侯爵様の茶番劇(二)

 行政府の外で待っていたのは実用的な馬車。王侯貴族が使うような装飾過剰なものではなく、商人が愛用するような収納空間が大きいものでもない。高級将校が現地視察に向かう際に使うような軍用に近いものだ。私達の他にパニエさんの護衛が三人、二人が騎乗し一人が交代で馭者ぎょしゃを務めるという。


「あらあらどうも、ありがとう」


 依頼者であるパニエさんの手を取って馬車に乗る手伝いをしたのだが、やっぱりその掌は硬くてがさついている。ぽっちゃりした中年女性という見た目には似つかわしくない、どこか体調が悪いのではないかとも思うけれど、やたらと血色の良い頬がそれを否定している。


「さあさあ、焼き菓子でもどうぞ。お菓子作りが趣味でね、張り切ってたくさん焼いてきたのよ」


「うわあ、ありがとうございます!」


 パニエさんがバスケット一杯に用意してくれた色々な形のクッキーを満面の笑みで頬張りつつ世間話に花を咲かせる私、その一方でエクトール君はお菓子を断り周囲を警戒していた。彼は質問されれば答えるしお話に相槌あいづちは打つけれど参加してこないという様子で、愛想担当は私なのだなと理解してまたクッキーを頂く。それはさっくりと口の中でほどける上品なものだけれど、容赦なく甘い。この人の体型は大量のお砂糖のせいかと妙に納得したものだ。




 夕刻に到着したテルべ市は人口約三万。ロッドベリーとは比較にならないほど小さな町だが、二つの主要な街道が交わる交通の要衝であるため物流の拠点となっており宿屋の数も多い……とはやはりエクトール君からの情報だ。優秀な補佐がいるとつい自分で調査する手間を惜しんでしまうのは我ながら悪い癖だと思う。


「ちょ、ちょっとパニエさん、どこ行くんですか!」


「あらまあ、ごめんなさいね。美味しそうな匂いがしたのでつい」


 馬車から降りるなりふらふらとクレープの屋台に誘い込まれたパニエさんは、っぺたにクリームをつけたまま満面の笑顔で戻って来た。護衛対象を見失っては大変と手を引いて戻ると、宿の前で護衛の方々と仏頂面ぶっちょうづらのエクトール君が待っていた。


 この依頼者のおばさんはずいぶんと自由な方のようで、夕食の後にお土産を買うと言っては雑然とした街路に踏み込み、雑踏の中でふらりと消えかける。美味しい匂いがすると言っては屋台で何かを買い食いして私に半分くれる。十分に気を付けているはずなのにいつの間にか人混みに紛れて見えなくなり、慌てて探すと「これ似合うかしら?」と言って試着した上着を披露する。


「ごめんなさいねえ、落ち着きがなくて。そろそろ宿に戻るわね」


「待ってください! 宿はこっちです、こっち!」


 それに加えてエクトール君の様子もおかしい。依頼者の護衛は私に任せっきりで、パニエさんに振り回されて帰って来た私を見ても「大変だったね、それじゃ」と言って自分の部屋に戻ってしまう。彼は手厳しいところがあるし私に対する扱いは雑だけれど、初対面の人には丁寧に対応していたはずだ。出会った頃の私に対しても、行政府の職員さんに対してもそうだった。

 だがこのパニエさんに対しては最初から交流を半ば断っている。わざわざ指名してくれた依頼者、それも今後の指名も期待できるというのに何故だろうか。本人に聞いてみたいところだけれど常にパニエさんが一緒にいるし、その彼女もなんだか落ち着きがなくて目が離せない。


 旅服のまま剣を抱えて寝台に横たわる。今日はずいぶんと疲れたけれど、危なっかしくて挙動不審な依頼者と二人部屋では油断できないと思ったからだ。この人のことだ、夜中にお腹がすいて屋台で買い食いなどしかねない。

 寝る間際までしきりに話しかけてくるパニエさんに適当に相槌あいづちを打ちながら、いつしか私は眠りに落ちていた。目覚めたとき剣も毛布も床に落ちていたのは私の寝相が悪いだけで、夜中に何かが起きたわけではない……と思う。




「リナさん、寝不足かい?」


「うう……知ってるくせに」


 気苦労と寝不足で疲労困憊こんぱいの私を見て苦笑いするエクトール君、構わずひっきりなしに話しかけるパニエさん。気の抜けない旅は二日目も続いた。

 どうやら依頼者当人も護衛の三人も危機意識が薄いらしく、この日は道を間違って山岳地帯に迷い込み、エクトール君に指摘されなければ翼人族ハルピュイアという人間ファールスに敵対的な半獣人の生息域に入り込むところだった。


 そして極めつけは夜、ルルザの町の宿屋でお風呂に入った後だ。まだ私は髪が乾ききらないというのにパニエさんがふらりと脱衣場から消えてしまい、大慌てで後を追うと露台バルコニーで星を見ていた。通りから丸見えの場所なので警戒を怠るわけにもいかず、私は寒さのあまり毛布をかぶってがちがちと歯を鳴らしつつ周囲に気を配ったものだ。大概たいがい私も天然だとか変な奴だとか言われるけれど、いくら何でもこの人よりはましだと思う。




 そんなわけで三日の行程を終えてイセルバードに到着した頃には、私はすっかり疲れ切っていた。

 この町は飲んだくれエブリウスさんの補佐を務めていた頃に何度も訪れたことがあるけれど、当時を懐かしむ余裕もありはしない。パニエさんはこれから何度も護衛を頼むかもしれないと言っていたが、次があっても引き受けるべきかどうか慎重に考えなければならない。


「二人ともお疲れ様。無事イセルバードに着いたことだし、一緒に昼食にしましょう」


 パニエさんはそう提案したものだが、エクトール君の返答はにべもないものだった。


「もういいでしょう。何ならすぐに本当の目的地に向かってもらっても構いません」


 この子は何を言っているのだろう、言葉の意味がわからない。私達の目的地はなんとかいうパニエさんの服飾店だったはずなのに、他に行くところがあるのだろうか。


「あらそう? 連れない子ねえ」


 だがパニエさんは何故か納得した様子。前方の窓を開いて馭者ぎょしゃさんに一言告げると、馬車の中は急に静かになった。

 訳がわからず戸惑うばかりの私を含めた三人はそれから一切いっさい口を開くことなく、馬車は目的地だと聞いていた服飾店を素通りして侯爵様の居城に続く坂道を上り始めた。

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