その涙は明日への糧となるか(二)

 まだ夕刻というには早い時間、重い体をひきずって屋内訓練場へ。この施設には用途別にいくつもの部屋が用意されているそうで、最も大きいものは三十歩四方ほどもある。何人もの兵士さんが格闘術の練習などを行っているその部屋を横目に見ながら扉を開けると、その四分の一ほどの大きさの板張りの部屋で、戦闘服に身を包んだ女性が既に私を待っていた。時間に遅れてしまったかと冷汗が噴き出す。


「すみません、お待たせしました!」


「いや、刻限通りだ。謝る必要はない」


 リットリアさん、イスマール侯国ロッドベリー駐留軍参謀長というのが彼女の肩書。どうやらこの駐屯地で三番目に偉いらしいと知ったのはつい最近のことだ。

 鉄血、女傑と渾名あだなされるこの人だけれど、怖がらず懐に飛び込んできた人に対してはすごく面倒見が良い。このあたりは飲んだくれエブリウスさんと似ているかもしれない。


「さっそく始めるぞ。用意はいいな?」


「はい!」




 この人に教えをうたのは両手剣、特に長剣バスタードソードと呼ばれる刀身の長い剣の扱い。今使っている小剣は非力な私でも扱いやすいものの間合いリーチが短く、どうしても戦い方が限られてしまう。ようやく体が成長して通常の剣を扱えるようになってきたこともあり、戦術の見直しを図る良い機会だと思ったのだ。


長剣バスタードソードは根本的に小剣と違う武器だ。一から学び直せよ」


「重量のある武器を扱う際に気を付けねばならんのは姿勢だ。姿勢が悪ければ簡単に均衡バランスを崩すぞ、そうなれば勝負は終わりだ」


「逆に言えば、重量のある武器を持つ相手に対しては姿勢を崩せば良い。そのために技術というものがある」


 リットリアさんの教えは論理的で、私のおつむに合わせた言葉や表現を選んでくれるのでとても分かりやすい。

 その剣術はといえば正確無比、先人が積み重ねてきた理論通りに一歩ずつ相手を追い詰めていく、それも徹底的に。周囲の状況を利用したり不規則な動きで相手の予測を外す飲んだくれエブリウスさんとは対照的だ。

 おそらく私が参考にするには向いていないと思うけれど、意表を突く戦術も確かな基礎があってのことだ。それが無ければ単に変な行動でしかない。


「ふむ、悪くない。下半身が安定しているな、よほど鍛え上げたと見える」


「ほんとですか!? やったあ!」


「まあ、技術はお粗末の一言だがな。今はそれでいい」


 くっくっ、と喉を鳴らすような笑い方。そういえばこんな笑い方をする人だった、私が伝令兵クルソールとして勤めていた頃はただ冷たそうで怖い人という印象しかなかったけれど、こうして話してみればとても優しくて面倒見の良い人なのだ。


 その表情に甘えて、前から気になっていたことを尋ねてみることにした。飲んだくれエブリウスさんの若い頃はどんな人だったのか。あの人が私くらいの年頃では何を考え、どう行動していたのか興味があったのだ。本人に聞いても絶対に教えてくれないはずだから。


「奴も第三十七遊撃隊の出身だ。雪中行軍で私と競り合って倒れ込んでいたよ、今日のお前のようにな」


「ふふふ、あの人にもそんな時代があったんですね」


 飲んだくれエブリウスさんのことを話すリットリアさんの表情は優しくて、どこか遠くを見つめているようだった。今の彼のことをどう思っているのかも気になるところだが、なぜかそれを口に出すのははばかられた。


「―――で、奴は命令を無視して、妖魔に襲われた村を助けに向かった。隊員章を叩きつけてな。私にそんな度胸はなかったよ」


「へええええ……」


「まあ、冷静になってみれば大馬鹿者だ。人にはそれぞれの正しさがある、それぞれのやり方がある。一方的な物の見方はするなよ」




 歳をとると説教臭くなっていかんな、と苦笑いしたのを機に腰を上げたリットリアさん。雑談を終えて部屋に戻ろうとした私の目に、隣の部屋で汗を流す若い兵士さんの姿が映った。確か先程通りかかった時にもいたはずだ、もしかしてずっと鍛錬を続けていたのだろうか。


「あ、あの人……」


「む? フォルベックがどうかしたか?」


「はい、雪中行軍で競り合って。ずっとここにいたみたいですけど、大丈夫ですかね?」


「ふむ……一つ頼まれてくれるか? 奴も志願して遊撃隊に入隊したのだが、どうも訳ありのようだ。気にかけてやってくれ」


「はい! わかりました!」




 敬礼とともに良い返事をした私は、即座に行動した。


「ねえ! あなた、フォルベックさんっていうの?」


 鍛錬中にもかかわらず突然声をかけられて戸惑う兵士さん。リットリアさんが苦笑いしつつ通り過ぎるのがちらりと見えた。

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