その涙は明日への糧となるか(一)


 イスマール侯国は鮮やかな四季が訪れる国として知られる。春には色とりどりの草花が芽吹き、夏にはあらゆる命がその生を謳歌おうかし、秋には黄金色の穂が揺れ、そして冬は白と銀色が視界の全てを覆う。




 侯国北部に位置するロッドベリー市は比較的降雪が少ないものの、色彩豊かなはずの家々の屋根は白一色に覆われる。街路の水溜まりには氷が張り、毛糸の手袋をはめた市民が「今日も寒いねえ」と挨拶を交わす。

 そのような季節にあって私は、砂袋入りの背嚢バックパックを背に頭から湯気を上げつつ屈強な兵士達と共に雪原を駆けていた。


「駐屯地まであと五キロ! 遅れた奴は晩飯抜きだ!」


「ひえええええ……」


 イスマール侯国ロッドベリー駐留軍、第三十七遊撃隊。侯国軍の中でも最精鋭とされる彼らの訓練は極めて厳しく、この日は『雪中行軍』と通称される長距離行軍、それも砂袋を詰めた背嚢バックパックを背負って膝まで埋まる雪上を十五キロに渡って駆けるという代物しろものだった。さすがに砂袋は三分の一に減らしてもらっているが、それでも彼らについていくだけで精一杯だ。




 これは『大討伐』を終え、妖魔が巣に閉じこもる冬を迎えたのが原因といえば原因だ。晴れて勇者になったものの実力不足を痛感した私は、勇者らしい仕事が少ないこの時期に強くなりたいと駐留軍参謀長を務めるリットリアさんに相談したものだった。すると……


「わかった。では明朝七時に練兵所前に来い、話を通しておこう」


「ありがとうございます!」


 これで勇者の称号に恥ずかしくない実力が得られると喜び勇んでいたところ、あれよあれよという間に砂袋を背負わされ、気が付けば雪原を駆けていたというわけだ。




「残り一キロ! 全速前進!」


「そ、そんなぁ……」


 隊長の号令一下、先を争うように駐屯所への道を疾走する兵士達。遅れてなるものかと歯を食いしばって雪原から足を引き抜き、足元の雪を蹴立ててはまた引き抜く。

 足が重い、疲労で意識が遠のく。だがふと隣を見ると、同じような表情で懸命に雪の中を漕ぐ姿が見えた。この人には負けないぞと悲鳴を上げる体に鞭を入れる。先着した兵士さん達が見守る中、二人並んで到着。顔から飛び込んだ私が僅かに競り勝ったように見えた。


「えへへへへ、いい勝負でしたね」


 競り合った兵士さんも雪の中に膝をついたまま動けない様子。私も声を掛けたはいいものの、ばったりと倒れ込んだまま動けない。そのまま顔についた雪が溶けていく感触を楽しんでいたところ、屈強な兵隊さんに左右から助け起こされた。


「よく最後までついて来たじゃないか。勇者の称号は伊達じゃないな」


「ど、どうも……」




 砂袋を回収されてしばし休息。やれやれと思ったのも束の間、半刻後には訓練を再開。練兵所の一角に作られた水濠を飛び越えたりロープを掴んで壁を乗り越えたり、地面に敷かれた網をくぐったり、空き時間には休む間もなく屈伸運動スクワット。この日の訓練を終えて正午を迎える頃にはすっかり魂が口から抜け出していた。


「ぷしゅうううう……」


「ほら食え、勇者。食える分だけでいいからな」


「あ、ありがとうございます!」


 食堂のテーブルに頭を乗せたまま動けない私のところに、兵士さんが食事を持ってきてくれた。ようやく体を持ち上げてスープをすすり始めると、周りの兵士さんが次々と話し掛けてきた。


「リナレスカだっけか。根性あるな、お前」


「普通の女の子はあの砂袋背負って、雪の上なんて歩けないからな?」


「絶対を上げると思ったんだがなあ。お前のせいで賭けに負けちまったぞ」


 肩幅も体の厚みも私の倍はあろうかという人達に囲まれて、でもみんな優しくて怖くはない。ただの女の子が精鋭部隊の訓練に参加するという物珍しさもあるのだろう、突然のお願いだったというのに歓迎してくれて嬉しく思う。




 ふと横に視線を移したとき、窓際の席に座り一人で食事を摂っている兵士さんが目に入った。

 たぶん雪中行軍で私と競り合った人だ、他の人達に比べるとずいぶん若い。もしかすると私と同じくらいの年だろうか、まだ体も細くて顔立ちも幼いようだ。賑やかな笑い声が食堂を満たす中、周囲と馴染まない様子のその人がどうも気にかかった。

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