左利きのエクトール(九)

「私もそう思うよ、今のきみになら私だって勝てる」


 これは予定に無い台詞だったけれど、師匠が得意とする挑発を真似てみたものだ。


「……リナさん、僕はきみを斬りたくない。でも『左利きの剣聖シニストラ』はそうじゃない。わかるよね」


「わかってるよ。きみがその剣に心をとらわれていることも」


「僕だってわかってる。でもきみを斬ったら僕はもう後戻りできない、全ての悪を滅ぼすまで止まらないだろう」


「ならめたら? そんなの無理だってエクトール君ならわかるでしょう?」


「いいや僕は! この世の悪を殺し尽くす鬼になる!」


 背筋に悪寒おかんが走った。何かこの世ならぬものがエクトール君を操っているのかとさえ思う、それほど彼の形相ぎょうそうすさまじかった。




 夏風を切り裂いて剣聖の刃が迫る。到底見切ることなどできない斬撃、だが私は余裕を持って飛び退いた。それに続く人間ファールスの限界を極めた速さと鋭さの追撃も同様に空を斬っただけ。


「わからない? きみにそれは使いこなせない!」


 飲んだくれエブリウスさんが言っていた通りだ。『左利きの剣聖シニストラ』はまぎれもない神託装具エリシオンで、いにしえの剣聖そのままに無双の剣を振るうことができる。

 だがそれは必ず左手に握らなければならない。右利きの者が左手で剣を扱おうとすれば動作が不自然になる、体の均衡を保てない、むしろそれは剣にとってかせになる。

 無双の剣は剣のみでは成り立たず、鍛え抜かれた身体と磨き抜かれた体捌たいさばきあってこそのものだ。知性に乏しい食人鬼オーガー小鬼ゴブリンが勝手に襲い掛かってくるならば斬り刻むこともできようが、このように間合いの外にいる相手に対しては決して剣が届かない。むしろそれを握る手が、それに連なる体が、文字通り足手まといになってしまう。そして。


「ほら、そんな物に頼るから! 今のエクトール君は私にだって勝てない!」


「遠くから偉そうに。一歩でも間合いに入ってみなよ、それだけできみは終わりだ」


「それで強くなったつもり? 誰も彼も警戒しておびえて、閉じこもって拒絶して! きみは弱くなったんだよ!」


 投剣ティレットを続けざまに投げつける。二本、三本、四本。ことごとく『左利きの剣聖シニストラ』に叩き落されたが、もちろんそれは織り込み済みだ。最後に投げつけたのは油が満たされた硝子ガラス瓶、これさえも『左利きの剣聖シニストラ』は真っ二つに断ち割った。恐るべき精度と切れ味、だがその所有者にとっては……


「ちっ、小賢こざかしい……」


 胸から腕、剣を握る手から鍔元つばもとまで油にまみれてエクトール君は顔をゆがめた。

 さらに間合いの外から陽動フェイントで誘う私に『左利きの剣聖シニストラ』が反応する、何度も何度も。それは所有者の握力を、体力を、精神力を、少しずつぎ落していく。無理に間合いを詰めようとしたところで疲労困憊こんぱいの体では、敏捷性に優れる私の影さえ踏むことができない。


「くそっ、こんな……」


「私なんかに負けてるようじゃ、この世の悪を殺し尽くすなんて無理だよね!」


「でも僕はやらなきゃいけないんだ! 僕は自分の無能が許せない!」


 そうか、と一つ納得したことがある。彼は自身の能力に絶対の自信を持ち、成し遂げてきたものに誇りを持っている。それをペイルジャックに否定され、揺らいだ心の隙を突かれたのだ。彼と私が決定的に違うのはそこだ、私は自分の限界を知っているからこそ魔人の誘いに乗らずに済んだのかもしれない。


「じゃあ私なんてどうするのさ! 無能が駄目なら生きていけないじゃない!」


 私が握る長剣バスタードソードとエクトール君が握る『左利きの剣聖シニストラ』とが初めて甲高かんだかい音を立てた。

 互いの先端が一度触れ合っただけ、ただそれだけで剣を撃ち落とされそうになる。恐るべき剣聖の技、しかし『左利きの剣聖シニストラ』もまた衝撃に耐えきれず、油でぬめる所有者の手からすっぽ抜けて夏草の中に突き立った。それほどに彼の握力は失われていたのだろう。




「もういいだろ、坊主。お前の負けだ」


 歩み寄る飲んだくれエブリウスさん、だがエクトール君はまだそれを認めなかった。


「いいえ、まだです。来い! 【剣の舞セイバーダンス】!」


 地面に突き立った『左利きの剣聖シニストラ』を指差して命じる、だがそれは先日と異なり所有者の命令に従うことはなかった。


「悪いな、そいつは解除させてもらった」


 この前日、私は飲んだくれエブリウスさんが持つ剣の効果を初めて教えてもらっていた。


 神託装具エリシオン封魔ソーサルハイド』。この剣で触れればその種類を問わず、あらゆる魔法の効果を打ち消すことができる。ロッドベリー砦で魔法の鍵を開けて私を助けてくれた時と同じように、これが『左利きの剣聖シニストラ』に触れた瞬間、付与されていた【剣の舞セイバーダンス】は解除されていたのだ。




 決着。全てを悟ったエクトール君はその場に両膝をついた。


「僕の負けだ。『左利きの剣聖シニストラ』を奪われちゃ、もう何もできない」


「前のエクトール君ならそんなものいらない、僕にはこの頭脳がある、って言ったと思う。その剣のせいできみは弱くなってたんだよ」


「……そうかもしれないね」




 その後のエクトール君はき物が落ちたかのように殊勝しゅしょうだった。身に余る力に心を乱されていたのか、それとも力に心を奪われること自体が神託装具エリシオンの代償であったのか。


 ともかく『左利きの剣聖シニストラ』は布と鍵付きの鎖で厳重に封印され、エクトール君自らの手で侯爵様に預けられた。彼はこの件を包み隠さず報告するとともに期待にそむいたことを詫び、侯国勇者を辞すると申し出た。


「ふむ? 君は何か罪を犯したのかね?」


「……いいえ」


「ふはははは、若さゆえの回り道を罪と呼ぶなら、わしなど十回は死罪に処されねばなるまいよ」


 だが侯爵様は簡単に笑い飛ばした後、急に有無を言わせぬ口調になった。


「エクトールよ、勇者を辞することは認めぬ。己の弱さを自覚した上で小癪こしゃくに、生意気に振る舞え。この世に自分以上の智者はおらぬとな。それからリナレスカ!」


「は、はい!?」


 呆気あっけに取られていた私はまさか自分に話しかけられるとは思わず、体ごと向き直った。


此度こたびの功をもって侯国勇者に任ずる。おぬしらにロッドベリーは狭かろう、何物にもとらわれず、思うままに翼を広げるが良い」




 即日。心の準備も整わぬまま侯国勇者の身分を示す銀の首飾りを侯爵様に掛けられ、私はいつの間にか師と肩を並べることになった。


「おい、ぼけっとしてんじゃねえ。何か言え」


 昼間だというのにお酒臭い師匠に平手でお尻を叩かれて頬を膨らませる私だったが、認定してくれた侯爵様に何かお礼を言わなければならない。何か気の利いた言葉を……などと頭では思ったのだけれど、口から出てきたのは平凡きわまる挨拶だけだった。


「えっと、が、がんばります!」




 赤い絨毯じゅうたんの上で硬直したまま声を張り上げる。この後私は『出世払い』と称して飲んだくれエブリウスさんに高いお酒をおごらされるのだけれど、それはまた別のお話。

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