左利きのエクトール(二)

 一度イスマール侯爵邸に立ち寄り、侯国勇者となったエクトール君の所在を聞いた私はすぐにその地に向かった。


 小麦を主に産するウラムという小さな町に食人鬼オーガーが現れ家畜と人を襲った、彼がその討伐を引き受けた、という話に私は少し驚いたものだが、案ずることはないのかもしれない。武勇はなくとも智謀に優れた彼のこと、その名の通り人を喰らう恐るべき妖魔に対しても勝算があるのだろう。他の誰にもできない勇者のり方を示すエクトール君を私は尊敬している。




「うわ……」


 町の入口にさらされていたのは、二本の角がついた巨大な鬼の首が二つ。私が一人で持ち運べるかどうかというそれは半ば腐敗して目玉が無く、元は赤かったであろう皮膚も茶色に変わっていた。


 察するにもう討伐を終えたのだろう。さすが智謀無双の勇者だと誇らしく思うのと同時に、私はちょっとした違和感を覚えてもいた。

 彼は妖魔を倒しても首をさらすような真似はしていなかった。小鬼ゴブリン肉食兎リルビットも証拠として体の一部を切り取り保管していたことはあるが、その死体は必ず地中に埋めていた。討伐の証拠を示すためだとしても腐敗するまで放置する必要はないはずだ。


 ただ今はそれよりも焦りが先に立った。もしかするとエクトール君と入れ違いになってしまったかもしれない、そうなればまたイセルバードに戻って彼の所在を聞き直さなければならない。




 幸いなことに、彼の姿はすぐに見つかった。人伝ひとづてに聞いた酒場の長席カウンターに座る小柄な姿、幼さの残る顔、間違いない。


「やあ、リナさんじゃないか。こんな所までどうしたんだい?」


「エクトール君に伝えたいことがあって。もう食人鬼オーガー討伐は終わったの?」


「二匹仕留めたところだけど、もう一匹残っているらしいんだ。せっかく来たんだ、明日一緒に行こうか」


 事もなげにそう言ってしまう彼はやっぱり頼もしい。食人鬼オーガーといえば筋骨隆々の巨大な体躯の妖魔で、知能の低さから魔兵レム級に分類されるものの、並みの兵士では五人がかりでも倒すのは難しいはずだ。


「ふうん、さすがだね。今回はどんな手を使って倒したの?」


「別に。大した相手じゃないからね」


 ……おかしい。この子は秘密主義ではなく、むしろ自分の考えを人に聞いてもらうことを好むはずだ。まして相手が私なら遠慮なく得意気に話してくれると思ったのだけれど。そう思ってもう一度聞き直そうとしたところ、大きな声にはばまれた。


「よう、勇者様! 小さななりして凄えんだな、麦酒エールでもおごらせてくれよ」


 振り返ればいかにも仕事帰りの農夫という男の人が麦酒エールを満たした木杯ジョッキを差し出している。頷いたエクトール君が杯を受け取り頭上に掲げると、店じゅうから歓声が上がった。


「若き侯国勇者様に乾杯!」


「乾杯!」


 私はその喧騒けんそうをよそに、エクトール君を観察していた。麦酒エールにほとんど口を付けていないところを見ると相変わらずお酒には弱いようだ、この対応は愛想が良くなったと見ることもできるだろう。

 でもこの違和感の正体は何だろうか? そもそも彼はお酒を飲まず食にもこだわりがなく、わざわざ人が多い酒場などに好んで出入りするような人物ではなかったはずだが……




 不意に私はそれに気付いた。右手でジョッキを持ったエクトール君がそれを長席カウンターに置こうとしたとき剣の柄に肘がぶつかり、僅かに中身をこぼしたのだ。

 彼は右腰に剣を提げている。しかもあの白銀色のさや、細部まで施された繊細な装飾、一度見てしまえば目が離せなくなるほどの存在感。


左利きの剣聖シニストラ……!」


 魔人ペイルジャックとおぼしき商人が私に与えようとした神託装具エリシオン、『左利きの剣聖シニストラ』に間違いない。あれが何故エクトール君の手に?




 私は彼にポタ村の件を伝えることを失念していたわけではなかった。だがこの神託装具エリシオンを見て躊躇ちゅうちょした。彼をどこまで信用して良いものか、と。

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