七色の蝶と霧の町(四)

 霧の中にたたずむ湖畔の館、その前には七色に怪しく光る蝶の群れ。とてもこの世のものとは思えない光景は確かに私が求めていたものだった、だがその蝶が明確に意思を伝えてきたことにはさすがに驚いた。


「いらっしゃい、旅人さん。あなたにお願いがあるの」


「お願い……?」


 蝶が声を発しているわけではない、無理に例えるならば頭の中に直接語りかけてくるかのようだ。それに対して私は声に出すしか意思を表す方法が無い、なんだかそれがもどかしく感じてしまう。


「そう。この霧を止めてほしいの」


 言われるまでもなく私は霧が発生する原因を突き止めに来たのだ、断る理由はない。だが周辺の事情が全くわからない、まずはそれを確かめなければ。


「いいよ、私はそのために来たんだから。でも事情を教えてくれない? あなたは誰? この館は何?」


「中へどうぞ、ゆっくり説明するね」




 どうぞ、と言われても館の入口は閉ざされている。しばし立ち止まっても何事も起きなかったが、ある事に気づいて把手とってを引くとあっさり扉が開いた。それはそうだ、蝶に扉を開けろというのは無理な話だろう。


 建物自体は原型をとどめているものの、窓枠や多くの建具は抜け落ちて霧が屋内にまで入り込んでいる。蝶の群れにうながされるように再び扉を開けると、そこは応接室のようだった。石で作られたテーブルがこけに覆われつつ辛うじて形を保っているものの、長椅子や調度類はもはやその素材が何であったのかすら判然としない。


「私は霧の魔女。ここで天候を操る魔法を研究していたの」


 蝶はそう言った。もう何百年前になるかわからないが彼女は霧や雨や風、果ては吹雪を人為的に操る魔法を研究しており、この館を始めとした研究施設を人の目から隠すため人工的に霧を生み出していた。それでも付近に迷い込む者は後を絶たず、館に近づく者には自分の分身である蝶を操って警告を発してしていたのだという。


 霧を生み出すための施設は彼女の死後も停止したまま残されていたが、ごく最近になって経年劣化のためか常に霧を放出するようになってしまった。魔女の力の残滓ざんしは蝶になりこの世界にとどまったものの、蝶の身では施設を停止させることができず困っていたという。

 そこで施設を停止させるための人を連れて来ようとしたのだが、ほとんどの者は蝶を恐れて逃げ出してしまった。だからせめて自分のせいで道に迷った人を助けるべく、迷い人の前に姿を現し帰り道を示していた……




 にわかに信じがたい話ではあるけれど、そもそも蝶と意思疎通をしていること自体がおかしな話だ。それに昔話では館に入らないよう警告していたはずの蝶が今になって私を招き入れてくれたことにも一応の説明はつく。


「わかった。私は何をすればいいの?」


「霧を生み出す施設に案内するから、それを止めてほしいの」


 私は迷いなくうなずいた。この子……と呼ぶのはおかしいかもしれないけれど、彼女の行動からは誠実さを感じる。彼女が作った施設が人々に迷惑をかけているのは確かだけれど、自分のせいで道に迷った人に帰り道を示したり、既に肉体が滅んでいるにもかかわらずこうして対処しようとしている。この子は人生を終えて蝶になってまで自分の責任を果たそうとしているのだ。




 それはそれとして、次第に明らかになってくる彼女の性格は非常に軽かった。霧を発生させる施設に続くという地下への階段を下りて長い通路を歩いている間じゅう、ひっきりなしに話しかけてくるのだ。


「ねえ、あなたのお名前は?」


「リナレスカ。リナでいいよ、蝶々ちょうちょさんは?」


蝶々ちょうちょさんはやめて。私はプシュケー、『蝶』っていう意味だよ」


蝶々ちょうちょじゃん!」


「えへへー。リナちゃんはどうしてここに来たの?」


「侯爵様の命令で霧の原因を調査しに来たんだよ」


「あら、それはごめんね。じゃあリナちゃんは騎士様か何か?」


「勇者だよ」


「勇者? 聞いたことないなあ。それってなあに?」


「ええとね……」


 どうやら蝶々ちょうちょさんが生きていた時代に勇者という職業は無かったらしい。それを皮切りに今の時代の流行り物や歌、変わった食べ物などを聞いてくる。本当はもう少し周囲を警戒しつつ進みたいのだけれど、長い年月を蝶として過ごしてきた寂しさを思えば無碍むげにもできない。


「ねえリナちゃん。私達、同じ時代に生まれたら友達になれたかな」


 蝶の群れは暗い地下通路を七色に明滅しつつひらひらと舞い、私の頭の中に語り掛ける。それは若い女性の印象で、明るさと前向きさを感じさせる。それでもたまに一抹いちまつの寂しさがまぎれ込むのは、やはり肉体を失い蝶となった身を嘆いているのだろうか。


「うん。きっといい友達になれたと思う。それに今からでも遅くないよ、蝶と友達なんて素敵じゃない」


 先程までうるさいほど語りかけてきた彼女から言葉はなかった。蝶々プシュケーは躍るように私の周りを駆け巡り、頭に止まった一羽から喜びの感情が直接伝わってきた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る