あの日の勇者様と罪人の道(三)

 陽が上り、私がまた街道の先を訪れた時には、もう彼は額に汗を浮かべて土を運んでいた。淡々と、黙々と。昨日は子供達にはやし立てられていたようだが、今日はどうやら様子が違った。


「おはよう、トニオさん。今日も頑張ってますね」


「そろそろ寒くなってきたねえ。旦那の使い古しの上着を持ってきたからどうぞ」


 道行く人が挨拶を交わし、感謝の言葉を伝えて歩き去っていく。しばらくすると商人風の男が訪れ、騾馬らばが引く荷車から何やら荷物を下ろし始めた。真新しい円匙スコップまさかり、材木を転がすための道具、木製の車輪がついた手押し車、それから衣服に靴に食料。丸々とした体型の商人さんはロッドベリーとアルカディアを定期的に往復しているのだという。


「この街道が整備されれば我々は助かります。これはそのための投資です」


 午後には農作業を終えたご夫婦が作業を手伝い、夕刻を迎える頃には一人、また一人と増え、夕食を囲んで帰っていった。彼は決して一人ではなく、勇者でこそなかったけれど、もう『こそ泥』でもない。そう思った。




 あの日の真実を知った私はイセルバードに戻り、さっそくこの件を報告するとともに街道の整備を願い出た。きっと話のわかる侯爵様なら手を貸してくれる、そう思ったのだけれど……


「トニオさんはもうではありません。街道を整備すれば治安が良くなります、たくさんの人が喜びます。侯国が援助する価値があるはずです」


 私としては理屈が通っていると思っていたのに、話を聞いたパニエさんは良い顔をしなかった。


「その者は罪を犯し、いまだ裁かれていません。そのような者を国が援助などできるはずがありません」


「そんなあ! だって、トニオさんはもう十分反省して、みんなのためにって……」


「殺された子供の両親がそう言いましたか? トニオという者は出頭して罪をつぐないましたか?」


「それは……」


「いくら善行を積もうと、それはその者の自己満足です。このような行いを認めてしまっては法というものの意味がありません」


 いくら私のおつむでもわかる、この人の言う通りだ。気持ちの上では全く納得していないけれど、あまりの正論にぐうのも出ない。

 でもいまだに自分を責め続けているトニオさんが気の毒で、何の役にも立てない自分が悔しくて、でも殺された子供やそのご両親のことを思うと胸が苦しくて、なんだか目に涙がたまってきた。やっぱり私はトニオさんを捕まえて侯国に引き渡すべきなのだろうか、あの人を死刑台に送ることが恩返しになってしまうのだろうか。


 その私のあまりに情けない顔に同情したのか、パニエさんは仕方ないといった表情で溜息ためいきをついた。


「……そのトニオとやらに物資を届けた商人は、私のような体型ではありませんでしたか?」


「あれ? どうして知ってるんですか?」


「水路の補修の際に余った工具や資材を処分するよう、最近ある商人に命じました。どのように処分したかまでは私の知るところではありません」


「え? ええと、ええと……それじゃあ?」


「侯国の立場は先程申した通りです。あとはご自分で考えなさい」


「じゃああの人はパニエさんが手配してくれたんですね!? なあんだ、最初から言ってくれればいいのに!」


「ちょっとあなたは! 私の言葉の意味が通じていますか!?」




 さっきまで半泣きだった私は大理石の床にかかとを鳴らしつつ、窓から吹き込む秋風にも気づかずに考え込んだ。後から思い出すと、廊下の角から出てきた侍女のクララに「リナちゃんどうしたの?」と言われたかもしれない。

 パニエさんは飲んだくれエブリウスさんと同じように、自分で考えろと言った。どうすればトニオさんのためになるだろうか、私なりに頭をひねって考えた。


 お金を渡す? 駄目だ、きっと受け取ってくれない。それに私一人が出せるお金などたかが知れている。


 お手伝いに行く? 違う、私一人が手伝ったところでたいして役には立たない。それに自分の仕事を投げ出して行っても喜んではくれないだろう。


 そうじゃない、そうじゃないんだ。そんな直接的なことじゃなくて、もっとこう、あの人が少しでも救われるような……そうだ、きっと私が私らしく生きて、あのとき救った小さな命が無駄ではなかったと思えるようになることが一番の恩返しに違いない。

 そう思った私は慣れない手紙を書いた。いつもリージュや行政府の職員さんが困ったような顔をする下手くそな字だけれど、一生懸命に心を込めて。




『――――――トニオさんは勇者ではなかったけれど、私の恩人には違いありません。だからどうか、これ以上自分を責めないでください。必ずまた会いに行きます、それまでお元気で」




 色とりどりの石畳で描かれた幾何学きかがく模様、両脇には等間隔に植えられた銀杏いちょうの並木。旅人が、農夫が、商人が、荷馬車が、騾馬らばが、狐や狸までもが今日もその上を歩く。


 国境の町ソルベからアルカディア、そしてロッドベリーへと続く百二十キロ余りのこの街道は、『罪人つみびとの道』という物騒な名前に反して侯国で最も美しい街道であるという。


 ただの細道だったこの街道を作った人のことは、侯国の公式記録には残されていない。だがたった一人の罪人が作り始めたその道は多くの人々に利用され、彼の死後もその意志を継ぐ者達によってついに完成の日を見たことは公然の秘密として語り継がれている。




 街道を見下ろす小高い丘の上、小さな花を捧げられた小さなが今日も多くの旅人を見守っている。


 でもそれは私もトニオさんもいなくなった、ずっと後のお話。

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