左利きのエクトール(五)

左利きの剣聖シニストラ』に魅入られてしまったエクトール君からそれを奪いたい、そう相談したのはかつての師だった。思った通りイセルバードの町で飲んだくれていた飲んだくれエブリウスさんは、重ねた酒杯の割には一向に酔っていない目を私に向けた。


「ああ? しばらく音沙汰おとさたねえと思ったら、金にもならねえ話を持ってきやがって」


 全くその通りで申し訳ないのだけれど、他の人を頼るわけにはいかない。事が表沙汰おもてざたになればエクトール君の勇者認定が取り消されるかもしれない、神託装具エリシオン目当てに命を狙われるかもしれない。それに食人鬼オーガーを瞬く間に切り刻むほどの力が宿った剣を奪おうというのだから、まともな方法は通用しないだろう。


 飲んだくれエブリウスさんは、私の補佐を務めていたエクトール君が侯国勇者になったことを知っていた。ポタ村を拠点化した手腕も、ロッドベリー砦の改修と火龍ファイアードラゴン討伐の功労者であることも。それから以前の評判とは異なり、知よりも武に頼るところが見られるという最近の彼のことも。


神託装具エリシオンに魅入られちまったか。よくある話だ」


「彼を助けてあげてください、お願いします!」


「いくら出す?」


「出世払いでお願いします!」


「出世する予定があんのか、てめえは」


 適当な問いに適当な答えを返したところ、軽く脳天に手刀チョップを落とされてしまった。

 二年も補佐を務めていた私にはわかる、この人はお金が好きだがそれほど執着してはいない。お金があれば高いお酒を飲むが無ければ安酒を飲む、ただそれだけだ。そして彼の手元には年代物の麦溜ウィスキー琥珀こはく色の輝きを放っている、今は懐が温かいということだ。


 さらに言えばこの人は、お金とお酒が大好きな『飲んだくれエブリウス』という勇者を演じている節がある。実際の彼はといえば僅かな報酬さえ支払えないような寒村をおびやかす妖魔を人知れず斬っていたり、訪れる先々で理不尽な権力や暴力に苦しむ人々を名前も名乗らず助けていたり。飲んだくれの皮をかぶったこの人が本当の勇者様であることを、私はもう知っている。




「『左利きの剣聖シニストラ』という神託装具エリシオンのことは知っていますか?」


「ああ」


 別に痛まない頭頂部を押さえつつ聞いてみると、この人はあっさりと答えた。


 それは生前『左利きの剣聖シニストラ』と呼ばれたリンクスという勇者の愛剣で、その死後に神の祝福を受けて神託装具エリシオンになったものだと伝えられている。一見何の変哲へんてつもない直剣だが左手に握ることで本来の力を発揮し、所有者が敵と判断した者を練達の技で自動的に攻撃するという。

 その所有者は伝説の剣聖リンクスのごとく無双の武力を手に入れることになるが、過去にこれを所有していた者はことごとく戦いの中で命を落としている……


「つまり俺より頭が切れて俺より強え奴から剣を奪えと、お前はそう言うんだな?」


 ずいぶんと意地悪な言い方をする。付き合いの浅い人はこれで誤解してしまうのだろうが、私は今更いまさらこの人を見誤ったりしない。言葉と裏腹に口元が笑っているのは勝算があるということだ。


「はい。飲んだくれエブリウスさんにできなければ、たぶん他の誰にもできません」


「ずいぶんと買いかぶられたもんだな。まあ、頭がいいのとずる賢いのは違う、強え奴と勝てる奴は違う。お前は俺ならそいつに勝てると踏んだんだろ? やってみるさ」




 私が麦酒エールを一杯頂く間を雑談についやして、飲んだくれエブリウスさんは話を戻した。先程よりもお酒が入っているはずなのに、その目はむしろ鋭い光を放っている。


「強え奴を殺すだけなら大して難しくねえ。毒殺、謀殺、色仕掛けハニートラップ、飽和攻撃、馬車ごとひっくり返して事故に見せかける、いくらでも方法はある」


「私の話、聞いてましたか!? 殺しちゃ駄目です!」


「お前こそ話を聞け。『殺すだけなら難しくねえ』って言ったろ、それができねえから難しいってんだよ。ど阿呆」


 また脳天に手刀チョップを落とされて頭を抱える私を放置して、飲んだくれエブリウスさんは次々と作戦を立てていった。周囲を利用して有利な状況を作り出し、相手の思考を誘導し、心身の疲労を誘い……それこそ経験という泉から謀略という水が湧き出してくるように。


 こんな状況だというのに、私は興味が湧いてしまった。知識と知恵に優れるエクトール君と経験と謀略に優れる飲んだくれエブリウスさん、どちらが勝るのだろうかと。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る