魔人ペイルジャックと魔女の夢(五)

 全身に不自然なほどの力がみなぎる。思考までが加速されたのか周囲の景色が緩やかに、鮮明に映る。

 研ぎ澄まされた不思議な感覚の中で石床を蹴ると、靴底が悲鳴を上げるほどの急加速。左右の視界が後ろに飛んでいく、やがてそれさえも認識できなくなるほどの速度がこの身に宿る。今この瞬間、私は誰よりも速く地を駆けている。




『私の魔法を込めた護符アミュレットを同封します。本当に困ったときに使ってください。効果と合言葉キーワードは……』




身体強化フィジカルエンハンス全能力フルブラスト】、一時的に対象者の全ての能力を種族の限界値さえも超えて引き上げる魔法。合言葉キーワードは彼女の名前と「力を貸して」。


 今がまさに親友の力を借りるべき時。私は待っていた、腕力、魔力、知識、生命力、全てにおいて人間ファールスを圧倒する恐るべき魔人が、とどめを刺すべく隙を見せる瞬間を。


 息を止め、いしゆみから放たれた矢のごとき勢いで床を蹴り、ペイルジャックが吐き出した緑色の毒霧に真正面から飛び込む。今この瞬間、魔人の視界は自ら吐き出した毒霧で失われているはずだ。小剣を握った右手を思いきり突き出し、自分がどんな体勢なのかわからぬまま魔人の頭上を飛び越え……勢い余って石床の上で二度、三度と転がり、壁際でようやく身を起こした。


「ほう? ほう、ほう、ほう、面白い……」


 ゆっくりと振り返った妖魔のひたいに、先程まで私が握っていた小剣が深々と埋まっている。まさかこれでもたおせないというのだろうか、もう私にも打つ手は無いというのに……


「なかなかに面白い奴。我が記憶の一部を占めるに値するか……?」


 折れた胸骨と内臓の一部を露出させ、ひたいから小剣の柄を生やしたまま、ペイルジャックは口の片端を吊り上げた。武器を失った私に向けて大胆に踏み込み左右の剣を振り下ろす。その速さ、鋭さ、ロッドベリー随一と言われるジェダさんを圧倒するほどだ。私などに見切れるわけが……


「いや……見える!」


 リージュが授けてくれた力、【身体強化フィジカルエンハンス全能力フルブラスト】。動体視力まで強化されるのか、それとも別な理由によるものか、確かにこの恐るべき妖魔の太刀筋が見える。

 荒れ狂う二本の剣を紙一重でかわし、あるいは楕円盾オーバルシールドで受け流し、反撃の機会をうかがう。だがそれも敵の術中か、遺跡の石壁に背中をぶつけて息が詰まる。


「うっ……」


「そこまでか、では仕方ない」


 左右同時にペイルジャックの双剣が落ちてくる。もはやかわせるような体勢ではない、受け流せるのは左手の盾だけだ。私が左右の肩口から斬り下ろされる姿が頭に浮かんだのだろう、アリスタさんが顔を伏せるのが見えた。

 怖い、強い、名だたる勇者が顔を揃えても及ばない恐るべき敵。あの飲んだくれエブリウスさんが戦慄するほどの妖魔、魔人ペイルジャック。でも私には親友から授かった力がある、勇気がある。背中を押してくれる思いがある!


「相手が何だろうと! 私は負けない!」


 私はペイルジャックの双剣をかわすでも受け流すでもなく、踏み込んでそれを握る拳を受け止めた。左の籠手で、右は素手で。さすがに驚いた表情を見せる妖魔に構わず、種族の限界値さえも超えて強化された腕力で無理やり正面をこじ開ける。


「これでも、喰らえ―――!!!」


 両手が使えない私が採った攻撃手段は渾身の頭突きヘッドバット。おそらくこれさえも【身体強化フィジカルエンハンス】で強化されていたのだろう、ごすんと重い音がして目の前が真っ暗になった。


「ふ、ふ、ふ、馬鹿馬鹿しい。このような者に……」


 後頭部から先端が突き出るほど小剣を押し込まれたペイルジャックの瞳がぐるりと回転し、その身体は立ったまま足下からぐずぐずと溶けていった。乾いた音を立てて地面に跳ねる小剣、僅かな染みだけを残して消えた魔人。私達はしばらく声も無くそれを見つめていた。




 この一件はジェダさんから行政府を通して太守様に報告されたが、魔人ペイルジャックについては証拠不十分として記録には残されなかった。弩吝嗇どけちとして通っている太守が追加報酬を渋ったのだろうと勇者達の間では噂されている。

 新たな神託装具エリシオンが発見されなかったばかりか惨劇の舞台となったラウドルック遺跡はもはや訪れる者もなく、かつての静けさを取り戻しているという。




 私はといえばこの日、ジェダさん達が療養している病院を訪れていた。


 ジェダさんとラドカスさんは太守様の吝嗇けちぶりにひとしきり文句を言いつつ、あの時彼らを見捨てなかった私に感謝を述べた。おかしな話だと思う、その身を盾にして守ってくれたのは彼らだというのに。

 そしてもう一人、窓際で退屈そうに外を眺める妙齢の魔女。


「アリスタさん! 探しましたよ。もう動いていいんですか?」


「いいのよ、大した怪我じゃなかったんだから。しっかしアンタは頑丈ね、若いっていいわぁ」


 彼女の言う通り、私は頭にかすり傷を負っただけで目立った外傷は無かった。まともに浴びたペイルジャックの毒霧も市販の飲み薬で何事も無かったように消え去り、すっかり元気いっぱいだ。

 台詞せりふ回しのせいでもなかろうが、今日のアリスタさんは少し年を召したように見える。療養中で化粧を施す余裕が無かったためだろうか。


「あの! アリスタさん、一つ聞いてもいいですか?」


「聞くだけならね。答えるかどうかはアタシが判断するわ」


「私を見て思い出したっていう『夢』を教えてください」


「却下。恥ずかしいもの」


「恥ずかしくなんてありません! それに私は人の夢を笑ったりしません」


 真っすぐに目を向けられたアリスタさんは呆れたように、観念したように手摺てすりに背を預け、目を閉じたままつぶやいた。


天空都市ペレートス


「え?」


「万年雪の山々のさらに上、決して消えない雲の中に隠された古代の都市。魔法学校時代に読んだ本に載っていた、その存在さえ疑われている伝説の遺跡。いつかそこに行きたいと思ってる。友達みんなに笑われた、子供みたいな夢。どう? 呆れたでしょう」


 呆れたりするものか、笑ったりするものか。私は嬉しかった、この人が自分の夢を打ち明けてくれたことが。子供みたいな照れ笑いを見せてくれたことが。


「いいえ、素敵です! その時は私もご一緒させてください!」


 決して若くはない魔女はその答えに天を仰ぎ、もう一度呆れたように笑った。


「そうね、責任を取ってもらおうかしら。アンタのおかげで思い出しちゃったんだから」

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