勇者のかたち(九)
赤く大きな夕陽が、緩やかな丘が連なる放牧地の向こうに沈もうとしている。
赤く黄色く色づいた木々がそれに照らし出された様は絵画のように美しいが、これから塗りたくられるであろう赤はそれらと似ても似つかないほど不吉な色に違いない。
私達は放牧地の片隅に積み上げられた牧草の中に身を潜め、奴らを待っていた。
一辺二十
「本当に今日来るかな?」
「来るさ。仲間をたくさん
出会ったばかりの頃は私に対して距離を測っていたようなエクトール君だけれど、最近は言葉遣いも砕けて感情の起伏を見せるようになってきた。これは距離が縮まったと思って良いのだろうか。
「エクトール君は凄いね。頭を使って戦うところなんて私の師匠みたい」
「
どうかな、腹の探り合いばかりで結局中身のある話はできないような気もするけれど。と
半日間の旅を終えた太陽が斜面の向こうに姿を消した頃、果たして奴らは来た。その数は十二。
飛び跳ねるように地を駆ける黒い影は一切
「さあ、始めるよ!」
景気良く声を上げたのは戦いを楽しむためじゃない、自分を鼓舞しなければ戦えないからだ。これから凶暴きわまる肉食獣の群れと武器を持って殺し合おうというのだ、全くもって正気ではいられない。
軍靴から引き抜いた
こちらに向き直り、突進してくる
「来い!」
血濡れた小剣をひと振り、獣の死体を投げ捨てる。手品の種を出し尽くして有利な状況を作り出した、あとは己の
人と獣の凄惨な殺し合いが始まった。
木柵で背中を守りつつ、私は
どれほどの時間が経ったか、紫色の空に星が瞬きはじめた頃。疲労のためか動きの鈍ったエクトール君を
「僕は大丈夫だ、相手に集中してくれ」
「そうは見えないよ、あとは私に任せて!」
体の小さいエクトール君はやはり体力的な不利が大きいのか、呼吸を乱している上に流血も酷い。残る
だが人喰いの獣は思っていた以上に
……やっぱり私には才能が無かったのかな。勇者なんてもともと強くて立派な人がなるもので、私なんかが偶然なってしまったものだから牧場主のコムさんを死なせてしまった。このままではエクトール君も助からない、もっと強い人が来れば良かったんだ。私なんかが勇者になってしまったせいで、私なんかがここに来てしまったせいでたくさんの人達が不幸に……
「お姉ちゃん! お姉ちゃんは勇者様なんだろ! こんな奴らより強いんだろ!?」
その声に顔を上げる。誰だろう、ここには私をお姉ちゃんと呼ぶ人なんていないはずだ。思い当たるのは……そうか、コムさんをお父さんと呼んでいたあの男の子か。あの子は恨んで良いはずの私を責めなかったばかりか、危険を
「そうだよ、お姉ちゃんは強いんだから! 絶対勝つからそこで見てなさい!」
人と獣の血に濡れた草を踏みしめ、歯を食いしばる。
全身が焼けるように痛い、だからどうした。私は勇者なんだ、勇者というのは誰かの思いを背負って、誰かの命を背負って戦う人のことだ。だから何があっても諦めてはいけない、負けてはいけないんだ!
「負けて、たまるかああ———っ!!」
小剣を両手で握り、力任せに振り下ろす。切り裂かれた仲間の血しぶきを飛び越えて首筋に喰らいつこうとする
もはやこれは獣と獣の戦い。最後に残ったひときわ大きな個体と私は互いに
負傷したエクトール君を左肩で支え、ひときわ大きな
ここに至ってようやく宿から出てきた行政府の調査員は、返り血と自らの血で真っ赤に染まったままの私を見て腰を抜かした。その足元に臓腑が飛び出た
「
乗合馬車の振動が傷に響く。せっかくの晩秋の風が
村人が一人亡くなったことも今回の記録には残されない。コムさんには奥さんも子供もいた、友人もいた、ご両親も健在かもしれない、仕事の仲間だっていただろう。人が一人亡くなるというのはそれだけの悲しみを生むということだ。だがロッドベリー行政府では田舎村の人口が一人減った、ただそれだけの事として処理される。
「やめとけ、勇者なんてろくなもんじゃねえ」
「ねえエクトール君、勇者なんてろくなもんじゃないと思う?」
「うん? まあそうだね、そう思うよ。でも……」
彼は言葉を切って、馬車の窓から遠くを眺めた。すっかり小さくなった小さな人影はまだ手を振っている。
「僕らのしたことは無駄じゃなかった、そう思うよ」
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