対空戦闘用意(五)

「北方より有翼生物の接近を確認、数は三……いや、多数!」


 対空戦闘用意の命が発せられ、にわかに慌ただしくなるロッドベリー砦。待機状態にあった私達も城壁に駆け上がりその姿を認めた、その頃にはさらに情報が修正されていた。


翼龍ワイバーンらしき大型有翼生物が三、その眷属けんぞくらしき小型が十から十二」


 先日は敵の油断もあり、訓練の甲斐かいあって難なく翼龍ワイバーンを仕留めたロッドベリー砦だが今度は三体、しかも多数の眷属けんぞくを引き連れているという。


 私だけでなく北側城壁第三射台の面々にも緊張が走ったものだが、エクトール君だけは逆に安堵あんどの表情を浮かべていた。後にその理由を聞いたところ、彼には不安が一つだけあったという。

 それはドラゴン人間ファールスそのものを復讐の対象と捉え、都市を襲う可能性。大都市ロッドベリーや首都イセルバードではそれに備えて防空設備を増強し魔術師も常駐しているが、他の町村が襲われれば為すすべがない。彼らがこのロッドベリー砦を復讐の対象としてくれるかどうかは、リットリアさんとエクトール君にとって一種の賭けだったという。


「あれは……」


 複数の視線が一点に集中する。接近しつつある有翼生物の群れの中央、ひときわ大きな翼を広げる影。その姿は弱々しい陽光を反射するたびに赤くきらめく。その口から人間ファールスにとって意味を為さない咆哮が上がり大気を震わせると、人々はどよめいた。


火龍ファイアードラゴン!」


 私は頭の中が真っ白になった。両親を、幼馴染を、村を喰らい尽くしたあの赤いドラゴン。リグリット山地の擬態獣パレイドリアが見せた幻とは違い、それは圧倒的な存在感を持った現実としてここにる。


「問題ない。この対空装備は火龍ファイアードラゴンを仮想敵として改良したんだ。通用しない訳がない」


 落ち着き払ったその声に我に返ると、少年のような顔立ちの勇者補佐は平然と皆の視線を受け止めていた。


「僕達の矢は必ず火龍ファイアードラゴンの鱗を貫く。今日この戦いで常識は変わる。人間ファールスの知恵がドラゴンの力を上回るんだ、必ず勝とう」


 本来ならばそのような発言は許されない、射台の護衛を務める勇者の、さらに補佐。だがその自信と勇気は周囲を圧倒した。

 昨年の『大討伐』でリージュが見せた雄姿が彼に重なる。私はまた歴史上の英雄が誕生する瞬間を目にしているのかもしれない。




「目標、正面の火龍ファイアードラゴン! 照準合わせ!」


 急病とやらで病院に引っ込んだ司令官の代理を務めるリットリアさんの声が聞こえたわけではない、司令部からの手旗信号を受けた連絡員がそう告げた。誰もが鼓動を早め、掌に汗を感じつつしばし無言の時が流れる。


ち方はじめ!」


 三連装十四基のクロスボウから四十二本の矢が放たれ、その多くは狙いたがわず火龍ファイアードラゴンに、翼龍ワイバーンに命中した。

 だが十本に近い矢を全身から生やした火龍ファイアードラゴンは速度を落とさず、旋回しつつ高度を下げる。いかに高性能のクロスボウとはいえ装填には時間がかかり、素早く旋回する目標に対しては照準が定まらない。いくらかの損害をこうむりつつも追従する二匹の翼龍ワイバーンと十匹を超える眷属けんぞく。彼らは決して低くない知性を有すると見えて、広く散開しつつ射台を優先的に狙ってきた。その手に手旗を持ったままの連絡員が悲鳴を上げる。


「直上より幼龍ドラゴンパピー!」


 幼龍ドラゴンパピー。その名の通り幼年期のドラゴンだと考えられているが、人間ファールスをはるかに上回る寿命を有するドラゴンはその生態が解明されていないため実際のところはわからない。

 体表を覆う鱗の色は赤、緑、青と様々で、おそらく生息地の影響によるものと考えられている。体長も約二メートルから四メートルと個体ごとのばらつきが大きく、それは戦闘能力に直結する。共通する特徴としては翼による飛行能力、鋭い牙と爪、長大な尻尾を有し、口から高熱の炎を吐き出す……つまりその戦闘能力は極めて高い。




 幼龍ドラゴンパピーが上空から急降下し、間近に迫る。固定具ロックを外すのに手間取った私はその姿に肝をつぶしたが、一瞬の選択が勝敗を分けた。

 人間ファールスどもの武器が届かぬ空中で停止し、灼熱しゃくねつの炎を浴びせるべく息を吸い込む幼龍ドラゴンパピー。だが私はその間に固定具ロックを解除、正確に狙いを定める間を惜しんですぐに引金を引いた。鱗に覆われていない首元と胸に二本の矢を受け、炎を口元に溜めたまま城壁に激突してずり落ちていく小型のドラゴン


「あ、あぶなかったあ……」


「リナさん、上だ! もう一匹来る!」


 クロスボウを手放したエクトール君が言う通り、もう一匹の幼龍ドラゴンパピーが再び上空から急降下してくる。先ほどの個体よりも二回りほど大きいだろう、人間ファールスどもが恐るべき飛び道具を持っていることも理解したのだろう。今度は鋭い牙と爪で引き裂くべく勢いを落とさずに迫る。


「防衛装置作動!」


 エクトール君の指示に対して最も早く反応したのは私だった。城壁に掛けてあった手斧を手にすると、自分の腕ほどもある綱に向けて力いっぱい振り下ろす。

 切断された綱で保持されていた巨石が重々しい音を立てて落ち、反動で三メートルほどもある木枠が跳ね上がった。木枠に張り巡らされている網に自ら飛び込む形になった幼龍ドラゴンパピーは身動きを封じられ、私が投げつけた手斧とエクトール君の短槍をその身に受けて苦痛のうめきを漏らした。


 だが幼年期とはいえドラゴン、その生命力は私達人間ファールスの比ではない。鮮血を噴き出しながらも炎を吐き出し、身をよじらせて荒れ狂う。射手さんとエクトール君がその鉤爪を受けて城壁の上に転がった。




『戦闘中は気を散らすな。負傷した仲間を助けるのは自分の安全を確保してからだ』




 師匠の言葉を思い出す。つまり今はこのドラゴンとの決着をつけるのが先だ!


「やあああっ!」


 吐き出された炎を搔いくぐり、腹部に長剣を埋め込む。だが体長四メートルはあろうかという巨体にこれでは致命傷にならない。反撃の爪が振りかざされる。




『迷うな。退くな。られる前にれ』




 埋め込んだ長剣をそのままに逆手に握り替え、体重をかけて真下に切り下げる。大量の血と臓物が溢れ出し、城壁の上に血溜まりを作った。振り下ろされた爪が頭をかすめて視界が朱に染まる、その中で崩れ落ちる幼龍ドラゴンパピー


「第一射台、火龍ファイアードラゴンにより全滅の模様!」


「第二射台、応答なし!」


「北側兵舎損壊!」


 次々ともたらされる報告の中に戦況の好転を示すものは一つも無い。復讐の雄叫びに空を震わせる赤い龍、あの日と同じだ。


 でも、と後ろを振り返る。頭部を赤く染め上げながらも立ち上がるエクトール君、曇天にやじりきらめかせるクロスボウ。もう私はあの日と同じドラゴンの餌じゃない、大切な仲間がいる、赤い鱗を貫く力がある。お前を殺して喰らうのは、私の方だ。

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