大河ルルリスと都市国家(六)

 コタール王国に続いて訪れたのは、つい先日揉めたばかりのミゼル伯国。国境紛争に首を突っ込んでしまった私達が訪問して良いのだろうかと不安になったものだが、飲んだくれエブリウスさんは何も心配いらないと言う。


「奴らは俺達が運んでくる食料が頼りなんだ、へそを曲げられて帰られちゃかなわねえだろ。食い物を押さえてるってのはそれだけで強えんだよ」


 彼の言った通り十五そうの輸送船団は何事もなく停泊が認められ、残った積荷の全てを運河沿いの倉庫に収めて、私達は半数の兵士さん達とともに上陸。盗難や奇襲に対する備えとして船に半数の兵を残す『半舷はんげん上陸』という言葉はここで教えられた。




 ミゼルは良く言えば歴史を感じさせる、悪く言えば古臭い都市国家で、町を囲む城壁は高く分厚いものの劣化が進んでひび割れが目立つ。それは水路や建物に関しても同じで、教会や邸宅などの大きな建物には補修の跡があったり若干傾いていたりする。

 その中で最も歴史のありそうな王城に、私達が招かれることはなかった。もともとイスマール侯国とこのミゼル伯国との友好度は高いものではなく、食料輸送という本来の目的を果たしてもらえれば良しという姿勢が透けて見えるようだ。


「さて、まずは人口構成っと……」


 私はミゼルの町で一人、調査項目を頭に浮かべてつぶやいた。

 飲んだくれエブリウスさんはといえば市街地に入るなり、「たまには一人で仕事しろ」と言ってふらりと姿を消してしまった。あの人は遊んでいるかと思えば噂話を集めていたり、やっぱり遊んでいたりするので今回はどちらなのかわからない。ともかくミゼル伯国の実態調査は私が進めなければならないという事だ。


 ミゼルは人口四十万を数える町で、都市としての規模はロッドベリーをはるかに凌駕りょうがする。南方都市国家の中でも有力な町の一つに数えられ優れた建築技術を有するとされていたが、近年では都市の老朽化と住民の高齢化が進み国力は衰えつつあるという。

 確かにこうして実際にひび割れた建物や道行く人々を目にすると、それら情報の真偽を肌で感じることができるようだ。


「次は景況感……」


 屋台で昼食を摂りつつご主人に話しかけ、生鮮食料を売る店で鮮度や価格を確認し、市場で買い物をして品揃えや物価の動き、全体の景気を探る。

 普段から一人で暮らしている私はそのあたりの価格変動に敏感なつもりだけれど、普段気にしていない建築資材や調度品、美術品の質や相場に至っては全くわからない。私にはこのあたりの知識が不足しているのだろう、侯国勇者に求められるものは武力だけではないのだと思うと頭が痛くなってくる。


「ううう、そして民度……?」


 民度、つまり住民の精神的な成熟具合。ここに住む人々が押しなべて親切なのか冷たいのか、余裕があるのかすさんでいるのか、犯罪が起きやすい下地があるのかどうか、そんなものを一体どうやって調べろというのだろうか。

 これはもう師匠に聞くしかない、でもあの人は質問をすると必ず「自分で考えてから聞きやがれ」と言う。私なりに考えて行動して答えを出せば何が間違っていたのか教えてくれる、だが何もせずに答えを欲しがると何も教えてくれない人なのだ。民度とやらを調べるにはどうすれば良いのか……




 悩んだ挙句に私が出した答えは、『治安の悪そうな場所を見る』。


 ミゼルの町は一番高い丘の上に王城があり、その下に大きな邸宅が建ち並び、さらに下には一般住宅や集合住宅、一番下には廃墟のような建物が残されており、しかもそれぞれが城壁で区切られて門をくぐらなければ行き来できないようになっている。これがそのまま貧富の差を表しているのだろうと見て取った私は、敢えてその最下層であろう場所に足を踏み入れた。


 もう使われていないであろう集合住宅、陽の差さない路地、それらを縫ってぼろぼろの服を着た子供が裸足で駆け回る。ロッドベリー市にもあった貧困スラム街というものだが、ここの建物はどれも背が高く四階から五階建てほどもあるだろう。これはコタールと違って地盤が良いのか、それとも建築技術が進んでいるのか、いずれにしても都市国家ミゼルが繁栄していた頃の遺産と言って良いだろう。そのように特徴的な街路を歩いていると、不意に後ろから声を掛けられた。


「ねえ。お姉さん、勇者なの?」


 幼さの残る無邪気そうな声。振り返ってみるとその声の印象通りの子供が立っていた、十歳に満たないであろう女の子。肌も髪も元の色がわからないほど薄汚れており、靴も履いていない。


「そうだよ。どうしてわかったの?」


 私は腰を屈めて女の子と視線の高さを合わせた。そういえば前にもこんなことがあった、確か霧の町カンドレバで男の子に声を掛けられたのだ。その時はイスマール侯国の勇者であることを示す銀のプレートを首に掛けていたものだが、異国の地でこれは意味を為さないはずだ。


「イスマール侯国の船から食料と一緒に下りてきたのを見たもの。護衛の勇者だって、すぐにわかったよ」


 ずいぶんと観察されていたんだなと感心する。考えてみれば毎年こうして食料を届けているのだ、輸送隊の人達を相手に商売をしたりする人もいるのだろう、ならばすぐに見分けられても仕方がない。私はそう納得してしまった、それ以上深く考えることをせずに。


「路地の奥に妖魔が棲みついて困ってるの。勇者なら退治してくれない?」


「妖魔? どんな奴だった?」


「ええとね……」


 勇者といっても私の実力は下の下だ、強力な妖魔に無策で挑んでは勝ち目が無い。その妖魔とやらの特徴を聞き出そうとしたのだがどうもこの子の話は要領を得ず、仕方がないので場所だけでも案内してもらおうと路地の奥に向かった。路地は奥に分け入るに従って狭く複雑になり、背の高い廃墟のために薄暗くなってくる。女の子の案内のままにそこを抜けてようやく少し広い場所に出たその瞬間、どこから現れたものか何人もの子供達が群がってきた。


「へっ、間抜けな勇者だぜ」


 気が付けばポケットに入れてあった財布が無い、腰に提げていた剣も無い。さすがに服までは取られなかったものの、私は間抜けにもすっかり身ぐるみ剥がされてしまった!


 一斉に逃げ散る子供達、いつの間にかさっきの女の子の姿も無い。私は頭にくるよりもまず驚いたけれど、途端に冷静になった。複数の目標を一度に追うことはできない、どの子を追いかけるべきか?

 すぐに答えは出た。財布にそれなりのお金は入っていたけれど、半分以上は船の自室に残してあるからまだ良しとしよう。それよりもまず剣だ。いや、剣自体は安物の量産品だが、その鞘に取り付けてあるリージュとお揃いの飾り紐ストラップ。あれだけは絶対に取り返さなければならない。


 子供達の中から剣を持って逃げる一人に狙いを定め、湿り気の残る土を蹴って一気に加速。すぐに捕まえられるかに見えたが、その子は私の手が触れる寸前、真上に向かって剣を放り投げた。もう使われていないと思われる半ば廃墟と化した集合住宅の二階でそれを受け取る別の男の子、にやりと笑うその顔を見上げて告げる。


「それでうまくやったつもり? お姉ちゃん本気出しちゃうからね!」


 もう大人気おとなげないなどと言ってはいられない。路地裏に積み上げられた木箱に飛び乗り、体を反転させて崩れかけた石塀に飛び移り、さらに反転させつつ二階の手摺てすりに飛びついて体を跳ね上げる。宙で一回転して廃墟の踊り場に降り立つと、剣を掴んだ子は顔を引きつらせて悲鳴を上げた。


「なんだこいつ! 化け猫ラムフェレスかよ!」


「そうだよ! 食べられたくなかったら剣を離しなさい!」


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