魔人ペイルジャックと魔女の夢(四)

 ラウドルック遺跡、地下第二層。首の無い二つの死体が立ち尽くす中、血の雨を浴びてわらう男。


 あまりに不吉で凄惨な光景に思考が追いつかない、体が動かない。私だけではない、この場にいる全ての人が。

 その中でいち早く立ち直ったのは、やはりジェダさんとラドカスさんの二人だった。さすがにロッドベリー随一の勇者という評判は伊達ではない。瞬く間に剣を抜いて飛び込み、男の左右から同時に斬りつける。


 だが血まみれの男はたのしげな笑みをそのままに、首の無い死体が握ったままの剣を奪い取った。左右の剣でロッドベリー市が誇る勇者の斬撃をそれぞれ受け止め、それどころか手首をひるがえして左右同時に反撃の一刀を見舞う。私などでは目で追うこともできない強烈な斬撃を、しかし二人の勇者は受け止めた。


「天にあまねく光の精霊、我が意に従いの者を撃ち抜け! 【光の矢ライトアロー】!」


 男の胸に白い光の矢が弾ける。一本、二本、三本と続けざまに浴びせられたそれは確かに肉を裂き、骨を砕いた。常人ならば立っていることもできない、それどころか即死してもおかしくないほどの負傷。だが男はそれに構わず左右の剣を舞わせて衰えることなく斬撃を繰り出す。


「そんな馬鹿な! 何なのコイツ!」


光の矢ライトアロー】の魔法を放ったアリスタさんも動揺を隠せない、ばかりかその顔が恐怖に歪む。視線の先では折れた胸骨を露出させたままわらう男……ではない、それは人ではないものに姿を変えていた。

 猛禽もうきんを思わせる頭部、全身を覆う赤褐色の鱗、細長い手足と尻尾、背中には四枚の羽、あれは……


「ペイルジャック!」


 複数の視線が私に集中する。しまった、と口を手で覆ったがもう遅い。


「何だお前は? 俺の名を知って生きている奴がいるのか?」




 ペイルジャック、魔軍将アーク・レムレス級の中でも特殊な存在だという。

 あの飲んだくれエブリウスさんに重傷を負わせ、神聖勇者セイクリッド黒の勇者アトムール、それから銀の乙女プラテースリージュの三人が揃ってようやくたおした恐るべき魔人。


 人族ファールスの勇者を二人まとめて押し返した魔人は頭上に一抱ひとかかえほどもある火球を出現させ、私に向けて放った。悲鳴を上げる間もなく炎に包まれかけた私の前に割り込む魔女、一撃で【魔術障壁マジックバリア】を破られたアリスタさんが熱風の中で苦痛のうめきを漏らす。


「ぼけっとしてんじゃないよ! 逃げなさい!」


 その声にようやく我に返る。アリスタさんの言う通りだ、ジェダさん達がいかにロッドベリー市が誇る勇者とはいえ容易に勝てるような相手ではない。私なんかがいたところで役に立つわけがない。

 でも。あの戦いを見ていた私にはわかる、この魔人はあの時の奴とは違う。二回りほど体が小さいし、力も魔力も数段劣る。それでも恐るべき妖魔には違いないけれど……




 魔人の双剣が地下のよどんだ空気を裂き、人間ファールスの身を削る。死力を尽くした勇者の剣が魔人を捉えてその身を刻む。打ち交わす四本の剣が赤く白く火花を散らし、障壁に弾けた光の矢が虹色の残滓ざんしとなって宙に消える。

 人と魔の戦いの形勢は次第に一つの方向を示しつつあった。苦痛と疲労に顔を歪める剣士、魔力を使い果たして石床に崩れ落ちる魔術師。あのとき人に味方した運命の女神の天秤は、今度は魔に傾いたのだろうか。


「……いや、私がいる」


 そう。誰も私など見ていない、この場で最も無力で取るに足らない存在だから。

 でもそんな私だからこそ劣勢をくつがえすことができる、その切欠きっかけがこの手の中にある。


 小賢こざかしい人族ファールスを双剣で突き放し、胸を膨らませて大きく息を吸い込む魔人ペイルジャック。

 ずっとこれを待っていた、逆転の一手を放つのは今しかない。掌の護符アミュレットを強く握り締めて私は親友の名前を呼んだ。


「リージュ、私に力を貸して!」


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