左利きのエクトール(六)

「どうしてついて来るんだい? 意見が一致しないことを確認したばかりじゃないか」


「だって心配だもの。その剣を持った人はみんな戦いの中で命を落としたって聞いたよ?」


 私はしばしの間、エクトール君と行動を共にすることになった。彼の言う通り先日喧嘩別れしたばかりなのだが、これは飲んだくれエブリウスさんの指示によるものだ。エクトール君が所有する神託装具エリシオン左利きの剣聖シニストラ』を奪うための援護をしろというもので、警戒されて構わない、むしろ警戒の対象が私に向けば良いと言われている。


 初夏を迎えたイセルバードの町は人の往来が多く、馬車も徒歩と変わらぬくらいにまで速度を落とさなければならない。

 エクトール君はイスマール侯爵邸で定期報告を済ませ、与えられた集合住宅の部屋に戻るところなのだが、それまでの間に数えきれないほどの人とすれ違う。


「おっと、失礼」


「あ、ごめんなさいね」


 若い男性、初老の女性、この短い間にエクトール君は二度ほど人とぶつかりかけた。そのたびに眉根を寄せて舌打ちせんばかりの表情をする、右腰に提げた剣の柄頭に右手を掛けたまま離さない。侯国勇者になる前の彼にこんな様子はなかった、神託装具エリシオンに頼るあまり余裕を無くしてしまったのだろう。




「あの建物に住んでるの?」


「……ああ、そうだよ」


 言葉少なに肯定するエクトール君。警戒されるのは悲しいけれど、実際に警戒されるようなことをしているのだから仕方ない。


「ずいぶん立派な集合住宅アパートメントだね。中は……」


 彼が私との会話に気を取られた瞬間、若い男が横からぶつかってきた。


「エクトール君、財布は!?」


「ちっ!」


 用心深い彼が財布をられてしまったのは私と会話していたこと以上に、一瞬『左利きの剣聖シニストラ』を奪われることを警戒したためだろう。男は近くにいた老人を突き飛ばして逃げ去ろうとする、それを追う私達……そこによろめく老人が絡みつくように倒れかかってきた。完全に虚を突かれたエクトール君の腰からするりと剣が引き抜かれる。


「これが『左利きの剣聖シニストラ』かい。こりゃあ坊主がれ込むのも無理ねえな」


 白髪白髭の老人は抜き身の剣を右手に持ち、にやりとしか表記できないような笑みを浮かべた。私はこの人の正体を知っている、なにしろこの剣を奪ってほしいと持ち掛けたのは私なのだから。


「……僕を出し抜くとはやるじゃないか、リナさん。そちらは飲んだくれエブリウスさんかな?」


「ご名答。なかなか切れるじゃねえか、坊主」




 これが飲んだくれエブリウスさんの立てた作戦のうちの一つ。雑踏にまぎれて仲間に財布をらせ、注意がそちらに向いた瞬間に剣をる。知り合いの中にスリがいるという意味不明な人脈、自身もその技術を持っているという理解不能な経験値を持つこの人にしか実行不可能なものだろう。だが。


飲んだくれエブリウスさん、一応聞きますけど、その剣を返してもらえませんか?」


「断る。こいつぁ俺のもんだ」


「では仕方ありません。【剣の舞セイバーダンス】!」


 その声に合わせて『左利きの剣聖シニストラ』が老人の手を離れ、宙に弧を描いてエクトール君の手元に戻っていった。さすがに驚愕の表情を隠せない飲んだくれエブリウスさん。


剣の舞セイバーダンスだと? てめえ魔術師か?」


「いいえ」


 短く答えたエクトール君は、それ以上の問答を拒否するように左手の剣を構えた。


剣の舞セイバーダンス】は、離れた場所にある物体を操作する魔法。非力な魔術師が武器を操って戦うために開発されたものだが、このように一度手放した武器を手元に呼び寄せるために使う者もいる……とは、この後飲んだくれエブリウスさんに教えてもらった知識だ。


 魔術師でない彼がその魔法を使ったということは、私が以前リージュからもらった護符アミュレットのように、『左利きの剣聖シニストラ』に【剣の舞セイバーダンス】が付与されていたことを意味する。つまりエクトール君はこのような状況を想定していたということだ。


 そして飲んだくれエブリウスさんもまた、この作戦が失敗することを計算に入れていた。


「参った参った、こいつは一杯食わされた。俺は丸腰だが、ここでるかい?」


 へらへらと笑って両手を広げた老人をにらみつけるエクトール君だったが、苦々しい表情を浮かべて剣を鞘に納めた。侯国勇者とはいえ無闇に市民を傷つけることを許されてはいない、もちろん勇者同士の争いも同様だ。ましてや目撃者の多い街中で、相手が丸腰となれば言い訳のしようもない。


「今日のところはお前さんの勝ちだ。また来るぜ」


 先程までよぼよぼと腰を曲げていた白髪白髭の老人は私達に背を向け、ズボンのポケットに片手を突っ込んだまま残った片手をひらひらと振った。


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