七色の蝶と霧の町(三)

 ようやく得られた手掛かりも、霧の中におぼろげに浮かぶ太陽のように頼りないものだった。

 人語を話す七色の蝶とやらが存在するとして、どこに行けば会えるのか。湖畔こはんという言葉だけを頼りにするにはベルセタ湖はあまりにも広すぎる。


 しかし人を導く蝶というものが荒唐無稽こうとうむけいな話であるとは、私は思わない。この町には橋の欄干らんかん、商店の看板、路傍の長椅子、蝶を題材モチーフにした装飾物がたくさんあった。以前アルカディアの町で見た龍をかたどった品々は、人々の『龍神様』への感謝を形にしたものだった。このカンドレバも蝶を町の象徴とするには相応の理由があるに違いない。




「濃霧の中に突如として館が現れ、蝶の警告を無視して入った者が帰ってこなかった」


「霧の中で迷った猟師が不思議な蝶に導かれて町に帰ることができた」


「怪しく光る蝶を捕まえて籠に入れたが、町に帰ると籠には何も入っていなかった」


「蝶は神の使いである、いや人を惑わせる悪魔の使い魔である、いやいや亡くなった者の魂が蝶の形をとったものである……」


『蝶』という言葉に絞って聞き込みをすると、取捨選択に困るほど様々なお話を聞くことができた。人を惑わせたり警告を与えたり、時には悪戯いたずらをしたり助けたり……多彩すぎてどれを参考にすれば良いのかわからないけれど、ともかく霧と蝶はこの町にとって特別な存在であるようだ。




 そしてこの日訪ねたのは、町の語りだというお婆さん。鮮やかなピンク色に塗られた家の中は日焼けして、かつて薄桃色であったはずの内壁は白っぽくなっていた。安楽椅子に腰かけるお婆さんもすっかり白髪で腰が曲がっていて、この家とともに重ねてきた年月を連想させる。


「そうなの。それでね、女の子は肩に止まった蝶々ちょうちょとお話ししたの。『お父さんを知りませんか? もう何日も帰ってこないんです』って。そしたらその蝶々ちょうちょはね……あらごめんなさいね、この子にご飯あげなきゃ」


「あの、私があげますので。お話の続きを……」


 お婆ちゃんは見た目よりもずっとお元気なようで、途中でお茶をれに立ち上がったり私にお菓子を勧めたり、猫にご飯をあげたりと途切れ途切れで、なかなか話が進まない。二刻余りをついやした昔話を要約すると……




 猟師である父親がいつまで待っても帰って来ないことを悲しんだ女の子が霧に閉ざされた森の奥に向かい、濃霧の中に突如現れた湖畔の館の前で蝶々に入るなと警告を受けた。だが帰り道を失って疲れ果てた女の子は再び蝶に出会い、導かれて大木のを見つけその中で一夜を明かした。

 一晩中女の子に寄り添っていた蝶は翌朝になると消えていたが、その蝶が言い残した通りひときわじ曲がった木を三回叩いて「蝶々ちょうちょさん、蝶々ちょうちょさん、霧を晴らしてくださいな」と願うと見る間に霧が晴れ、家に駆け戻った女の子は無事に父親と再会した……




 このようなおとぎ話を鵜呑うのみにするわけにはいかないけれど、町のお話にはいくつか共通点がある。湖畔の館、人に警告を与える蝶、人を導くように舞う蝶。それらを見かけたという方角も似通にかよっており、それを地図上に落としていけばあるいは蝶に出会えるかもしれない。

 その蝶に霧を払う力があるのか、それとも近づくと警告を受けるという館に何か手掛かりが隠されているのか。お婆ちゃんの話の中にいくつか目印らしきものが出てきたこともあり、私は湖畔の森に踏み込むことを決めた。




 白と黒と灰色が支配する霧の中に毒々しいピンク色が浮かび上がる。いくら何でも派手だったかなと苦笑する。

 見通しの悪い山中で誤って猟師に弓矢を射られぬよう、遭難した際に発見されやすいよう目立つ色の上着を着ることがこの町の常識だと聞いて購入したのだけれど、他の町ではとても着られないような代物しろものだ。


 水分をたっぷり含んだ下草を踏みしめ、水滴がしたたる枝葉を払いのけてさらに森の奥へ。

 七色に光る蝶などというものが本当に存在するのだろうかと自分に問いかけ、何を今さらともう一度苦笑する。夢喰いタピルスと話し、模倣獣パレイドリアをこの目で見、ドラゴンと戦ってきた私だ。それらと比べれば七色の蝶の方がよほど現実味があるというものだ。


蝶々ちょうちょさん、蝶々ちょうちょさん、ええと何だっけ。私と一緒に遊びましょ?」


 お婆ちゃんから聞いた話にあったように、ひときわじ曲がった木を三回叩いて声を掛ける。じ曲がった木などいくらでもあるし言葉も違ったような気がするけれど、どうせ確かな手掛かりなど無いのだ。できる限りのことを何度も試してみて反応があれば儲けもので……


「おわあっ!?」


 いつの間に現れたのか、目の前で掌ほどの大きさの蝶が舞っていた。黒く縁どられた羽は七色に怪しく光り、私を誘うように森の奥へと遠ざかる。歩み寄れば霧の中に消えてまた現れ、歩みを早めればまた遠ざかる。この世ならぬ世界にいざなわれるような不可思議さに首をかしげつつ森の奥へ奥へと踏み込めば、さらに霧がその濃さを増していく。もはや足元さえろくに見えないほどの白一色の世界に、それは突然現れた。


「これは……」


 これが町の人達が言っていた湖畔の館? それほど大きくもない石造りの建物はこけや植物のつるに覆われ、カンドレバの町で見た極彩色の家々とは対照的にひっそりとたたずんでいる。


 そして私の前には、どこからつどったものか七色の蝶の群れ。七、八匹と見えるその集合体は、どのような方法によってか私に向けて明確な意思を伝えてきた。


「いらっしゃい、旅人さん。あなたにお願いがあるの」


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