左利きのエクトール(一)


 春の花々がその役目を終え、勢いよく伸びた白樺しらかばの木に黄緑色の葉が茂る。もはや春とは呼べないが夏というにはまだ早いこの季節、ロッドベリー周辺では人と物の往来が一層盛んになる。


 だがそれは妖魔や野盗の動きが活発になることを意味してもいる。小鬼ゴブリン討伐、隊商の護衛、村の自警団の教練、いくつか勇者らしいお仕事を終えて行政府に戻った私は、そこで不穏な噂を耳にした。


「ポタ村が全滅……?」


 昨年エクトール君が拠点化したところに私が合流し、無傷で小鬼ゴブリンの群れを撃退した村だ。村の周辺に柵と土塁を巡らせ、見張りやぐらや武器庫を整備し、自警団を組織して投石用の石を集積してもいた。エクトール君が考えたあの設備はそう易々やすやすと突破されるようなものではないはずだ、何かの間違いではないか。そう思った私は現地調査に行かせてもらえるよう危機管理課に願い出たものだが……


「少々お待ちください」


 窓口の無気力トルパールさんにそう告げられた私は「少々」待たされた。四日間という時間は行政府にとって少々というらしい、とは私らしくもない嫌味な感想だったろうか。無気力トルパールさんが暇を見つけて上司にそれを伝え、上司はそのまた上司に伝え、最終的に太守様の判断を仰ぎ、それが上司の上司を通して上司から無気力トルパールさんに伝えられた……と考えればそれくらいの時間は必要なのだろう。


 とはいえこのような勇者からの嘆願たんがんが聞き入れられるのは非常に珍しい。それなりの報酬が頂けるとなれば尚更なおさらだ、行政府としても危険な場所に職員を派遣することなく噂の真偽を確かめたいと考えたのだろう。ただし報酬は五万ペタと必要最低限で、旅費をよほど切り詰めなければ足が出てしまう。


 だがそこは私のことだ。乗合馬車など使わず走れば良い、食事つきの宿など使わず相部屋に素泊まりで良い。そうしてたどり着いたポタ村の様子は……




「そんな……」


 崩れた土塁、砕け散った柵、焼け落ちた家、エクトール君や村の人達と協力して作り上げた設備ばかりか村そのものが跡形もなく破壊されていた。一緒に武器庫を作った大工のリベラさん、自警団に参加してくれたきこりのダリオさん、彼らは無事だろうか。

 その時、形をとどめている家の陰で人影が動いた。村の生き残りがいたのか、それとも……


 街道をれて慎重に村に近づき、低木の陰から様子をうかがう。廃村となったポタ村でうごめく人影は……


小鬼ゴブリンか……」


 小鬼ゴブリン、茶色とも緑色ともつかぬ体表の妖魔。彼らが村の中をうろついているという事は、もはや人間ファールスがここに住んでいない事を意味する。

 どうやらポタ村が全滅したという噂は間違いではなかったようだ。だが昨年拠点化されたこの村は小鬼ゴブリンの襲撃程度では小動こゆるぎもしなかったはずだ、何か理由があったに違いない。




 そう考えた私が向かったのは、ポタ村から最も近いチャクシェという町。さすがに二千余りの人口を抱えるこの町は無事だったようだが、南北それぞれの入口は槍を持った兵士さんが厳重に警戒している。


 重苦しい雰囲気が町を覆っているのは重く垂れこめた雨雲のためだけではなく、ポタ村を襲った妖魔におびえてもいるのだろう。この町には思った通りポタ村から逃げ込んできた人が何人かいて、猟師のソダさんという方から話を聞くことができた。


「まだ日陰に雪が残っていたので、四十日ほど前だったと思います……」


 顔や手に生々しい傷が残るソダさんの話では、ポタ村はまだ残雪が解けきらない頃、妖魔の群れの襲撃を受けて全滅したという。

 あの日小鬼ゴブリン豚鬼オークなどの魔兵レム級妖魔を率いて現れたのは、猛禽もうきんを思わせる頭部、細長い手足と尻尾、背中には四枚の羽、見たこともない邪悪な容貌の妖魔。それは頭上に浮かべた巨大な火球を投げつけ、左右の手にそれぞれ剣を持って圧倒的な力で瞬く間に防衛設備を突破。私達が組織した自警団もろくに時間を稼ぐことすらできず、運の良い者が散り散りに逃れただけだったという。


「またペイルジャック……」


 どうやらその妖魔には心当たりがある。大討伐やラウドルック遺跡探索の際に遭遇した魔軍将アーク・レムレス級妖魔、魔人ペイルジャック。強力な攻撃魔法と双剣を操り、人間ファールスに擬態する恐るべき敵。つい先日イセルバードで声を掛けてきた商人もおそらくそうだと思うが、確証は無い。




 ソダさんと別れた私は、ロッドベリーに帰る道中で考えを巡らせた。


 そもそもロッドベリー砦の南側は私達人間ファールスの領域であり、活動する妖魔の数はそれほど多くはないはずなのだが、人間に擬態できる妖魔となればその数など把握しようがない。ポタ村を滅ぼした個体とイセルバードに現れた個体が同じものか、その目的は何なのか……


 もしペイルジャックがポタ村に残っているならば奪還は現実的ではないし、奪還したところで生き残った村人が少なすぎて住む人がいない。そのあたりは行政府が判断するとして、私はどう行動すべきか。まずはこの事実をあの子に伝えて……あとは考えてもらおうと、私はちょっと甘えた結論を出した。


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