こぼれ落ちたもの

 全くもう。リナちゃんってば、いくら何でもやりすぎだ。あの日は髪の毛に匂いが残って眠れなかったんだから。


 お野菜を詰め込んだ買い物袋から片手を離し、後ろ髪を前に持って来てくんくんと匂いをいでみる。さすがにもう匂いは残っていないけれど、あの背中の生温なまあたたかい感触はしばらく消えそうにない。


 全くもう、ともう一度苦笑いする。今日も農場のお手伝いで日銭を稼いでいたあの子は全然勇者らしくはないけれど、そんな称号や報酬などとは関係無しに誰かを助けることができる人だ。亜麻色の髪に良く似合う夕焼け色の瞳はいつも輝いて、自分の夢をまっすぐに見つめている。


 ちょっとよくわからない事をしでかす時もあるけれど、それさえもどこか人をきつける彼女をまぶしく思う。つまり私はリナちゃんを心から尊敬している、そして彼女が私を親友と呼んでくれたことをとても嬉しく思う。


 優しくて一生懸命なあの子はきっと立派な勇者様になる。私の魔法はきっと彼女の助けになるはずだ、いろんな場所に旅をして、多くの人を助けて、ずっと一緒に……




「うん……?」


 集合住宅の前に立派な馬車が停まっている。その横に立っている男の人が三人。彼らが着ている白地に金糸の刺繍ししゅうが入った軍服はピエニ神聖王国のものだ、こんな所に一体何の御用だろう。そう思いつつ玄関の扉を開けると、夢の中にさえ出て来ないような人物がそこにいた。


「リージュさんだね? ピエニ神聖王国のアリオスだ、突然すまないね」


 神聖勇者セイクリッド。至高の勇者、人類の希望とまで讃えられる人がなぜここに。頭を下げ、テーブルの向かいに腰を下ろしてもまだ現実の光景とは思えない。


「先日の戦いは見事だった。魔人ペイルジャックを倒せたのはきみの助力あっての事だ、感謝する」


「いえ……」


 緩やかに波打つ金色の頭髪、端正な顔立ち、彫刻のように鍛え上げられた身体、華麗な軍服。外見だけをとってもこの家には似つかわしくない人だ、どのような理由があってここを訪れたのだろう。


「さっそくだが本題に入ろう。我が王国の勇者となり、共に戦ってくれ」


「……私が、ですか?」


「そうだ。きみの勇気と力を私は高く評価する。聞けば幼い弟妹と共に貧しい暮らしをしているそうじゃないか、私のもとに来てくれれば厚く遇することを約束する」


「……いえ、私は……」


「何言ってるんだい!」


 口を挟んできたのは母だった。この声を聞くと私はどうしても目を伏せてしまう、身をすくめてしまう。幼い頃からの癖はいくつになっても抜けそうにない。


神聖勇者セイクリッド様に失礼なこと言ってんじゃないよ! お金はもうもらっちまったんだ、とっとと引っ越しの支度をしな!」


 そうだ、私にはいつも選択肢など無かった。父が突然消えたから働かなければならなかった、母がお酒におぼれるから弟妹の面倒を見なければならなかった。魔法学校も最後は休みがちになり、最後は成績も散々だった。

 今もそうだ。リナちゃんのおかげで借金を返したのはいいけれど、この人はまたで飲み歩くに違いない。そうなればまた借金漬けだ、今度ばかりはいくらリナちゃんだって呆れてしまうに違いない……


「……わかりました」




 馬車が動き出す。初めて乗る馬車にサリオもエルロンも大喜びだ。メルだけは事情を理解しているのか心配そうな目を向けてくる。大丈夫だよ、と抱き締めて窓の外に目を向ける。

 見慣れた町の景色が流れていく。雑踏の中に亜麻色のセミロングを見かけて身を乗り出したが、いつものあの子ではなかった。


「お姉ちゃん、どうしたの?」


「……ううん。なんでもない。なんでもないよ」


 サリオの心配そうな声にもしばらく顔を上げることができなかった。私がこんな顔を見せてしまったら、みんなが不安になってしまうだろうから。

 やがて気持ちを無理やり押さえつけて窓の外を見た時には、ロッドベリーの町はもう見えなくなっていた。




 白大理石に青い絨毯じゅうたんが映える謁見の間。純白に金の刺繍をあしらった外套ローブに身を包み、国王陛下から勇者の証である銀の首飾りを拝領した。居並ぶ文武百官からの拍手を受けて立ち上がり、後方に控えていた仲間達に迎えられる。


「ようこそ、リージュ・バレスタイン。ともに栄光の道を歩もう」


 右手には神聖勇者セイクリッド、人類の希望とまで称される至高の勇者の掌。左手には比類なき力を与えてくれる神託装具エリシオン。万雷の拍手と溢れる光に包まれて羨望と期待の眼差まなざしをこの身に受ける。

 母も、妹も、弟たちも、大きな家と綺麗な衣服を与えられて喜んでいた。陳腐な物語ならばめでたしめでたしと締めくくられるであろう、両手に抱えきれないほどの栄誉。


 ……それなのに。この胸に残るのは寂しさだけ。


 亜麻色の髪に夕陽色の瞳が良く似合う、私の親友。

 名誉やお金や国のためじゃなく、誰かのために泣いて人のために笑える、私の理想の勇者様。


 私が本当に欲しかったものは、この手からこぼれ落ちていった。




『突然いなくなってしまってごめんなさい。いろいろ事情があって、私はピエニ神聖王国の勇者として迎えられることになりました。あんなにお世話になったのに、弟や妹の面倒まで見てくれのに、友達になってくれたのに、お礼もお詫びもできなくてごめんなさい。いつかまた会えることを願っています』


 ふう、と溜息をつく。行政府の窓口でこの手紙を受け取り、差出人の名前を見てその場で封を開いてしまったのだ。


 何の前触れもなくリージュが姿を消したのは十日以上も前。近所の人に「立派な馬車が迎えに来て引っ越したらしい」と聞いて、何となく察してはいた。

 あの子らしいな、と思う。いくらわたしのおつむでもわかる、お金を積まれて母親が勝手に決めたのだろう。なのにあの子は一言も、誰のことも責めていない。本当に優しくて賢くて気遣いの上手な、私の自慢の親友だ。


 まだ重みの残る封筒を逆さにすると、掌に収まるほどの大きさの木札が転がり落ちた。魔法の仕組みを表すという古い時代の文字が丁寧に刻まれている。


『私の魔法を込めた護符アミュレットを同封します。本当に困ったときに使ってください。効果と合言葉キーワードは……』




 ◆


 ここまでお読みくださり、ありがとうございます。


 運命の女神の悪戯で引き裂かれてしまったリナちゃんとリージュですが、いずれまた何かに導かれるように何度も相見あいまみえます。それが必ずしも幸福な再会とは限らないのですが……二人のハッピーエンドだけはお約束します。

 引き続き『凡才勇者』リナちゃんを見守って頂けますよう、お願い致します。

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