左利きのエクトール(七)

 飲んだくれエブリウスさんに一度剣を奪われかけてからというもの、さらにエクトール君は用心深くなった。

 肌身離さず剣を帯びて常に柄頭つかがしらに右手を掛け、外食もしなければ食材を買う店も日々変える。人通りの多い道は通らず、人とすれ違う時も十分に距離をとる。


「随分と効いてるな、ありゃあ」


 雑踏の中で飲んだくれエブリウスさんが人の悪い笑みを浮かべる。彼に言わせれば先日の失敗も織り込み済みで、エクトール君の警戒心をさらに引き上げることで心身の疲労を誘っているところだという。狐と狸の化かし合いはこの人の方が一枚上手……というよりも、常に狙われる側と狙う側という立場の違いがそのまま形勢に現れているのだろう。


「それにしても用心深い野郎だ、この分じゃ薬も寝込みも対策済みだろうな。いっそのこと正面から行くか」




 こうしてまたしても私はエクトール君の元に派遣された。彼は心底しんそこ嫌そうな顔でこちらを見たものだけれど、私だって気まずいことこの上ない。彼ほどの頭脳の持ち主でなくとも、私が飲んだくれエブリウスさんの指示を受けていることくらい理解できるだろうから。


「迷惑だよ、リナさん。もうついて来ないでくれないかな」


「ごめーん、私もそう思うの」


「僕に斬られるとは思わないのかい?」


「それは無いよ。エクトール君はそんな事しないもの」


 そう言いながら三歩後ろを離れずについて行く。目の周りのくま、落ちくぼんだ目、ふらつく足取り、ずいぶんと憔悴しょうすいしているようだ。これが私たちの計略によるものだと思えば心が痛むけれど、何としても彼自身のために『左利きの剣聖シニストラ』を奪わなければならない。


 やがてエクトール君が入っていったのは裏通りの魔装具店。古木の杖、とんがり帽子、各種護符アミュレット、魔術師用の装備品や魔法の力が付与された品々が並べられている店で、持参した武具に魔法を付与してもらうこともできるという。ただしその料金は私にしてみれば目玉が飛び出るほどで、その内容によっては家が丸々一軒建てられてしまう。


「【剣の舞セイバーダンス】の付与ですね? 料金は三百万ペタです」


「この通り、僕は侯国勇者エクトールです。後日必ずお支払いしますので、後払いでお願いできませんか」


 イスマール侯国の紋章が刻まれた銀のプレートを示して頭を下げたエクトール君だったが、それはかなわなかった。侯国勇者とはいえ可能なのは認定店の割引くらいで、代金の後払いが認められる訳ではない。もちろん彼もそれは承知の上で聞いたのだろう、それほど切羽せっぱ詰まっていたということだ。


「お金ならあるよ」


 私はそう言って、腰鞄ウエストポーチから十万ペタ金貨がぎっしり詰まった布袋を取り出した。普段の私なら絶対に持ち歩かない、どころかほとんど見たこともないような金額だ。驚くエクトール君に向けて言葉を続ける。


飲んだくれエブリウスさんから預かってきたんだ。『この前は無駄金を使わせて悪かった、仕切り直しだ』って」


 彼はしばらく複雑な顔をしていたが、結局はお金を受け取ると魔法の付与をお願いした。本来ならば品を預けて後日受け取りになるそうなのだけれど、今回は追加料金を支払うから今すぐに付与してほしい、儀式にも立ち会わせてほしいと伝え、渋々ながら了承された。




 真っ黒の遮光カーテン、昼間だというのに燭台しょくだい煌々こうこうと火が灯されている黒一色の部屋。

 刀身があらわになった『左利きの剣聖シニストラ』は紫色の布が被せられた台座の上に安置され、間もなく二人の魔術師が儀式を始めた。一人は魔術書を片手に延々と詠唱し、もう一人は火を絶やさぬよう、詠唱している者の集中が途切れぬよう補助しているようだ。


「世にあまね数多あまたの精霊よ、ここに誓う。天より注ぐ光、地を包む闇……」


 刀身が徐々に鈍い光を帯び始めたのは気のせいか、それとも魔法が宿りつつあることを示すものか。やがて一刻ほどの時が過ぎ、『左利きの剣聖シニストラ』は再びエクトール君の手に戻った。抜き身のそれを受け取って鞘に納めると、店内にぱちりと小気味良い音が響いた。


「わざわざ敵を万全の状態にするとはね。ずいぶんと甘く見られたものだよ」


「エクトール君は敵じゃないよ。私達はきみを助けようと思ってるんだから」


「余計なお世話だよ」




 右腰に『左利きの剣聖シニストラ』を吊るしたエクトール君を追いかけて外へ。薄暗い店内から出た私達を初夏の陽が容赦なく照りつける。


 狐と狸の化かし合いは、私の理解が及ばない水準で続く。


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