七色の蝶と霧の町(一)

 イスマール侯国首都イセルバードから東南東に約二二〇キロ、カンドレバ。侯国勇者として初めての単独任務を遂行するのは、霧に覆われたこの町になった。


 本来ならば師匠である飲んだくれエブリウスさんと共にこの地を踏む予定だったのだけれど、いま神託装具エリシオン代償デメリットが癒え切らない彼に無理をさせるわけにはいかない。未熟な私が一人で背負うには荷が重い案件だと思うけれど、どうやら結果についてはあまり期待されていないようだ。


 何しろその案件というのが『霧が一〇〇日以上も晴れない原因を調査し、可能であれば対策を講じる』というもので、経験豊富な飲んだくれエブリウスさんや知恵者であるエクトール君でもそう簡単に解決できそうもない代物しろものだ。直々じきじきにこれを申し付けた侯爵様もそれは承知のようで、「無理はするでないぞ。まずは無事に帰って来い、帰ればまた次があるのだからな」と送り出してくれた。

 だが私としてはそれに甘えるわけにはいかない、そう何度も機会が与えられると思ってはいけないのだ。結果はもちろん侯国勇者として最善を尽くしたかどうか、その姿勢が問われているのだろうから。




 カンドレバの町は周囲二〇〇〇キロ以上という巨大なベルセタ湖の西岸に位置し、一年を通して湖から発生する霧が町を覆うと言われている。さぞかし陰鬱な町だろうと予想して来たのだけれど……


「うわあああ~! 何これすっごい!」


 我ながら語彙ごいとぼしい感想を発したのは、その色鮮やかな街並みに対してだ。家々の壁がオレンジ、緑、ピンク、赤、黄、青、およそ思いつく限りの色で塗られている。それでいて毒々しくもけばけばしくもなく全体の調和が取れているというのはどのような理由からだろう。


 そして次に目に付くのは、町のそこかしこにある蝶をかたどった装飾物。橋の欄干らんかん、商店の看板、路傍の長椅子ベンチ、服飾店の中には蝶を題材モチーフにした装飾品。すっかり楽しくなった私は濃霧をいいことにひらひらと蝶のように舞い踊りつつ街路を歩き、黒い中折れ帽フェドーラの紳士に怪訝けげんな目で見られつつ領主様の館に向かった。




「侯国勇者リナレスカ殿、お待ちしておりました」


「ど、どうも……」


 領主様の館も他の家と同様に奇抜な緑色で、その大きさもあって独特の存在感を放っていた。ただし館の内壁は同じ緑色でも薄く塗られていて目に優しい。これならば一度訪れれば道に迷うことはないだろうと思ったものだが、まさにそれが色彩豊かな街並みの理由だった。


「この町は一年を通して深い霧に包まれるのです。そのためきこりや猟師の中には道に迷ってしまう者が多く、猟に出た夫が無事に戻れるようにと願いを込めて、猟師の妻が自分の家を目立つ色に塗ったことが始まりと言われています。それを知った時の領主が芸術性を刺激され、色調や明度に厳格な規則を定めることで絶妙な調和を保ったのです。ゆえにこれほど色彩豊かでありながら統一性のある街並みとなりました」


 ふええええ、すごいなあ、などというありきたりな感想しか浮かばない私は芸術的感性がとぼしいのだろう。街並みに比べて非常に地味な顔と服装の領主様を観察しつつ、蝶をかたどった把手とってのティーカップを慎重にお皿に戻して今回の任務の詳細を尋ねる。


「ええと、もう一〇〇日以上も霧が晴れていないと聞きましたが……」


「左様です。カンドレバは霧の町として有名ではありますが、これほどまでに長く霧に閉ざされたことはありません。濃霧のせいで猟師やきこりが何人も行方不明になっており、農作物もろくに育たぬ有様。このままでは人が住めなくなってしまいます」


 この件については何度もイセルバード市の行政府に調査を依頼したのだが、訪れた調査員も首をひねるばかりで何ら解決の糸口は見つかっていない。困った領主様はわらをもすがる思いで侯爵様に直訴したというのだけれど……




 私にそんなこと言われても、と街路の石を蹴る。それは何度か石畳に跳ねつつ濃霧のむこうに消えた。

 困ったなあ、ともう一度石を蹴る。その向こうから買い物帰りと見える親子連れが現れ、慌てて次の石を蹴ろうとした足を引っ込める。と、何かに気付いた様子の男の子が母親の手を離して駆け寄ってきた。


「勇者様だ! お姉ちゃんは勇者様だろ? 領主様のところに行ってきたんだろ!?」


 どうしてわかったのだろうと自分の身なりを見る。着古した旅服に安物の長剣、顔だって平凡で威圧感などとは無縁のはずなのに。その答えが見つかったのは視線を下げたとき、首飾りに加工した銀製のプレートが目に入ったから。イスマール侯国内においてこれを示せば様々な特典を受けるこができる、勇者の身分を証明するものだ。私は深く膝を曲げてかがみ込み、男の子と視線の高さを合わせた。


「そうだよ、よくわかったね。侯爵様の命令でこの町に来たの」


「やったあ! ほんとに勇者様が来てくれた! これでお父ちゃんも帰ってくるぞ!」


 大喜びで母親の元に駆け戻る男の子、だがお母さんは困ったような顔で何度も頭を下げるばかりだった。


「こら、ご迷惑をかけるんじゃありません。すみません、この子ったらまた……」




 手をつないで霧の向こうに消えていく二つの影。察するにあの子のお父さんは霧の中で行方不明になったのだろう、そう考えて私は立ち止まる。町を覆う霧をどうにかしてくれなんて、まさに雲を……いや霧を掴むような話だ。


 こんな依頼、魔術師でもなければ知識も無いただの勇者にどうしろというのだろう。私は霧に閉ざされた極彩色の町で途方に暮れた。



 ◆



 ここまでお読みくださり、ありがとうございます。


 このお話に登場した霧の町カンドレバは、京野 薫様『リムと魔法が消えた世界』


 https://kakuyomu.jp/works/16817330666974246133



 に登場した同名の町をアレンジして使わせて頂きました。許可を頂きました作者様にお礼申し上げます。

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