左利きのエクトール(八)

 このたびエクトール君がけたのは、近郊の町村に雑貨を届ける商人さんの護衛依頼。本来ならばこのような安価な依頼は侯国勇者ではなくイセルバード市が認定した勇者が請けるものなのだが、先日財布をられて所持金の少ない彼はり好みしていられなかったのだろう。




 商人さんと一度打ち合わせを行い、正式に契約を結んだ翌日の待ち合わせ。乗り込んだ馬車には……既に飲んだくれエブリウスさんが乗っていた。


「よう。また会ったな、坊主。俺も一緒にけさせてもらったぜ」


 意地の悪い笑みを浮かべる飲んだくれエブリウスさんに対して、これ以上ないほど警戒心をき出しにするエクトール君。馬車に乗り込もうとしたその足が止まる。


「降りるのか? いいぜ、違約金を払える金がありゃあな」


 背後の私にまで歯ぎしりの音が聞こえた気がする。彼がこれほど苛立いらだつとは、よほど心身ともに疲労しているのだろう。

 荷物と勇者三人を乗せ、やがて馬車は動き出した。馭者ぎょしゃ席に依頼者である商人さん、エクトール君が座る向かいの席に私と飲んだくれエブリウスさん。商品を積む荷馬車に座席を取り付けたような代物で室内は暑く乗り心地は最悪だが、それでも疲労のためかエクトール君は頭を前後に揺らし始めた。


「いいのか? っちまうぜ」


 エクトール君はその声を受けて弾かれたように目を覚まし、胸に抱えた『左利きの剣聖シニストラ』が無事であることに安堵あんどの息をく。痩せて筋張すじばった身体、土気つちけ色の顔、落ちくぼんだ目、まるで追い詰められた獣のようだ。にやけた表情で腕を組む飲んだくれエブリウスさんがことさら意地悪に見えてくる。




「そろそろ休憩に致しましょう」


 そう商人さんが言い出したのは正午を少し過ぎた頃、場所はイセルバードから南に下った草原地帯。大きな木の下で硬く焼いたパンを水で流し込むだけの昼食を摂る私達、エクトール君だけは少し離れた場所で同じような食事をかじっている。


「ここでいいぜ、ご苦労さん」


「左様ですか、では私はこれで」


 そう声を掛けたのは飲んだくれエブリウスさんで、答えて腰を上げたのは商人さん。商人さんはそのまま馭者ぎょしゃ席に着くと、私達を置いたまま馬車で走り去ってしまった。


「さて。始めようか、坊主」


 不敵な笑みを浮かべて剣を抜いた飲んだくれエブリウスさん、それに応えて立ち上がったのはエクトール君。極度の疲労にもかかわらず取り乱すこともなく一つの質問も発せず、たったこれだけのやりとりで状況を把握した彼もやはり尋常ではない。

 そう。これは最初から飲んだくれエブリウスさんが仕組んだ計略だった。お金と侯爵の名前で商人さんを買収したのは、こうして精神的優位に立ち人里離れた場所で決着をつけるため。


「僕をめたつもりなら詰めが甘いですね、どんなに疲れていようが僕には勝てないんですから」


「どうかな。それに一つ間違ってるぜ、強えのはお前さんじゃなくて『左利きの剣聖シニストラ』だ」


「その『左利きの剣聖シニストラ』を所有しているのは僕です」




 二人の侯国勇者の間を緩やかな風が流れる。論戦が終わって互いに剣を抜き放ち戦機は熟したというのに、どちらからも仕掛けない。

 無理もない。戦う前から疲労しているエクトール君は無闇に動き回りたくないだろうし、飲んだくれエブリウスさんにしても伝説の剣聖が宿る神託装具エリシオンに対して迂闊うかつに踏み込めないのだろう。


 だがれるようなにらみ合いも永遠に続くものではない。待つことしばし、空で弧を描くとんびと私の他には見る者とて無い草原に甲高い刃鳴りが響いた。この人界において神託装具エリシオン同士が噛み合う光景などそう見られるものではない、だがそれは一度だけで終わった。


「やめだ。話にならねえ」


 そう言って剣を鞘に納める飲んだくれエブリウスさん、いぶかしむエクトール君。


「どうしました? 今さら命が惜しくなりましたか?」


「弱い者いじめは性に合わねえ。お前さんの相手はこいつで十分だ」


 安い挑発に安い挑発で応じた飲んだくれエブリウスさん、あごを向けた先にいるのは私。これを急に言われたならば「うえええええ!?」と変な声を上げるところだけれど、実はここまで事前の打ち合わせ通りに進んでいる。最初からエクトール君の相手は私が務めることに決まっていたのだ、だから私も安い挑発を真似する余裕があった。


「私もそう思うよ、今のきみになら私だって勝てる」


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