その涙は明日への糧となるか(六)

 試合を終えて向かった薄暗い通路、冷たい石壁に背を預けて立つ人影。その人は私を認めると、壁から背中を離してこちらに向き直った。


 濃紺色の軍服がこれ以上ないほど似合う妙齢の女性。この数十日間ずっと剣術の特訓に付き合ってくれたリットリアさんは、きっと私達の試合を観てくれていたのだろう。


「あはは、負けちゃいました」


「ああ、見ていたよ」


「強かったです、彼」


「そうだな」


「たくさんリットリアさんに教えてもらったのに、申し訳ありませんでした」


「お前はよくやった。だが奴にも譲れないものがあった。共に研鑽けんさんを積み、奴が僅かに上回った。ただそれだけだ」


 優しい声に背を向ける。まだ鼓動がおさまらない、握力が戻らない、背中から湯気が上がるほどの汗をかいている。私とフォルベック君はそれほど打ち合った。五十合か、六十合か、もっとか。お互いの力と技と意地をぶつけ合って死力を尽くして……そして負けた。降り注ぐ拍手は何の慰めにもならなかった。


「あんなに特訓したのになあ。悔しいなあ」


「そうか、悔しいか」


「ええ。悔し……っ……」


 つい先程までへらへらと笑っていたというのに、口元が歪んでしまった。歯を食いしばっても、思い切り目を閉じてもき止められないほどの涙が溢れてくる。雪中行軍も両手剣の特訓も、あんなに頑張ったのに。もうこれ以上はできない、そう思ったのに。

 リットリアさんの胸にしがみついたまま動けなくなった私の頭の上に、優しい声と手が乗せられた。


「良かったな。本気で悔しがることができるのは、本気で努力した者だけだ。その涙を忘れるな、必ずお前のかてになる」




 ―――その後フォルベック君も二回戦でジェダさんに敗れ、そのジェダさんを準決勝で破ったラップさんという侯国勇者がロッドベリー太守杯の優勝を飾った。彼らと私とは一体どれほどの差があるというのだろうか。


「ふう、すごかったねえ。来年また頑張ろう」


「……ああ」


 決勝戦を見ていたフォルベック君を誘ったのは、闘技場の外にある露店。一緒にポテトフライをつまみながら聞いてみる。


「フォルベック君は勇者が嫌いなの?」


「……ああ」




 彼は勇者という存在に反発していた。勇者なんて下級妖魔を狩っては小金を稼ぎ、市民に持ち上げられていい気になっている軽薄な奴らだと―――彼の父親がそうだったから。


 小さな町の勇者であった父親は怪我をして引退し、たまに土木工事で日銭を稼ぐだけの酒浸りになって妻に逃げられた今でも過去の栄光が忘れられず、事あるごとに自慢話をするという。栄光といっても下級妖魔を倒したとか、大討伐に参加したとか、その程度だというのに。今あいつが妖魔に出くわしたら我先われさきに逃げ出すに違いない……


「軽薄と言われたらそうかもしれない。でも……」


 今までに訪れた村の人達の笑顔を思い出す。私自身もあの勇者様に助けられたのだ、これまで私がしてきた事、勇者が誰かを助けることに意味がなかったとは思わない。


「きっとお父さんに救われた人達もいると思う。今のお父さんは嫌いでも、それだけは忘れないであげてほしいな」




「なんだお前ら、いつの間に仲良くなったんだ」


 わしっとばかりにポテトフライを掴み上げて口に放り込み、代わりに大量の揚げ鶏肉フライドチキンを皿に乗せたのはレオンさん、リットリアさんが不在のとき何度も特訓に付き合ってくれた隊員さん。


「そんなもん食ってるから力が出ねえんだよ、ひよっこども。肉を食え、肉を」


 私達は同時に顔を見合わせた。四角い大きな体を揺らして去っていくレオンさんが何故だか可笑おかしくなって、揃って笑いだしてしまう。




 そう、私達はまだまだひよっこだ。この目に映る人を救うどころか時に自分自身を守る力さえ不足している、何度もそれを思い知らされた。


 だから強くなろうと願う。もっと、もっと。多くの人達が平穏な生活を送るために。彼と私の道は違っても、最後に目指すところは同じなのだと思う。

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