七色の蝶と霧の町(五)

 ひんやりと冷たい地下通路はまっすぐ伸びていて、淡く光る蝶々ちょうちょが先を照らしてくれている。それにここは彼女の研究施設だったというのだから、いきなり危険な生物に出くわすとは考えにくいだろう。と思ったのだけれど……


「……なにこれ?」


「見てわかんない? 石像」


「それはわかるんだけど、何の石像?」


「何のってわけじゃないけど、番人? 的な?」


 円筒形の岩が二つ重なったようなそれはおそらく人型を模したものなのだろうが、あまりにも手足が短すぎるし全体の造りも雑すぎる。分厚い輪切りの大根を大小二つ重ねて手足の部分にミニトマトをくっつけたと表現すれば理解してもらえるだろうか。不幸にも造形美に恵まれなかった岩の番人も大きささだけは十分で、ゆうに二メートルはあろうかという天井付近から私達を見下ろしている。


「まさか動いたりしないよね?」


「……」


「ちょっと! どうして黙ってるのさ!」


 どうやらプシュケーは嘘をつけない性格のようで、関節をきしませて動き出した岩の塊を見て申し訳なさそうに伝えてきた。


「やっぱり動いちゃったかあ、もう何百年も経ってるから大丈夫かなと思ったんだけど。あれは岩人形ロックゴーレムって言ってね……」


「知ってる!」


 頭上から降り下ろされたミニトマト状の拳を軽くかわした私だったが、その威力には戦慄した。私の頭よりも大きい拳が床とともに砕け散ったのだ、あんなものをまともに喰らったら私の方がミニトマトになってしまう。

 幸いなことに岩人形ロックゴーレムの動きは鈍く間合いリーチは短く、反対側のミニトマトも身をかわすことで壁とともに砕け散った。ただ両手を失ったからそれで諦めるという思考回路ではないらしく、圧倒的な体躯で押しつぶそうとしてくる。危ういところで逃れると盛大に壁がえぐれて破片が顔にまで飛んできた。


「ひえええええ!」


 以前リージュと共に向かった湖の遺跡でも岩巨人ロックゴーレムと対峙したが、これは二回り以上も大きい上に破壊力も段違いだ。こんなものとまともに戦うすべなど持っていない私にできるのは、逃げることだけ。通路の奥へ奥へと足を飛ばすと次第に物音が遠ざかり、やがて聞こえなくなった。


「ふう……もうあんなの出ない?」


「……」


 プシュケーのやつ、口数が多いくせに都合が悪くなると黙ってしまう。誰かにあきれられることが多い私だけれど、どうやらこの子といるとあきれる側になってしまうようだ。

 まったくもう。と、たぶんリージュやエクトール君が何度も何度もつぶやいたであろう言葉を私が発することになった。




 暗く湿った地下通路は予想していたよりもはるかに長く、湖の中心に向かってもう一キロ近くは歩いただろう。いくつかの分かれ道には目もくれず直進するだけだし、淡く光る蝶の群れが前後を照らしてくれるので歩くのに不自由はないけれど、無事地上に戻れるのかとさすがに不安になってくる。


「リナちゃんは何歳?」


「十九歳だよ」


「へえ。結婚は?」


「けけけけ結婚!? してたらこんな所に一人で来ないでしょ!?」


「そっかー。私、十四歳で結婚させられそうになってさ。嫌だったから一生魔法の研究する! って言って逃げ出したんだよね。で、色々あってここにたどり着いたわけ」


 彼女が生きていた時代。血統が重視される魔術師、特に女性は十五歳前後で結婚することが珍しくなく、高名な魔術師の家系に生まれたプシュケーも同様だった。だが彼女は親の意のままにされる人生に嫌気がさし、研究を言い訳に引きこもったのだそうだ。

 現在でも魔術師の家系同士が婚姻を結ぶ例は多いが、それで強力な魔術師が誕生するかといえばそうでもない。時代の流れなのか混血が進んだのか、血統は確かに魔法の才能の有無に影響するが絶対のものではない、というのが常識になっている。ごく稀にではあるが一般人の中からリージュのように優秀な魔術師が誕生することもあるのだ。


「ふうん。大変だったんだね」


 ありきたりな相槌あいづちを返しつつ、プシュケーがしきりに話しかけてくるのは私の不安をやわらげようとしているためだろうかと、ふと気づいた。この子はちょっと抜けているけれど人の心に寄り添うことができるんだな、と思って急に可笑おかしくなった。これもリージュやエクトール君が私を評して何度も言っていたことだったから。


「どうしたの? 急に笑い出すなんて」


「ううん。なんだか私達、似てるなって」


「蝶と人間ファールスなのに?」


「そういうところが、かな」


 七色の蝶がひらひらと揶揄からかうように顔の前を横切る。彼女はたぶん冗談で言っているのだろうけど、これだってよく似ている。リナちゃんの話は冗談なのか天然なのかわからないよ、とリージュによく言われたものだ。


 ともかく長い長い通路はいつしか終わりを告げ、目の前に両開きの扉が現れた。

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