勇者のかたち(九)

 赤く大きな夕陽が、緩やかな丘が連なる放牧地の向こうに沈もうとしている。

 赤く黄色く色づいた木々がそれに照らし出された様は絵画のように美しいが、これから塗りたくられるであろう赤はそれらと似ても似つかないほど不吉な色に違いない。


 私達は放牧地の片隅に積み上げられた牧草の中に身を潜め、を待っていた。


 一辺二十メートルほどを囲む柵の出入口を一ヵ所だけ開けたままにして、その中央には羊の死骸。これがエクトール君が考えた罠、武力に頼ることになるから避けたいと言っていた『最後の手段』だ。


「本当に今日来るかな?」


「来るさ。仲間をたくさんられて、もう五日も家畜を食べていないんだ。必ず来るよ」


 出会ったばかりの頃は私に対して距離を測っていたようなエクトール君だけれど、最近は言葉遣いも砕けて感情の起伏を見せるようになってきた。これは距離が縮まったと思って良いのだろうか。


「エクトール君は凄いね。頭を使って戦うところなんて私の師匠みたい」


飲んだくれエブリウスさん、だっけ? 一度会ってみたいものだね、きっと実りのある話ができると思うよ」


 どうかな、腹の探り合いばかりで結局中身のある話はできないような気もするけれど。と可笑おかしくなって、変な笑い方をして眉をひそめられてしまった。




 半日間の旅を終えた太陽が斜面の向こうに姿を消した頃、果たしては来た。その数は十二。

 飛び跳ねるように地を駆ける黒い影は一切躊躇ためらうことなく柵の中に飛び込み、羊の死骸に群がった。獲物を巡って仲間同士で威嚇し合う鳴き声、ごりごりと骨をもむさぼ耳障みみざわりな音。その間に私達は身を隠していた布と牧草をはねのけ、出入口の扉を閉じてかんぬきをかけた。


「さあ、始めるよ!」


 景気良く声を上げたのは戦いを楽しむためじゃない、自分を鼓舞しなければ戦えないからだ。これから凶暴きわまる肉食獣の群れと武器を持って殺し合おうというのだ、全くもって正気ではいられない。


 軍靴から引き抜いた投剣ティレットを続けざまに放つ。エクトール君が唐辛子の粉末を詰めた袋を投げつける。羊の死骸の周りに真っ赤な煙が上がり、獣の悲鳴が連なった。

 こちらに向き直り、突進してくる肉食兎リルビットの手前に金属製の突起がついた撒菱スピーナをばら撒く。それを踏み抜いて苦痛のうめきを漏らした個体を正面から貫く。


「来い!」


 血濡れた小剣をひと振り、獣の死体を投げ捨てる。手品の種を出し尽くして有利な状況を作り出した、あとは己の研鑽けんさんが敵を上回っていることを祈るのみだ。




 人と獣の凄惨な殺し合いが始まった。肉食兎リルビットは高く跳躍して体当たりを浴びせ、足にかじりつき、喉元に喰らいつかんとする。

 木柵で背中を守りつつ、私は楕円盾オーバルシールドを備えた籠手で、エクトール君は廃材と革を組み合わせて作った盾でそれを受け止め、右手の小剣で柔らかい腹部を突き通す。獣の血の上に自分の血がしたたり、さらにその上から返り血が塗り重ねられていく。赤く染まる空の下で大地が朱に染まっていく。


 どれほどの時間が経ったか、紫色の空に星が瞬きはじめた頃。疲労のためか動きの鈍ったエクトール君を肉食兎リルビットの牙が捉え、首巻マフラーの布地をえぐって首筋にまで達した。幸いそれは皮一枚だけを削り取って宙に流れたが、あと僅かでも深かったらと肝が冷える。


「僕は大丈夫だ、相手に集中してくれ」


「そうは見えないよ、あとは私に任せて!」


 体の小さいエクトール君はやはり体力的な不利が大きいのか、呼吸を乱している上に流血も酷い。残る肉食兎リルビットはあと四匹、私は彼を背中にかばって小剣と籠手を構え直した。


 だが人喰いの獣は思っていた以上に狡猾こうかつだった。こちらの急所が鎧や布で守られていると悟った彼らは一斉に飛びかかり、防御が手薄な手足に喰らいついてきた。両すねと両肘で布地が裂け、えぐられた肉から新たな血が滴る。激痛と疲労に目がかすむ、血を流した死にかけの獲物を仕留めんと獣の目が光る。




 ……やっぱり私には才能が無かったのかな。勇者なんてもともと強くて立派な人がなるもので、私なんかが偶然なってしまったものだから牧場主のコムさんを死なせてしまった。このままではエクトール君も助からない、もっと強い人が来れば良かったんだ。私なんかが勇者になってしまったせいで、私なんかがここに来てしまったせいでたくさんの人達が不幸に……


「お姉ちゃん! お姉ちゃんは勇者様なんだろ! こんな奴らより強いんだろ!?」


 その声に顔を上げる。誰だろう、ここには私をお姉ちゃんと呼ぶ人なんていないはずだ。思い当たるのは……そうか、コムさんをお父さんと呼んでいたあの男の子か。あの子は恨んで良いはずの私を責めなかったばかりか、危険をかえりみずこんな所まで。


「そうだよ、お姉ちゃんは強いんだから! 絶対勝つからそこで見てなさい!」


 人と獣の血に濡れた草を踏みしめ、歯を食いしばる。血糊ちのりでぬめる小剣を握り直す。

 全身が焼けるように痛い、だからどうした。私は勇者なんだ、勇者というのは誰かの思いを背負って、誰かの命を背負って戦う人のことだ。だから何があっても諦めてはいけない、負けてはいけないんだ!


「負けて、たまるかああ———っ!!」


 小剣を両手で握り、力任せに振り下ろす。切り裂かれた仲間の血しぶきを飛び越えて首筋に喰らいつこうとする肉食兎リルビットの牙を額で受け止め、叩き落して腹を踏みつける。左腿に食いついた奴は食い込む牙をそのままに長い耳を掴み上げ、顔面に刃を突き入れる。

 もはやこれは獣と獣の戦い。最後に残ったひときわ大きな個体と私は互いにうなり声を上げ、牙をき出して向かい合った。肩の高さで切先を相手に向けて水平に構え、敵を見据える。こちらの気迫に相手がひるんだのがわかる。追い詰められた最後の肉食兎リルビットは苦し紛れに突進し高く跳躍、柄頭つかがしらまで血に濡れた小剣がそれを迎え撃つ———




 負傷したエクトール君を左肩で支え、ひときわ大きな肉食兎リルビットの死体を右手にぶら下げて。紫色に染まる空の下で足を引きずりゆっくりと歩を進める私の姿は、どんな怪異よりも不吉に見えたことだろう。街路を歩く私の前で村人が左右に分かれて道を開ける。


 ここに至ってようやく宿から出てきた行政府の調査員は、返り血と自らの血で真っ赤に染まったままの私を見て腰を抜かした。その足元に臓腑が飛び出た肉食兎リルビットの死体を投げ出して、あらん限りの大声で宣言する。


肉食兎リルビット殲滅、完了しました! ご確認をどうぞ!」




 乗合馬車の振動が傷に響く。せっかくの晩秋の風がさえぎられてしまう。やっぱり馬車は好きになれないなと思いつつ、遠くで手を振る小さな人影に応える。


 肉食兎リルビットは妖魔でも魔獣でもないただの害獣であり、多少の数を討伐したところで評価に影響するものではない。私とエクトール君は相変わらずロッドベリー市の勇者として不適格ということになるのだろう。


 村人が一人亡くなったことも今回の記録には残されない。コムさんには奥さんも子供もいた、友人もいた、ご両親も健在かもしれない、仕事の仲間だっていただろう。人が一人亡くなるというのはそれだけの悲しみを生むということだ。だがロッドベリー行政府では田舎村の人口が一人減った、ただそれだけの事として処理される。




「やめとけ、勇者なんてろくなもんじゃねえ」




 飲んだくれエブリウスさんの言葉を思い出す。彼はもしかして何度もこんな思いを重ねてきたのだろうか。勇者のり方に悩んで、無力感にさいなまれて、だから私に同じ思いをさせたくなくてあんな事を言ったのだろうか。


「ねえエクトール君、勇者なんてろくなもんじゃないと思う?」


「うん? まあそうだね、そう思うよ。でも……」


 彼は言葉を切って、馬車の窓から遠くを眺めた。すっかり小さくなった小さな人影はまだ手を振っている。


「僕らのしたことは無駄じゃなかった、そう思うよ」

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