その涙は明日への糧となるか(四)

 何となく星を眺めていた。ロッドベリー砦でもたまにこうして夜空を眺めることがあった、私は空というものが好きなのかもしれない。抜けるような青空も、朝焼けの紫色も、夕暮れの一瞬ごとに変わる色も。そういえば旅立ちを決意した時もこんな空だった、黒絹の上に硝子片をちりばめたような夜空。




 その夜空から舞い落ちてくる白い欠片。急に寒さを覚えた私は両腕をさすりつつ天井からの階段を下りて兵舎の中へ。板張りの廊下をきしませつつ自室に戻ろうとしたところ、扉の前に見慣れない女性を見かけた。


「探したぞ、リナレスカ」


「え? あああ! リットリアさん!」


 さんざんお世話になっているこの人を『見慣れない人』など思ってしまったのは、見慣れない格好をしていたからだ。

 白のフリルトップスにカーディガン、落葉色のフレアスカート、以前私が『この人が街でこんな格好をしていたら二度見してしまうかもしれない』と思っていた、その通りの服装だったから。二度見どころか上から下までながめ回してしまったのはきっと失礼なことに違いない。


「口が開いているぞ、なんだその顔は」


「す、すみません! 失礼しました!」


 直立不動で敬礼する私に彼女が示したのは一枚の紙。『ロッドベリー太守杯』と大きく書かれた下に文字が並んでいる。


「三十日後にロッドベリー市主催の剣術大会がある。お前も出場してみないか」


「はい? ……はい!?」


 大都市ロッドベリーには闘技場があり、武術などの大会が開かれているのは知っている。だがもちろんそんな大会に出場した経験はないし、自信もない。いくら何でも場違いではないだろうか。

 リットリアさんが言うにはロッドベリー市の兵士や国内の勇者が数多く出場するそうだし、そんな場所に私が行ってどうしろというのだろうか。一回戦でぼろぼろに負けて笑われるのがだ。


「判断は任せるが、自分の現在地を確認することも大事だぞ。出場者の半数は一回戦負けだ、失うものなどなかろう」




 このとき私は、らしくもなく迷った。答えの代わりに質問をしてしまったのはそのためだ。


「……リットリアさんも出場するんですか?」


「いいや、私は主催者側だ。若い頃は出場したこともあるが、今はそんな立場でもない」


「国内の勇者がたくさん出場するなら、飲んだくれエブリウスさんも来たりしますかね?」


「奴は名誉だの名声だのというものに興味は無いよ。それにきっとこう言うだろう、『観客の前で手の内をさらしてどうする、阿呆あほう』とな」


 それほど似てはいなかったのだけれど、この人が師匠の声色こわいろを真似たこと自体が面白くてつい噴き出してしまった。なんだか二人に背中を押されたような気がして、私は心を決めた。


「わかりました。出場させてください」




 やがてロッドベリー太守杯の組み合わせが発表された。市中心部の闘技場に張り出された大きな対戦表、それを見上げて指を差しつつ噂話を始める市民。


 ここに自分の名前が載るなんてやっぱり場違いなのではと、目を覆った両手の隙間から対戦表を見上げる。目を凝らしてみるといくつか知った名前が載っていた。ロッドベリー市認定の勇者がジェダさんをはじめ四人、イスマール侯国認定の勇者が知っているだけで二人。そして自分は……


「あ、あれ……?」


 一回戦の相手はフォルベック・アルスター。雪中行軍で競り合って以来何かと張り合うことの多いあの子だった。


 六十名を超える出場者の中でこの偶然。私はリットリアさんに報告するついでに彼女の関与を疑ったものだが、これについては「不正は好まぬし、私にそんな権限は無いよ。だがせっかくの機会だ、楽しませてもらうとしよう」という答えが返ってきた。

 それもそうだ、公明正大なこの人がこんな事で私情など挟むわけがない。すぐに失言に気付いて平謝りに謝ることになった。




 もう何度目だろう、すっかり慣れてしまった雪中行軍。またしても競り合い、共に倒れ込んだフォルベック君に笑顔で手を差し出した。


「ロッドベリー太守杯、楽しみだね。よろしくね!」


「……ああ」

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