんな芸当ができようかと尊敬の念を新たにする。

 リージュやエクトール君のようなきらめく才能を持たない私にとって、この人は私の理想だ。小狡こずる小賢こざかしく不敵に大胆に、誰と戦っても負けない、持たざる者の到達点。


「やれやれ、若え奴の相手は大変だぜ。葡萄酒をくれ」


「はい、お水です」


「……お前、俺の話聞いてたか?」


「はい。体はお酒より水が欲しいって言ってます」


 でも「尊敬してます!」などとは絶対に言わない。悪態をつかれるか照れ隠しにひっぱたかれるか、いずれにしてもろくな事にならないだろうから。




 コステア城塞に戻った私達はヘンリー公爵に復命。私室に通された私達は酒棚ボトルラックから取り出された麦溜ウィスキーを前に客椅子に座り、ねぎらいの言葉を受けた。


 彼によると隣国のミゼル伯は何かにつけてコタール王国に難癖なんくせをつけたがるのだが、いちいち駆り出される黒の勇者アトムールはそれを馬鹿馬鹿しいと思っている。それでも勇者である以上は従わなければならず、消極的な戦いに終始しては撤退の理由を求めているのだという。


「ミゼル伯国の威を示すべく出撃したものの偶然にも勇者飲んだくれエブリウスと遭遇、交戦するも引き分けた、という言い訳が欲しかったのさ、あいつは」


「まったくあの野郎、こっちは命懸けだってのに楽しそうにしやがって」


「実際楽しみにしてるだろうさ。黒の勇者アトムールと打ち合える奴なんてそうはいないからな」


「自前で腕の立つ奴を用意しろよ。タダ酒くらいじゃ割に合わねえ」


「悪かったよ、まずは飲んでくれ。ゆっくり話を聞かせてもらうよ」


 だがいかにも熟成されたと知れる琥珀色の液体をあおり、満足そうにそれを陽にかざす飲んだくれエブリウスさんの様子を見るに、十分な対価を受け取ったつもりでいるのだろう。


 そして何もかも承知したように含み笑いを浮かべるヘンリー公爵、この人はおそらく国内の悪評を一身に集めることで弟を助けているのに違いない。城内の建造物を見る限り建築家志望というのも嘘ではないのだろうが、それを理由に国境の城で難局に当たる立場を楽しんでさえいるように見える。どうやらこの人も師匠に劣らずしたたかなようだ。


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