その涙は明日への糧となるか(五)

 ロッドベリー市中心部、市街地の只中にある闘技場。四千人以上を収容できるという白花崗岩かこうがんの威容は見上げるほど高くそびえ立ち、黄色味を帯びた外壁と絡みついたつたがその歴史を物語っている。


 途切れることのない人波、外周をぐるりと囲むほどの露店、そこかしこで交わされる高名な剣士の噂。まさかこんな私が出場者だとは誰も思うまい、私は受付をする前からその様子に圧倒されてしまった。


「うわあ……」


 自分の試合にはまだ時間があるので観客席に上がってみる。冬の陽射しに照らされているのは階段状に配置された椅子、そこから見下ろせば赤土が敷き詰められ、綺麗に排雪された闘場。急に身震いがしたのは寒さのためではなく、ここから多くの人に見られるなんてという緊張感からだ。




 時計塔の鐘が正午を告げた。既に四つに仕切られた闘場からはそれを圧するような撃剣の音が響いている。それに合わせて客席から歓声が、怒号が、拍手が沸き起こる。その迫力に圧倒されてしまった私はしばらく呆然と立ち尽くしていたかもしれない。自分の出番が迫っていたことにも、係の人が私を探し回っていたことにも気付かなかった。


「リナレスカさん! 十七番リナレスカ・エブリウスさん! いませんか!? 失格になりますよ!」


「!? は、はい!」


 慌てて受付に向かい、模擬剣と防具を受け取って控室へ。既に防具を着け終えた数人の出場者が思い思いに試合前の準備をしている。雑談する者、軽く跳躍して体を温める者、手足を屈伸させつつ大きく息を吐き出す者。そして私の対戦相手は……目を閉じて椅子に座ったまま動かない。


 彼らの邪魔にならないように部屋の隅で防具を着ける。防具の着用は今回から採用された規則だそうで、胸、腹、太腿をそれぞれ覆う皮鎧に革製の籠手、頭頂部を保護する緩衝材入りの帽子を身に着けなければならない。

 これは負傷者どころか死者が出ることもある剣術大会の現状をうれいたリットリアさんが推し進めたもので、出場者の顔が見にくくなり盛り上がりに欠ける、血が流れるかもしれない真剣勝負こそが華であるという意見を「市民を守る強兵を育成するための大会において、出場者を損なっても構わぬとはいかなる了見りょうけんか!」と一喝したと伝えられている。


 やがて私が防具を着け終わるのを待っていたかのように、案内係の人が現れた。


「十七番リナレスカ・エブリウスさん、十八番フォルベック・アルスターさん、第二試合場に入場してください」


「はい!」


 返事をしたのは私で、無言で立ち上がったのはフォルベック君。頑張ろうね、と声を掛けたけれど返事がない。ちらりと横顔を見ると青白い顔で硬い表情をしていた、無視しているのではなく緊張と歓声で聞こえなかったのだろう。




 薄暗い通路を一歩進むごとに大きくなる拍手、足元にまで響く振動、早鐘のように打ち鳴らされる鼓動。通路を抜けて闘場に踏み込んだ瞬間、視界が真っ白に輝いた。


 冷えた大気を貫く冬の陽射し、全ての方向から私達を見下ろす数千の観衆、地鳴りのように響く歓声。

 操り人形のように手足をぎこちなく動かして開始線に立った記憶はある。審判を務める人から何やら説明を受けたような気もする。「始め!」という声とともにその手が振り下ろされても何が始まったのかわからなかった。


「……!」


 慌てて長剣バスタードソードを構えて相手を見ると、フォルベック君も同じような表情で直剣ブロードソードと盾を構え直していた。視線が定まらない、構えが落ち着かない、雲の上に立っているかのように足元がふらつく。でも何かしなければ、何か……


「え、ええい!」


 動かない足で雑に間合いを詰めての斬撃、だがこれは盾に阻まれた。フォルベック君の反撃、これを大袈裟に飛び退いてかわす。

 続けざまに数合を交わしたものの完全に腰が引けている、まるで自分の体ではないかのようだ。きっとつまらない試合だと思われていることだろう、集中できていないためか観客の目がどうしても気になってしまう。


 何度も妖魔を斬ったことはある、人と真剣を交えたこともある、それどころかあの魔人ペイルジャックの眉間に小剣を埋め込んだこともある。でもこれは何か違う、大勢の人の目というものがこれほど心を乱すとは思ってもみなかった。


「くそっ、こんな奴に……」


「こんな奴って何さ!」


「女だから、勇者だからってちやほやされてる奴なんかに負けねえ!」


「何それ、くだらない! そんな目で私を見てたの!?」


 無駄な言葉を交わしてしまうのもお互いに余計な事を考えているから。こんな試合を観たらリットリアさんは何と言うだろう……ああもう、こんな思いだって余計な事だ。

 違う、そうじゃない。私は、私達は、こんな試合をするために厳しい訓練に耐えてきたんじゃない!




「……なあ」


「……ねえ」


 互いに剣を構えたまま、口を開いたのは同時だった。無言のままうながされて先を続けたのは私。


「口喧嘩はやめよう。私達、こんな事のために辛い思いをしてきたんじゃないよね? 話なら終わってからいくらでもできるよ」


「……わかった」


 互いに距離をとり、何度も軽く両手を開いて閉じ、赤土の地面を踏みしめて足元を定める。長剣バスタードソードを斜めに立てる。相手は盾に身を隠してこちらをにらみつけ、右手の剣を背中に回す。


 しばしの間をおいて気力を充実させる。鏡に映したように微動だにしない私達に客席がざわめく。互いの気迫が十分に練られ触れ合った瞬間、同時に地を蹴った。


「うおおおっ!」


「やあああっ!」


 先程までの児戯じぎとは全く異なる、噛み合った鋼がけんばかりの衝撃と激しい金属音。

 数千の観衆がどよめいたような気もするが、そんな雑音はもはやこの耳に届いていなかった。

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