大樹海の大討伐(六)

 足が痛むとか、呼吸が苦しいとか言っている暇は無い。傷の手当てをしている余裕も無い。血と汗と雨と泥を全身にまといつかせたまま木々を縫って走る。


 私に続く黒の勇者アトムールさんは全身を黒い金属鎧で固めているというのに、先程まで妖魔の群れと死闘を繰り広げていたというのに、いささかも疲労した様子が無い。『神聖勇者セイクリッド』アリオスさんと同じように、この人ならばあるいはと思わせる風格を確かに感じる。


 飲んだくれエブリウスさんは言った、「神聖勇者セイクリッド黒の勇者アトムールを連れて来い」と。あの魔人ペイルジャックという妖魔はこの人達でなければ勝てない相手ということだ。その敵を足止めしている飲んだくれエブリウスさんとリージュは無事だろうか……




 雨音に交じって撃剣の音が聞こえる、炸裂音に続いて爆風が届く。恐るべき妖魔との戦いは未だ続いているようだ。


「あそこです! お願いします!」


「わかった」


 短く答えた黒の勇者アトムールさんは迷いなく駆け出し、速度と質量を乗せた斬撃を見舞う。それを右手の剣で受け止めたペイルジャックの足下にはいくつもの人間ファールスが転がり、立っていたのは神聖勇者セイクリッドアリオスさんだけ。彼と同じ軍装の剣士さんも二人が泥の中に沈んでいる。


「来たか、『黒』。だがまだ足りぬ、なんじらの器を見せてみよ」


 妖魔がしゃべった!? それも私達の言葉を!? 魔軍将アーク・レムレス級の中には私達人間ファールスと意思の疎通が可能な者がいると聞いたことはあるけれど、声を聞いたのはこれが初めてだ。


「俺はお前など知らん。気安く呼ぶな」


「ふふふ、連れないことを言うな。案外とうつわを満たすのはお前かもしれぬぞ?」


 妖魔の言葉の意味はわからない。わからないけれど、この場に私がいたところで何もできないことは明らかだ。それよりも……




「リージュ! 飲んだくれエブリウスさん!」


「おう、遅かったじゃねえか」


「良かった、無事だったんですね!」


「無事じゃねえよ、馬鹿野郎」


 そう答える飲んだくれエブリウスさんの軍衣は大きく裂け、そこから覗く鎖帷子チェインメイルも半ば千切れていた。それに良く見ればいくつも裂傷と打撲傷を負っているようだ、左手がだらりと下がっているのは骨に深刻な損傷を受けたからだろうか。


「ごめんなさい、すぐ手当てしますから。リージュは、リージュはどこですか!?」


 その声に苦笑いする三十路男。どうやら片足も負傷しているのか、右手も剣を杖にしているため使えないようだ。彼が顎で示した先にリージュの姿を見つけて安堵あんどしたのだけれど……




 じれた木々のむこう、降りしきる雨の中。銀髪を濡らした魔術師は虹色の障壁で妖魔の火球を受け止め、手にした杖から純白の光の矢を放っていた。


 それは一枚の絵画のような、『神聖勇者セイクリッド』や『黒の勇者アトムール』に劣らぬ勇姿。『銀の乙女プラテース』とでも呼ぶべき新たな英雄の誕生を、私は呆然と見守るだけだった。


「おい、あのお嬢ちゃんは何者なにもんだ?」


「補佐……いえ、友達です。私の友達」


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