七色の蝶と霧の町(六)

「いい? 開けるよ」


 蝶の集合体から肯定の意思が伝わってきたので扉を押し開ける。十歩四方もないような小さな部屋の壁にはよくわからない図が文字とともにが刻まれている、察するにこの施設の説明書きだろうか。

 そして部屋の中央には子供の頭ほどもある水晶球がめこまれた操作盤。私がそれに近づくと、水晶球と操作盤に刻まれた文字が淡く光りだした。


「良かった、機能は生きてるみたい」


 蝶の群れは水晶球の周りに群がったかと思うと、何かを確かめるようにそれぞれの方向に散った。


「この施設は湖の周囲の気温と風を調節しているの。霧が発生する原理は知ってるよね? 温かい湖面に冷たい空気が触れると……」


「……」


 生憎あいにくだが私にそんな知識は無い。どうやら私の反応が薄いことを悟ったのか、再び集まってきたプシュケーは私の周りを取り囲んでなげいた。


「そっかあ、リナちゃんには難しかったかあ」


「いま馬鹿にしたでしょ! 蝶のくせに!」


 憤慨する私をよそに蝶の群れは水晶球に群がり、手で触れるようにうながした。恐る恐る近づけた手が微かに触れた瞬間、それは一段と強く輝いた。遠くから石が触れ合うような重い音が響いてきたような気がする。




 やがて水晶球から光が失われ、蝶の群れから安堵あんどの気配が伝わってきた。どうやら無事に施設を停止させることができたようだ。


「ありがと、リナちゃん。あなたが来てくれて助かったよ」


 こちらも安堵あんどの溜息をつき、さて帰ろうと入口の扉を開け……そして固まった。

 先程の岩人形ロックゴーレムと同じように岩で作られた……これは何だろう、鹿なのか犬なのかそれとも空想上の生物なのか、とにかく乳牛ほどの大きさがある四本足の何かが私達を見下ろしていた。


「……」


「……」


 その正体不明の何かは前足なのか手なのか触手なのか、ともかく四本のうち二本を高く掲げ、言葉を失う私達に向けて振り下ろした。体重をかけたそれは湿った石床を穿うがって破片をまき散らす。


「きゃああああ!!」


 床に身を投げ出してそれをかわし、跳ね起きるが早いか一目散に逃げだした。

 逃げ足にはちょっと自信があるこの私、でもこの不格好な何か、速い! どう見ても機能的ではない短く太い足、それも二本ずつ前後二対ではなく四本が直列に生えた足を小刻みに動かして迫ってくる。その速度は私と同等か、もしかすると僅かに負けているか。


「なに!? 何なのあれ!?」


「見てわかんない? 馬!」


「馬ぁ!?」


 絵心が全く無い人が描けば馬も牛も犬も豚も同じになるというが、まさしくそれだ。真横から見たそれを無理やり立体化すればこうなるのだろうが、いくら何でもひどすぎる。四本の足が直列についた動物などこの世界のどこにいるというのか。


「絶対プシュケーが作ったでしょ、あれ!」


「どうしてわかるの?」


「どうしてって、造りが適当すぎるもの!」


 明らかに馬の足音ではない、しゃかしゃかという耳障みみざわりな音が次第に大きくなってくる。それはやがて言葉を発する余裕もなく全力で駆ける私の背後に迫り……突然消えた。思わず振り返った私の目に映ったのはと滑って横倒しになり、凍った床を滑る四つ足の何か。それはどんがらがっしゃーん!としか表記できないような音を立てて壁に激突し、破片をぶちまけた。


「何!? いま何かやった!?」


「まあね。今のうちだよ」


 察するにプシュケーが魔法を使って床を凍らせたのだろう。自分で作った番人を壊すのは心が痛むかもしれないけれど、ともかく助かった。


「あれ? プシュケー、なんだか数が減ってない?」


 そう。見れば先程まで七、八匹ほどいたはずの蝶が五匹になっている。逃げているうちにはぐれてしまったのだろうか。


「この蝶は私の魔力の残滓ざんしだからね。もちろん魔法を使ったら無くなるよ」


「そんな……」


 蝶の数が減ったせいで少し暗くなった通路を見て、私は急に悲しくなってきた。この新しい友達の肉体は既に無く、僅かに残された力もこうして目に見えて失われていく。その現実を突きつけられる思いだったから。

 そしてようやく呼吸を整えた私にも多くの時間は残されていなかった。四本のうち二本の足を失った馬の石像がむくりと起き上がり、凍った床で足を空回りさせている。


 重く湿った心を置き去りにして再び逃げ出す私、追ってくる二本足になった石像。むしろ余分な足が減ってさっきより速いかもしれない!


「リナちゃん、前!」


 プシュケーに言われて前を見ると、道を塞ぐのは大根の輪切りを二つ重ねたような岩人形ロックゴーレム

 後ろからは馬みたいな何か、前には大根の輪切り。もはや馬に蹴られるか大根に潰されるか、どちらかを選ばなければならないのだろうか。


「何とかならない!?」


「どうしよっか!」


 だめだこの子、やっぱり私と同じで先のことなんて考えていなかった。


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