七色の蝶と霧の町(七)

 前門の大根、後門の馬みたいな何か。他に逃げ道など無い地下通路で前後を塞がれて私はもはや進退きわまった。かくなる上は勢いをこのままに前方の岩人形ロックゴーレムに突っ込むしかない。右か、左か、股の下か、運を天に任せてどこかをすり抜けることができれば……


「リナちゃん、ありがとね。短い間だったけど楽しかったよ」


 耳元でプシュケーの声がした。何か返事をと思う間に彼女達は散開し、力を行使した。放たれた熱線が岩人形ロックゴーレムの両眼を焼き、視界を失ったそれが倒れ込んでくる。

 後ろでは足音が消え、何かが地面を滑ってくる音がする。おそらくは先程と同じように床を凍らせて馬のような何かを転倒させたのだろう。前後を挟まれてしまったことに変わりはないが……


「上だ!」


 鍛え上げた足で思い切り床を蹴りつけ、体を跳ね上げる。前方に倒れ込む岩人形ロックゴーレムの頭部に手をついて宙で一回転、丸めた背中で天井をかすめつつ体勢を整えて着地。そのまま後ろも振り向かず駆け出した私の背後で、岩と岩が派手にぶつかり合う音が響いた。


 地下通路を抜け、階段を駆け上がり、湖畔の館を出てようやく振り返る。

 霧の湖はすべての生命が失われたように静まり返り、小鳥のさえずりや木々のざわめきどころか蝶が羽ばたく音すら聞こえない。


「プシュケー……」


 力なくうつむき肩を落とす私の頭に、そっと七色の蝶が止まった。




 昼なお暗い霧の中、七色の蝶はひらひらと舞い、まるで導くように霧の中を進んでいく。ただ先程までと違って蝶からは何の意思も感じられず、一つの言葉も発しない。


「ねえプシュケー、返事してよ。さっきまであんなにうるさかったくせに」


「さっきはありがとね。魔法で助けてくれたんでしょう? もう少ししか力が残ってなかったのに」


「もう一回だけお話できない? せっかく友達になれたのに寂しいな」


 私の問いかけにも蝶は聞く耳を持たず、ただただ霧の中を進むだけ。

 それはそうか、蝶なんだから。あの子との会話が、地下通路での出来事が、すべて夢の中だったような気がする。霧の中で蝶が見せた一時ひとときの夢。現にこうして霧は晴れていない、霧の魔女プシュケーの残滓ざんしである七色の蝶とともに古代の施設を停止させ、番人を排除して戻ったなどという出来の悪い物語を誰が信じてくれようか……




 霧が流れた。不意に真上から陽光が差し、自分が稜線に立っていることを知った。


 右手には青くぐ湖面、どこまでもどこまでも続く水の鏡。

 左手にはオレンジ、緑、ピンク、赤、黄、青、およそ思いつく限りの色彩。


 誰かの帰りを待つカンドレバの町は色鮮やかにその姿を浮かび上がらせ、帰るべき家はここであると主張する。待ち人達は一〇〇日ぶりに姿を見せた太陽を見上げ、無事の帰宅を待ちわびる。


「ありがとう、プシュケー。……プシュケー?」


 たった今まで道案内をしてくれた七色の蝶は、霧とともに忽然こつぜんと姿を消していた。まるで全てが夢であったかのように。




 極彩色の町のあちこちで「おかえりなさい」と「ただいま」が交差する。長らく行方不明だったきこりや猟師が帰るべき家に帰り、それを迎えるべき家族が出迎える。この当たり前の光景の何と尊いことか。


 だいだい色の家の前でたくましい父親に抱え上げられたのは、あの嘘つきと呼ばれた少年。いつもよりずっと高い視線から私を見つけた彼は、そのまま大きく手を振った。


「勇者のお姉ちゃんだ! やっぱりお姉ちゃんは本物の勇者様だったんだな!」


 証拠なんて何もない。七色の蝶も湖畔の館も不格好な番人も、すべて夢の中の出来事だったのかもしれない。

 霧が晴れたのはただの偶然で、もしかしたら私は嘘つきなのかもしれない。それでも私はあの霧の魔女を、蝶の友達を忘れたくない。誰もが嘘つきとののしっても、私だけは記憶にとどめておきたい。


「私ね、七色の蝶々ちょうちょさんを見たよ。そして蝶に誘われて向かった湖の館でね……」




 霧の町カンドレバ。一年の大半を白い霧に閉ざされる町。


 だが七色の蝶と色鮮やかな街並みが帰り道を示すため、きこりや猟師が道を失うことはもはやないという。


 年に数日だけ顔を見せる湖面は青くぎ、目にした者は生涯その光景を忘れることができないという。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る