聖都ファル・ハールと神聖勇者(一)


 厚手の旅服の上に綿入れを着込み、さらにその上から外套コートを羽織って丸々と着ぶくれした私は今、黙々と雪の上を歩いている。背中の背嚢バックパックも私に劣らず膨れ上がり、膝下まで覆う雪靴に縛り付けられているのは柔らかい木を楕円形に曲げて作られた歩行具スノーシュー


 旅慣れた商人でもこれほどの格好をしている者は少ない。だがこの装備のうちの一つでも欠けていたら私は道中で野垂のたれ死んでいたことだろう、それほどにこの十二日間の旅路は厳しかった。

 しかしそれもあと僅か。このゴバイン峠を越えれば、リージュが暮らすピエニ神聖王国の王都ファル・ハールが見下ろせるはずなのだ。




 秋に行った『大討伐』の効果でロッドベリー市周辺の妖魔は鳴りを潜め、さらにこの時期はイスマール侯国の国土の大半に雪が積もり人魔ともに活動が鈍くなる。

 そのため勇者としての仕事が少なくなった私は、これを機に隣国の勇者になった親友リージュに会いに行こうと心に決めたのだ。所持金が少ないから馬車には乗れないけど何とかなるだろう、私にはこの足がある……などと簡単に考えたのが運の尽きだった。


 ロッドベリー市からピエニ神聖王国との国境までは夏場なら馬車で三日と言われているが、冬になれば移動速度は半分以下に落ちる。馬車の車輪を取り外し、板の先端を反らせたそりに取り換えれば何とか運行が可能になるというだけだ。

 まして徒歩となれば長距離の移動自体が命懸けになる。猛吹雪で前が見えなくなったり、川に落ちて凍傷になりかけたり、道に迷って岩陰で一夜を過ごしたりと何度も死にかけたけれど、飲んだくれエブリウスさんの見様見真似で覚えた生存術で何とか生き延びた。




「やったあ! すごいぞ私!」


 ゴバイン峠の頂上でミトンの手袋に包まれた両手を挙げたのは私。眼下に望むはピエニ神聖王国の王都ファル・ハール。雪の野を越え山を越え国境を越え、凍った川にはまり狼とにらみ合い、ようやくたどり着いた楽園。うっすらと雪化粧を施され、冬の陽射しにきらめく町並みはそうとしか思えないほど美しかった。


 ファル・ハールの町は人口約二十五万と聞いている。王国最大の町であり、その規模は大都市ロッドベリーよりもさらに大きい。

 だが道幅が広く整然と区画分けされているためか、混雑している印象は受けない。道行く人々もどこか凛として姿勢正しいようにさえ思える、さすがは至高神ラ・ハイゼルを奉じる神聖王国の首都だとこちらも背筋を伸ばす。




「ええ~? リージュってば、こんな家に住んでるの?」


 手紙の住所を頼りにようやくたどり着いたリージュの家は、白い二階建ての立派な邸宅。アーチ形の窓が七、八、九……たくさんあって、黒い三角屋根から煙突が突き出ている。

 その大きさに気後きおくれしつつ金属製のノッカーを叩くと、中から鈴を鳴らすような声が返ってきた。親友との再会に胸が高鳴る、だがそれは目的の人物ではなかった。


「リナレスカさん、お久しぶりです。本当に来てくださったのですね」


「メルちゃん!? びっくりしたぁ、声も顔もリージュにそっくりだね」


 扉を開けて姿を現したのは妹のメルちゃん。銀色の髪、控えめな態度、小さなお手々、まるで一回り小さなリージュのようだ。本物のリージュはどこにいるのだろうか。




 清潔な白のブラウス、足首丈のフレアスカート、音を立てずに歩くお上品な所作。もともと大人しい子ではあったけれど、なんだか印象が変わったような気がする。

 メルちゃんの案内で通された応接室も大理石のテーブルに革張りの客椅子、メイドさんが紅茶まで運んできてくれるというもので、長旅の汚れにまみれた私には場違いなことはなはだしい。


「姉は王宮に行っています。夕刻には帰ります」


「そ、そうですか……」


 お上品なメルちゃんと豪華な応接室に落ち着かない私。さてどうしたものかと頭をひねっていると、思わぬ助け舟が現れた。サリオ君とエルロン君、弟二人が元気良く飛び込んできたのだ。


「リナちゃんだ! 遠くからありがとう!」


「二人とも元気そうだね。よーし、雪遊びしよっか!」


 庭に積もった雪に倒れ込んでその形の面白さをを競ったり、誰のつららが一番丈夫か勝負したり、雪玉をぶつけ合ったり。しまいにはメルちゃんも一緒になってリージュお姉ちゃんそっくりの雪だるまを作っていたところに本人が帰って来た。


「もう。何してるの? リナちゃんまで一緒になって」


「えへへへへ、私が遊んでもらってたの。お帰り、リージュ」


「うん、ただいま」


 笑顔で両手を広げると、離れ離れになった親友は控えめに胸に飛び込んできた。そのままくるりと一回転して一緒に雪の中に倒れ込むと、次々と折り重なってくる弟と妹。

 一番下になってしまった私はその重さを感じつつ、ここまで来て良かったと心から思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る