大討伐と二度目の別離(四)

「内なる魔素マナよ、猛り狂う紅蓮の炎となりて渦巻け! 【火炎嵐ファイアーストーム】!」


 魔軍モンストルの中央に炎が渦巻いた。それは小鬼ゴブリンの表皮を焼き、豚鬼オークの粗末な腰巻を燃え上がらせ、悲鳴とともに獣肉を焼くような悪臭がたちこめる。

 これはリージュの範囲魔法、だが彼女の力からすればやや効果が薄いように見える。もし魔法の威力を軽減する障壁が展開されていたとすれば、あの狂皇子ルナティクスは魔術師としてもあなどれない実力を有していることになる。


 いずれにしてもリージュの魔法をもってしても致命的な損害を与えるには至らず、両軍は正面から激突した。

 神聖勇者セイクリッドの一隊は二十人ほどとはいえ、揃いの金属鎧と大盾で身を固めた重装歩兵。実力と装備で劣る魔軍モンストルの進撃は完全に停止し、戦線は膠着こうちゃくした。


 そしてこの神聖勇者セイクリッド。群がる妖魔を白き盾で受け止め、数匹まとめて押し返す。崩れたところに銀色の刃をかざして頭蓋を叩き割り、首をね飛ばし、胴を貫く。人類の希望という称賛が大袈裟おおげさではないと思わせるほどの絶技をもって血の海を押し渡る。


「あの野郎、どこまで強くなりやがる」


 もはや私にはよくわからない水準だけれど、飲んだくれエブリウスさんいわ神聖勇者セイクリッドさんはさらに強くなったらしい。


 呆然と口を開けたままその戦いをながめる。この人の強さはどこから来るのだろう。


 私などが論評できるものではないが、敢えて言うなら攻守ともに完璧だ。複数の敵の太刀筋を予測して盾を掲げ、受け止めると同時に押し返した上で力強い斬撃を繰り出す。それは正確に妖魔の急所を裂き、叩き割り、突き通す。

 この人の強さは『基本』だ。剣術の教本に載っているような、兵士であれば誰もが知っている技術をひたすらに磨き上げ、肉体を鍛え上げ、決して奇をてらわず、一合ごとに優勢を拡大して勝利を確実なものとする。剣士として一つの理想形、完成形と言えるものだろう。

 思わずそれを口に出していたのか、それとも表情から察したのか。師匠の口調は弟子を諭すときのそれだった。


「わかってんじゃねえか。奴を手本にするのはいい、だがなれるとは思うなよ」




 重々しい轟音。衝撃波が木々を揺らし、熱風が吹きつける。狂皇子ルナティクスが放った【火球ファイアーボール】を大盾で受け止めた神聖勇者セイクリッド、一歩を退いただけでその場に踏みとどまる。一息に間合いを詰めた狂皇子ルナティクスが剣を振りかざす。


 二対の剣と盾が激しく打ち交わされ、互いを撃ち砕かんと甲高かんだかい咆哮を上げる。人間ファールスの英雄と狂える皇子がその力を、技を、魂を競い合う。にわかに優劣がつきそうにない剣戟は五十合を過ぎても一向に衰えを見せない。


「ぬうううう!」


「――――――!」


 恐るべき妖魔、狂皇子ルナティクス。黄金の鎧に絶対の自信を持っているのか、その剣技は攻撃一辺倒だ。鍔元つばもとの広い直剣を暴風のごとく振り回し、蒼銀の盾さえも力任せに叩きつけ、少々の手傷など意に介さず闘争本能のままに荒れ狂う。傑出した一人と一匹の死闘は余人を交える隙すら与えず一合、また一合と重ねられ、我こそ武辺ぶへん者と称する命知らずの勇者ですら息を呑んで見守るばかり。


 神聖勇者セイクリッドの誇りが勝るか、狂皇子ルナティクスの狂気が勝るか。いずれ劣らぬ人と魔のせめぎ合いはついに決着の時を迎えた。


 狂皇子ルナティクスがおそらくは魔法を唱えようと間合いを切った、それが敗着だった。神聖勇者セイクリッドはその隙を見逃さず、相手が退いた距離を瞬時に詰めて白き剣を振るう。ここが勝機と見て立て続けに三度、四度、五度、まだ止まらない。盾をかざして連撃の五段目までを受け止めた皇子だったが、六段目を受け損ねて盾を撥ね上げられた。

 黄金の鎧が肩口から腰まで、返す一刀で右の脇腹から左の脇腹まで、深々と断ち割れる。せめて道連れにせんと振り上げられた剣もそれを握る右手ごと失われる。ついに黄金の兜を中身ごとね飛ばした神聖勇者セイクリッドの剣は、失われた雄敵に敬意を表するように顔前に掲げられた。


「敵将狂皇子ルナティクス、討ち取ったり!」


 絶対の指揮官を失った魔軍、勢いに乗りそれを追い立てる勇者達。


 大陸歴二一九年二六〇日。神聖勇者セイクリッドによる狂皇子ルナティクス討伐をもって、この年の大討伐は終結した。

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