アルカディアの龍神祭(一)

 聖都ファル・ハールでリージュに会った帰り道。軽快に雪を蹴立てる私の前にはどこまでも続く雪原、振り返れば残っているのは自分の足跡だけ。国境まではおとなしく馬車に乗って来たのだけれど、とうとう座っているだけの退屈な旅が我慢できなくなってしまったのだ。


 この日は天気も良く、走り始めてしまえば寒さも気にならない。自らの足音と息遣いの他には何の音もしない白一色の雪原は静かな世界で、生命の息吹に溢れた夏の草原とはまた違った魅力がある。




 国境の町ソルベからアルカディアの町までは徒歩で一日と聞いていたが、つまらないことに半日と経たずに到着してしまった。


 アルカディアはイスマール侯国北西部の中心となる地方都市。温泉付きの宿があるという噂に誘われて来たのだけれど、表通りを歩いているだけでそこかしこから湯気が上がっているのが見えるほどで、むしろどの宿にしようかと迷ってしまう。


 屋台で買った檸檬水レモネードで体を温めつつ通りをながめる。いかにも老舗しにせという店構えの宿、丘の上に立つお城のような宿泊施設、軒を並べる土産みやげ物店、どこにいても漂ってくる硫黄の匂い、雑多なロッドベリーとも画一的なファル・ハールとも違う独特の町並みだ。それは良いのだけれど……


「龍神祭……?」




 どうやらこの町は『龍神祭』というお祭りを控えて準備に追われているらしい。

 一度気付けば嫌でも目に入る。町中に飾られる龍の模型、店先に並ぶ可愛らしい龍の置物やお菓子、市内を巡回する兵士さんの鎧にも龍をかたどった紋章が刻まれている。

 そういえば町の入り口にあったアーチにも龍が描かれていたような気がする。適当に選んだ宿で楽しみにしていた温泉に浸かっても、その湯舟には龍をかたどった像の口からお湯が注がれている始末。


ドラゴンなんて……」


 湯舟に顔の半分までを沈めて口から息を吐き出し、ぶくぶくと泡を立てる。


 ドラゴン。両親を喰い殺し、村を焼き払ったまわしい魔獣。忘れていたはずの心のささくれを、塞がっていたはずの傷口を逆撫さかなでするようなその像を見るのが嫌で、私は膝を抱えたまま頭の先まで湯舟に沈んだ。




 目の前で湯気を立てているのは、たっぷりの野菜とともに煮込まれた白身魚の鍋。いかにも食欲をそそるような見た目と匂い、いつもの私なら満面の笑顔でその味を表現していたに違いない。

 でも私はこの夕食を楽しむことはできなかった。どの方向を向いても龍神祭の話が聞こえてくるからだ。


「今年の龍神祭は晴れるといいですねえ。昨年はちょっと残念でしたから」


「見て見て! 龍神様の手袋買っちゃった! 肉球と爪がついてて可愛いの!」


 どうしても耳に入ってくる話をまとめると、どうやら『龍神様』という存在がこの町を守ってくれているそうだ。近々行われる龍神祭の日には町民から選ばれた無垢な少女が山中の泉で眠る龍を起こしに行き、目覚めた龍が空を舞うという……




 ドラゴンなんて。私は寝台の上で体を縮め、頭から毛布をかぶった。


 あの日、私は幼馴染のレドと一緒に川遊びをしていた。どちらが早く向こう岸にたどり着けるか、どちらの石がたくさん水面で跳ねるか。そんな遊びに飽きてきた頃、レドが灰色の空に黒い点を見つけた。それは見る間に大きくなり、やがて翼を持つ生き物の形をとった。何となく嫌な予感がして村に駆け戻った私達が見たものは……


「リナ! 戻ってきちゃ駄目!」


「来るな! 隠れてろ!」


 家の前でそう叫んだお母さんとお父さんがどうなったのか、私にはわからない。ただ頭の中が真っ白になって、次々と村の人たちを食べるドラゴンを呆然と見ていた。やがてその赤いドラゴンの金色の目が私を捉え、次は私の番なんだと理解した。


 でも私の番は来なかった。横から飛び込んできた勇者様が私を抱えて地面に転がり、そのまま家の陰に隠れた。隣に立っていたレドがどうなったのか、それもわからない。


 口から吐き出された炎が家を焼き払う。長大な尻尾が玩具おもちゃのように家を叩き壊す。そこから逃げ出した人をくわえて飲み込む。ドラゴンが身動きするたびに地が震える、咆哮を上げるたびに空が震える。それはこの世の終わりとしか思えない光景で……




「!! ……はっ……はあ……うっ……」


 夢、ではない。あれは現実の、私の目の前で起こった出来事。

 全身に汗をかいている、胸が苦しい、涙が止まらない、呼吸がおさまらない。


 もう忘れたはずなのに。あのとき目に映った光景も、人が喰われるときの悲鳴も、死体が焼け焦げる匂いも。人は龍に狩られるもの、喰われるもの。そうあきらめていたはずなのに。




 ……そうだ、ドラゴンは人を喰らう凶暴な魔獣なんだ、お父さんもお母さんもレドも、誰も彼も食べられてしまったのだから。

 町民から選ばれた無垢な少女が龍を起こしに行く? そんなことをして無事に済むわけがない、これは生贄いけにえだ。ドラゴン生贄いけにえを捧げて自分達は助かろうとは、なんて浅ましい考えなんだ。


 汗がにじむ手で毛布を握りしめる。何が龍神祭だ、何とかしなければ、私は勇者なんだから……




 ◆


 ここまでお読みくださり、ありがとうございます。


 このお話に登場した『龍神祭』は、しぇもんご様『廃棄ダンジョンのぼっちな魔物』

 https://kakuyomu.jp/works/16817330666841275427


の『竜神祭』を大幅にアレンジして使わせて頂きました。許可を頂きました作者様にお礼申し上げます。

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