凡才隊長と飲んだくれ(八)

「『封魔ソーサルハイド』の代償デメリットを知りたいとな?」


「はい……」


 古めかしい調度が並ぶ応接室、目の前にはオルブレヒト・アウル・イスマール侯爵。侯国勇者である私はこの人に謁見する権利を有しているけれど、こうして二人で向かい合うのは初めてだ。頭髪は半ば失われて残りは白髪だというのに、長身に開襟シャツ、折り目の付いたスラックスという飾らない服装が清潔感と気品を感じさせる。


 あの日、くだんの廃村で屍人ゾンビ人形兵ペルチェを討滅した後。動けなくなった飲んだくれエブリウスさんを近郊の町までかついで静養させ、容態が落ち着いてから迎えの馬車でこのイセルバード市へ。城下の病院に入院させてようやく事態が落ち着いたところだ。

 屍人ゾンビの発生原因を詳しく調査している余裕は無かった。おそらく村の有力者が残した人形兵ペルチェの魔女人形が作りだしたのではないかと推測だらけの報告をしただけだ。


愛弟子まなでしにも伝えておらなんだか。全くあやつも偏屈へんくつよの」


 いつもの私なら「まったくです!」と同意するところだが、さすがに侯爵様に向かって軽口を叩くわけにもいかない。それにいつもは太々ふてぶてしいほど不敵な飲んだくれエブリウスさんが苦しむ姿を見て、ずいぶんと衝撃を受けてもいた。


 彼が所有する神託装具エリシオン封魔ソーサルハイド』は、刀身で触れればあらゆる魔法を消滅させることができるという。その代償デメリットとは……




「激痛。その痛みは消滅させた魔法の強度に比例して強まるそうじゃ」


 正直なところ私は意外に思った。それだけか、と。


 神託装具エリシオンの代償といえば、有名なところでは『次第に自らの意思を失っていく』『視力を失う』など重篤じゅうとくなものが知られている。ただし効果が大きいほど代償デメリットも大きいとされていることから、『封魔ソーサルハイド』はそれほどの品ではないのだろうと思ったのだけれど……


「そしてその痛みは累積るいせきする。この意味がわかるかの?」


 その言葉の意味を理解したとき、背中からにかけて寒気が走った。

 頬を叩かれれば痛いがそれは次第に消える。指先を切れば痛いがそれは時とともに薄れる。だがそれが消えることなく続くならば? さらに次の痛みが重なるとすれば? 想像しただけで気を失いそうになる。


わしも想像するしかないが、あやつが言うにその痛みは『肉体の損傷を考慮に入れなければ魔法をまともに喰らった方がまし』というものだそうじゃ」


「そんな……」


 言葉が出ない。攻撃魔法の基本とされる【光の矢ライトアロー】でさえ、熟練の魔術師であれば一撃で成人の命を奪ってしまう。まして先日の戦いで消滅させたのは【火球ファイアーボール】、まともに喰らえば数人が吹き飛ぶほどの威力の魔法だ。どれほどの苦痛が彼を襲ったことか、想像するだに恐ろしい。


「ただ幸いなことに、痛みが全く衰えない訳ではないらしい。十日も経てば少し楽になると言うのだが……まあ、これも本人にしかわかるまい。しばらく面倒を見てやってくれ」




 イスマール侯爵家御用達ごようたしの病院はイセルバード市の中央部にある白花崗岩の建物。さほど大きくはないが設備が整っており、中でもこの個室は乳白色に塗られた壁、清潔な寝台に寝具、枕元の水差しまで意匠が凝らされた色硝子ガラスで作られている。おそらく本来は貴人のための部屋なのだろう。


 その寝台で身を起こした男に目立った外傷は見当たらない。これまでも飄々ひょうひょうとした風貌の裏で常人には耐えがたい激痛にさいなままれてきたのだろう、それを今まで私に隠していたことが腹立たしい。


飲んだくれエブリウスさん……?」


「よう。世話になったな」


「侯爵様から聞きました。『封魔ソーサルハイド』の代償デメリット


「そうかい」


 私の問いに平然と答えているけれど、よく見れば無精髭ぶしょうひげがいつもよりも長く伸び、目は深く落ちくぼんでいる。もともと身なりに無頓着な人ではあるけれど、最低限の身だしなみを整える力さえ無いのだろうと思えば悲しくなってくる。


「……捨ててください、そんな剣」


「断る」


「そんなものを持っていたら、飲んだくれエブリウスさんの体が……」


「必要な物だから持ってんだ。他人がぐだぐだ言うな」


「でも……」


「うるせえんだよ。こいつが無かったら、お前はどうなっていた?」


 そうだ。ロッドベリー砦で私達が始めて出会った日。あのとき飲んだくれエブリウスさんが助けてくれなかったら、私はあの銀狼エルプスに……と思い出して寒気がする。きっと私だけではない、この人は記録に残らないところでたくさんの人を救ってきたのだ。その身を削るような激痛を代償に。


 この人が勇者でなかったら、この剣を所有していなかったら、きっと多くの人が不幸になっていた。それでも私は言わずにいられなかった。


「辞めてください……勇者なんて」


「そいつは俺の台詞だ。そんな甘ったれた考えなら、お前こそ勇者なんてやめちまえ」


「……嫌です」


「気が合うじゃねえか。俺も嫌だね」


 とうとう耐えきれずに口元がゆがんでしまった。目に涙がたまってきた。

 この人は勇者を辞めない。きっと動けなくなるまで『封魔ソーサルハイド』を振るい続けるつもりなのだろう、そしていつかその日が来る。多くの人々を救った代償を一身に背負って倒れる日が、必ず。


「意地悪。卑怯者。嘘吐うそつき。意地っ張り。飲んだくれ。最低です」


「おお、良くわかってんじゃねえか」


 いつも通りの憎まれ口が悲しい。私ではこの人を止められないことが悔しい。もっとずっと先だと思っていた永遠の別れが間近に迫っているような気がして、私は寝台に背を向けた。こんな人にこんな顔を見られたくないから。


「……ほんとに、ほんとに、最低です。いつも人のことばっかりで、自分ばっかり痛い思いして、平気な顔して。少しは心配する方の身にもなってください」


「……悪いな」




 ほんと最低だ、この人。


 自分を粗末にするなんて。いくら言っても聞かないなんて。嘘をついて女の子を泣かせるなんて。


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