侯爵様の茶番劇(三)

 イスマール侯爵の居城はイセルバード市を見下ろす丘の上にあるため、長い長い上り坂を上らなければならない。そのため護衛の一人が馬を下り、私達が乗る馬車を二頭で引いて坂を上る。それでも馬が気の毒になるほどの坂道で、とうとう私は馬車を降りて「がんばって!」と馬の首を撫でつつ自分の足で歩くことにした。


 砂岩と煉瓦れんがで造られたお城はいくつもの四角形を組み合わせたような形で、一番高い所では私の背丈の十倍以上あるかもしれない。

 このお城には飲んだくれエブリウスさんの補佐を務めていた頃に何度も来たことがあり、今日の門番さんとは顔見知りだった。パニエさんが馬車の窓から顔を出して通行の許可を願うその横を笑顔で手を振って通り過ぎる、だが私はここに連れて来られた理由をまだ知らない。




 古めかしい調度が並ぶ応接室で待つことしばし、パニエさんと共に現れたのは当主オルブレヒト・アウル・イスマール侯爵。相変わらず痩せ気味で背が高い白髪のご老人で、開襟シャツにスラックスという一般人のような出で立ちだが、衣服にきっちりと折り目がついていること、その素材の良質さがこだわりを感じさせる。


「久しいの、ロッドベリー勇者リナレスカ。あの時の小娘が立派な小娘になりよったものよ」


「あ、は、はい! 覚えていてくださったんですね!」


 侯爵様にはこの応接室で何度か会ったことがある。大抵は飲んだくれエブリウスさんが報酬を受け取りに来る際について来たものだが、ただの補佐だった私を覚えていてくれているとは、しかもロッドベリー認定の勇者になっていることを知っているとは思わなかった。


「さて、エクトール・レーベル。試すような真似をして悪かった、良ければお主を侯国勇者に認定するが、どうだ?」


「今の僕は勇者リナレスカの補佐です。主人の許可がなければお答えするわけには参りません」


「え? なに? どゆこと?」


 三人に顔を向けられた私は何が何だかわからず、両の目と両の掌をいっぱいに広げるだけ。助け船を出してくれたのはパニエさんだった。


「ほら、おたわむれが過ぎるんですよ。侯爵様は」


「わはははは! すまんの、若者には試練が必要と思うてな」


「これは試練ではなく茶番というのです」


 侯爵様を相手に手厳しいことを言うパニエさんはこれまでのふわふわした雰囲気を脱ぎ捨て、口調どころか顔つきや目つきまで謹厳さを感じさせる風貌に変わっていた。

 これまでのことをびて頭を下げる彼女は侯国騎士で、最初からこの依頼はエクトール君の資質を見抜くための審査だったそうだ。


「ええ……エクトール君はいつから気づいてたの?」


「最初からだよ。いくらでも怪しいところがあったじゃないか」


 そうだったろうか。いくら頭をひねってもわからない私にエクトール君が言うには、裕福な商家ならば信用できる女性の護衛を自前で用意することも可能なはずだ、私だけを指名するならともかく補佐まで名指しで依頼するのは不自然だ、宿泊先などの質問に対する答えが明確すぎるのは最初から答えを用意してあったからに違いない、イセルバードのベネッタといえばイスマール侯爵家直営の店であり、それを営むのは中年の女主人ではなく六十歳を超える侯爵の妻だったはずだ、自前の護衛が全く機能していなかったのは僕達の仕事ぶりを見るためだろう、それから……他にも色々あったらしい。


「このような茶番に付き合わせてしまい申し訳ありません、勇者エクトール。聞きしに勝る洞察力、さすがはあのリットリアの推薦だけありますね」


「そういう訳だよ、リナさん。僕だけじゃパニエさんもつまらなかっただろうけど、きみの反応は楽しんでくれたと思うよ」


「ふにゃああああ!」


 茶番劇にすっかりだまされる私を思い出したのか、人の悪い笑い方をするエクトール君。もはやどんな反応をすれば良いかわからなくなった私は、頭を抱えて柔らかい客椅子に倒れ込んでしまった。




 翌日の認定式典では一見太々ふてぶてしく見えたエクトール君だが、私にはわかる。頬を紅潮させて表情を消すのは彼が本当に喜んだ時に見せる仕草だから。


 彼はこれで飲んだくれエブリウスさんと同格になったことになる。彼の才能を思えば当然のことだ。

 しくも私はリージュ、エクトールという英雄のひなを二人も補佐としていたことになる。また一人になるのは寂しいけれど、その力に相応ふさわしい舞台に立った二人を祝福したい……




「失礼。勇者リナレスカ様ですね?」


「はい、あなたは……?」


 イセルバード市郊外。見た目の通り旅の商人であると告げたその若い男性は平凡な名前を名乗り、何の表情も浮かべないまま口だけを動かした。


「あのエクトールなる者、補佐たる分際ぶんざいを忘れ、主人を差し置いて侯国勇者となるは何たる身の程知らずな振舞い。心中お察し致します」


「え? 私はそんな……」


「つきましては、リナレスカ様に相応ふさわしい力をご用意しております。この神託装具エリシオン左利きの剣聖シニストラ』があれば、力も身分も思いのままでございましょう」


 そう言って商人さんは一振りの直剣ブロードソードを差し出した。飲んだくれエブリウスさんの剣、リージュの叡智の杖、身近で本物の神託装具エリシオンを見てきた私には一目でわかる。目に見えぬ無形の圧力、目が離せなくなる存在感、これはまぎれもない本物だ。

 そして……模倣魔人ドッペルゲンガー、魔人ペイルジャック、人間ファールスに擬態する妖魔を見てきた私には何となくわかる。確証は無いがこの商人は妖魔だ。


 慎重に表情を消したが背中を汗が伝う。模倣魔人ドッペルゲンガーであればまだ良い、知性も身体能力も私達人間ファールスに大きく劣るから。しかしペイルジャックであれば全く勝ち目が無い上に、こんな街中で戦えば市民を巻き込んで大惨事になってしまう。それにこの高度な会話、本物の神託装具エリシオン……まずペイルジャックに間違いない。


「あ、あはははは……買いかぶりです。エクトール君は侯国勇者になって当然ですし、私なんかが神託装具エリシオンを持ったって駄目ですよ。宝の持ち腐れです」


「何をおっしゃいますか。魔人ペイルジャックをたおした勇者に相応ふさわしい武具でございましょう」


 決まりだ、この商人はペイルジャック。ラウドルック遺跡で魔人ペイルジャックと遭遇した一件は行政府に報告したものの、証拠不十分として公式記録には残されていない。それを知っているのはジェダさんやアリスタさんなどごく一部の勇者とペイルジャック本人のみ。あの時の個体は確かにたおしたはずだけれど、この魔人は個体間で意識や記憶を共有しているのだろうか。あるいは……


「いやあ、神託装具エリシオンには代償デメリットがあるんでしょう? 怖いからやめておきます」


 探るような目を向けてくる自称商人に別れを告げて、私は歩き出した。背後の気配が遠ざかり、雑踏に紛れてようやく息をつく。

 この時私は恐るべき敵から逃れたことで安堵あんどしてしまい、後のことを考えていなかった。あの魔人が何を目的としており、次に誰を目標とするのか……




「侯国勇者エクトール様ですね? このたびは認定おめでとうございます。つきましては、その身分に相応ふさわしい武具をご用意しました」


「失礼ですが、どなたですか? 面識は無かったと思いますが」


「旅の商人でございます。どうかこの神託装具エリシオンをお受け取りください」


「見ず知らずの方からそんな貴重な品を受け取るつもりはありません。どうしてもと言うのであればイスマール侯爵を通してください」


「さすがは卓絶した智謀をたたえられる御仁ごじん、用心深い。しかしその智謀をもってしても、ポタ村の末路はご存じありますまい」


「末路だって……?」


「左様、かつて貴方あなたが妖魔どもの手から救った村にございます。かの村はつい先日……」

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