左利きのエクトール(三)

 翌日エクトール君に案内されたのは、ウラムの町の南西に広がる針葉樹の森。崖沿いのやや開けた場所に生木と枝葉を組み合わせて作った粗末な小屋が四つ、崖には私達が並んで入れるほどの洞穴が口を開けている。


小鬼ゴブリンの集落だ。おそらく食人鬼オーガーがあの洞穴の中にいる」


 このように異なる種族の妖魔が共存している集落はまれにある。上位の妖魔が下位の妖魔を支配している、または下位の者が上位の者を用心棒にしているという関係だ。


「よく調べたね? 巣を特定するのが一番大変なのに」


「簡単だよ。先日食人鬼オーガー小鬼ゴブリンの群れが町を襲ったとき、わざと小鬼ゴブリンを一匹逃がして痕跡を辿たどったんだ」


 彼はあっさりと言うけれど、実はそれほど簡単な作業でもない。

 知性に劣る小鬼ゴブリンとはいえ人間ファールスの子供程度の知能はあるのだから、森の中を気付かれずに尾行するのは至難のわざだ。痕跡を辿たどるにしても獣のそれと見分けがつかなかったりするし、足跡を特定するにはかなりの水準の技能が必要だ。そのあたりの技に優れる飲んだくれエブリウスさんの補佐を務めていた私でも、ちゃんとした知識は持っていない。彼の広範な知識はそんなところにまで及んでいるのか。




 集落では数匹の小鬼ゴブリンが獣肉を焼いていたり寝転がったりしている。屋内にいる者も考慮すれば十匹程度はいるだろう、さらには洞穴に食人鬼オーガーひそんでいるとすれば二人で奇襲したところで勝ち目は無い。


「どういう作戦で行くの?」


「そんなものは無いよ。強襲だ」


 言うが早いか、エクトール君は隠れていた茂みから飛び出した。

 そんな馬鹿な!? 私はつい声を上げてしまった。彼の技量は私に及ばないどころか並みの兵士程度で、食人鬼オーガーどころか小鬼ゴブリン二匹を相手取るのがやっとのはずなのに。神託装具エリシオン左利きの剣聖シニストラ』にはそれほどの力があるというのだろうか。


 雑な襲撃に気付いて警戒の声を上げる小鬼ゴブリン、手に手に粗末な槍や斧を持って小柄な人間ファールスを迎え撃つ……その首が二つ、血の尾を引いて宙に舞った。


 突き出された粗末な槍が牛蒡ごぼうのように両断される。それを持つ腕が、それに繋がる胴体が、根菜のように輪切りにされる。

 剣速といい切れ味といいすさまじい剣舞だ、背中を守るまでもない。この強さはロッドベリー随一と噂されるジェダさんどころではない、飲んだくれエブリウスさんでも比較対象にならないだろう。もしかすると人類の希望と称えられる神聖勇者セイクリッドさんや黒の勇者アトムールさんに比肩するかもしれない。




 瞬く間に十匹余りの小鬼ゴブリンを片手でほうむったエクトール君は、洞穴から姿を現した赤い巨体と対峙した。


 食人鬼オーガー。見上げるような巨躯に分厚い筋肉の鎧、赤い表皮をもつこの妖魔は、文字通り人を喰らうこともあるという。知能は小鬼ゴブリンよりもやや低いが見た目通り強靭な肉体を誇り、熟練の戦士でも一人で挑むのは危険とされている。


「どんなに大きくても同じさ!」


 やはりおかしい。彼は自信家ではあっても相手を甘く見るような人ではない、ましてや強大な相手を前に武をたのむなど考えられない。

 ただその自信は根拠の無いものではなかった。左手に握った剣で棍棒を鮮やかに受け流し、返す一刀で丸太のような腕を斬り飛ばす。振り上げられた足を半ば両断し、正面から腹部を深々と切り裂く。


 だがそれは左手に握った剣に引きずられるような動き。凄まじい剣の冴えとは対照的に素人のような体捌たいさばき。返り血を浴びて向き直ったエクトール君は、刃毀はこぼれどころか血糊ちのりすらついていない剣を不自然な所作で右腰に収めた。

 彼にそれを隠す気はないのだろう、私も今更ながらに問わずにはいられなかった。


「エクトール君、あなた左利きだった……?」


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