対空戦闘用意(六)

 この北側城壁第三射台においては二匹の幼龍ドラゴンパピーを撃退したが、戦況は決して楽観できるものではなかった。第一および第二射台は全滅、隣の第四射台では未だ翼龍ワイバーンと交戦中。第五射台は……


「第五射台、火龍ファイアードラゴンにより壊滅!」


 その報告は事実の表層を簡潔に表していたが、内容は凄惨を極めるものだった。人か物かもわからぬ黒焦げの何かが赤い尻尾をまともに受けて撥ね飛び、城壁の下に落下していく。思い上がった人間ファールスを喰らい尽くさんと上げた咆哮に空が震える。




「リナさん、動けるかい?」


「もちろん! 手を貸して!」


 重傷を負った射手さんを二人で抱え上げて胸壁にもたれさせ、代わりに私が射手席に着いた。座席が血でぬめったような気がする、射手の訓練も一度受けただけだがそんな事に構っている場合ではない。


「ええと……」


固定具ロックの操作は足元だ。落ち着いて、きみならできる」


 なんだか格好良いことを言うエクトール君にうなずいて、射撃の手順を確認する。照準手さんが二人とも無事だったのは幸いだったが、固定式のクロスボウはその威力に比例して矢の装填に時間がかかるのが弱点だ。

 もう動かなくなった連絡員さんからエクトール君が血染めの旗を受け取り、司令部に向けて緑の旗を大きく振る。これは『攻撃可能』の合図。




 巨大な体躯、残忍極まる知性、砂岩の城壁をも焦がす灼熱の炎。再び空に舞った赤い龍はその巨体を兵舎に沈ませ、狂ったように炎を吐き散らし、焼け焦げた瓦礫の中から人間ファールスの死体を探し出してむさぼり喰らう。復讐の血に酔った咆哮が騎兵隊の馬をひるませる。


 砦の各所から火の手が上がる。堅牢なはずの軍事施設が脆くも崩れ去る。人の知恵と龍の力が互いを蹴落とさんとする。我こそが世界の覇者であると主張し合う中、ひときわ大きな絶叫が響いた。砦中央部からの射撃を受けた火龍ファイアードラゴンが苦痛の咆哮ほうこうを上げたのだ。

 この戦いが始まる前のエクトール君の言葉を思い出す。そうだ、もはやドラゴンは無敵の魔獣じゃない。今日この戦いで人間ファールスドラゴンに打ち勝つんだ。


「一八〇度旋回、仰角ぎょうかく〇度!」


「了解!」


 指示を発したのはエクトール君、答えたのは私、何も言わず従ってくれたのは照準手の二人。指揮官どころか正規兵でもないただの勇者補佐が目標を選定し攻撃準備を行うなどもちろん越権行為だが、指示を下すべき連絡員は既に動かなくなっており、彼の声には有無を言わさぬ威厳と自信が備わっていた。


 怒り狂う火龍ファイアードラゴンは力強く羽ばたき、矮小わいしょう人間ファールスむくいを与えるべく舞い上がる。怒りの咆哮ほうこうを上げ、小さく旋回しつつ砦の中央へ。そこには小癪こしゃくにも指示を下す者がいることを、知性に優れたドラゴンは悟っていた。


 業火にて焼き尽くさんと一杯に口を開ける火龍ファイアードラゴン。その姿におびえる人間ファールスどもを目にして、彼は小気味良く感じていたことだろう。

 だが敵の知性が高いほど、さらに智謀に優れた者にとっては行動を予想しやすくなる。間近に迫る恐怖の象徴を目前に腕を組んだままのリットリアさんも、その上空を狙点に示したエクトール君も、完璧にドラゴンの行動を予測していた。リットリアさんは自身を餌に獲物を誘い出したのだ。




 巨大な赤い生物が射線に入る。両の手に力を込め、迷わず引金を引く。強烈な反動と共に矢が射出される。それが糸を引くように赤い巨体に吸い込まれていくのを、私は確かに見た。


「——————!!」


 とても私達人間ファールスの言葉では表記できない絶叫、それが示すのは怒りではなく苦痛と恐怖。火龍ファイアードラゴンは司令部の建物をかすめて地上に落下し、施設のいくつかを破壊した。のたうち回る巨体がさらに被害を拡大させる。


「次弾装填!」


 エクトール君の明確な指示で我に返り、背後の矢筒から巨大な金属製の矢を三本取り出す。二人の照準手が鋼をより合わせて作られたワイヤーを巻き上げる。足元の金具でそれを固定ロックして矢を装填、両手で血染めの引金を握る。


「射撃準備よし!」


「攻撃目標、火龍ファイアードラゴン! 照準合わせ!」


 目標となったドラゴンはもはや飛行能力を失ったが、なおも体をくねらせ、闇雲に炎を吐き出して地上部隊を近寄らせない。強大な捕食者の力は地に堕ちてなお圧倒的で、このままではロッドベリー砦の全域に被害が及ぶかもしれない。

 だがその牙も爪も炎も、この城壁の上までは届かない。経験したことのない苦痛にもがき苦しむその巨体の中心を、照準を示す金属の突起に重ねた。


「照準よし!」


 不思議と昔のことは思い出さなかった。あの赤いドラゴンが両親を、幼馴染を、村を……などという思いにとらわれていたら冷静さを失い、射撃の手順を誤っていたかもしれない。アルカディアで見た銀色の龍は確かに私の心に区切りをつけていた。


ち方はじめ!」


 赤い旗が振り下ろされる。引金を引く。金属製の留金とめがねが外れる。反動で姿勢を崩してしまったためその瞬間を見ることはできなかったが、間違いようのない手応えがあった。

 射手席で引金を握ったまま、呼吸を乱したまま、狙点の先を見つめる。地上部隊の騎兵槍ランスに貫かれてついに動かなくなった巨体を見下ろして、今さらながらに手が震えてきた。


ち方やめ!」


 ドラゴン人間ファールスの血にまみれた両手を見つめる。あの赤いドラゴンたおした。私がこの手で殺した。数多あまたの命を奪った命を、私達が奪った。

 たぶん様々な感情が一度に押し寄せてきてとても整理しきれなかったのだろう、私は何の表情を浮かべることもなくただそこに座っていた。




 大陸歴二一九年一〇七日。この日の出来事は歴史の転換点として、様々な視点で語られることになる。


 人間ファールスドラゴンに打ち勝った日として、ロッドベリー砦が難攻不落の名を輝かせた日として。そして、勇者エクトール・レーベルが世に出た日として。

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