対空戦闘用意(四)

 小さな黒い点であったそれは次第に大きくなり、やがて翼ある者の形をとった。


 悠然と空を舞う翼龍ワイバーン、それはあの日の光景によく似ていた。固定式クロスボウの引き金を握るのは私ではないというのに手に汗がにじむ、鼓動が大きく早く打ち鳴らされる、思わず目をつむりそうになる。

 でも今日は違う、もはや私達人間ファールスドラゴンに狩られ喰われるだけの存在ではないのだ。それを証明する戦いが今始まる。


「目標、砦正面の翼龍ワイバーン! 照準合わせ!」


 その司令部からの合図を連絡員が受け取り、射手と照準手に伝える。

 北側城壁第三射台、ここにいるのは射手一名、照準手二名、連絡員一名。そして有翼妖魔が接近した際に彼らを守る私とエクトール君の二名、合計六名。さらに上空から攻撃を受けることを想定して防御設備を用意してもいるが、できればそのような物は使わないに越したことはない。


「ええっと、固定具ロックを外すのはどれだっけ」


「左側の手元。でもまだ外しちゃ駄目だよ、僕らの出番は仕留めきれずに接近された時だけだ」


 聞いた私も答えたエクトール君も、携帯型のクロスボウを手にしている。威力も射程距離も固定式のものとは比較にならないが、上空からの接近を許した場合はこれを使用することになるだろう。


 でも訓練で何度も何度も操作を確認したはずなのに、また緊張のあまり頭から手順が抜け落ちてしまった。気づけばクロスボウを握る手も体を支える膝も震えている、こんな護衛がどれほど役に立つか怪しいものだ。




 やがて翼龍ワイバーンの姿がはっきりそれとわかるほどに大きくなった。まさか無力な人間ファールスどもが自分をち落とそうと狙いを定めているとは知らず、まさにその頭上を飛び去ろうとした時。


ち方はじめ!」


 司令部の屋上で緑色の旗が大きく振られ、その指令を連絡員が伝達。クロスボウの両側で照準手が身を伏せ、射手が引き金を握った両手に力を込める。一杯に張られた金属線ワイヤーがその力を開放、三本の矢が力強く放たれる。それは水色の空に直線を描き、瞬く間に青緑色の鱗を貫いた。


「——————!!」


 翼龍ワイバーンにとっては降って湧いた災難だったであろう、突如として体を貫いた苦痛の原因を理解することすらできず、表記不能の絶叫を上げて空中で体をくねらせる。

 穏やかな春の日にはとても似つかわしくない光景。十数本の長大な矢を一斉に打ち込まれた翼龍ワイバーンは飛行能力を失い、重々しい地響きを立てて地上に落下した。


「目標一、撃墜確認!」


 全ての射台から歓声が上がり、砦全体へと波及する。やがて地上部隊が突撃を開始し、翼龍ワイバーンの死亡を確認した旨の連絡が入ると、再び歓呼の声がロッドベリー砦を包んだ。




 回収されたドラゴンの巨体は余すところなく利用される。


 牙や爪や鱗は装飾品に加工され、肉や骨さえも薬として珍重される。寿命や怪我などで死を迎えた龍の死骸が発見される以外には人の目に触れることもないそれらは偽物が出回るほど希少で、驚くほどの高値で取引されるという。


 つまりこの結果はロッドベリー砦が上空の魔獣に対抗する力を得たという事実のみにとどまらず、希少な品々を入手し流通させる機会に恵まれ、ひいてはイスマール侯国の財政に貢献することを意味している。上手くいけば数年と経たずに砦の改修費用を回収できるかもしれない……


 そうエクトール君から聞いた私は、間抜けにも口を半開きにしてしまった。人智を超えた存在であったはずのドラゴンち落としたばかりか、そのために要した費用の回収まで考えていたなんて。


 だが勝利に沸く砦の兵士達をよそに、エクトール君の表情は厳しかった。彼は次に起こるであろう出来事も、さらにその先に起こるかもしれない出来事も、全て予測していたに違いない。

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