大樹海の大討伐(五)

 事あるごとに阿呆とか間抜けとか言われる私だけれど、これでも一応は元伝令兵クルソールだ。方向と距離の感覚には自信がある。

 難なく荷車の車列を見つけ、そこに神聖勇者セイクリッドの姿を見つけて安堵する。雄大な身体を覆う白銀の鎧、揃いの装飾を施された兜と盾、白で統一された軍装の従者達。この人であればあるいは、と思わせてくれる何かが確かにある。


伝令クルソール、です。魔軍将アーク・レムレス級の妖魔ペイルジャックと遭遇、大至急救援されたし。繰り返します、魔軍将アーク・レムレス級と遭遇、大至急救援されたし……」


魔軍将アーク・レムレス級だと!? どこだ!」


「北北東に九百メートル、交戦中……」


「伝令ご苦労。よし行くぞ!」


 私の言葉が途切れがちなのは、既にリージュのが切れているからだ。十キロを全力で駆けた後のように膝が震える、呼吸が乱れる、胸が苦しい。

 とうとう降りだした雨の中で神聖勇者セイクリッドの白い後姿を見送ったけれど、私の役目はまだ終わっていない。飲んだくれエブリウスさんは「神聖勇者セイクリッド黒の勇者アトムールを連れて来い」と言った。あの人の言う事には必ず意味がある、つまり片方だけでは不足ということだ。


黒の勇者アトムールさんはどこですか!? 誰か教えてください!」


 拠点を守るロッドベリー砦の兵士さんが指差した方向に、私は駆け出した。




 膝がきしむ、ももが上がらない、僅かな起伏さえ苦痛に耐えて声を上げなければ飛び越えられない。伝令兵クルソールどころではない、並みの兵士どころではない、同年代の女の子にも負けるかもしれない。森を駆ける私の速度はそれほど落ちていた。

 それもようやく報われる。重なり合う木々のむこう、黒衣の勇者が大剣を振るっていた。襲いかかる妖魔の群れの中でただ一人、右に左に剣を舞わせては歩を進める。その黒髪も同色の外套マントも朱に染まり、さながら一人で地獄絵図を描き出しているようだ。


黒の勇者アトムールさん!」


 ねじれた木の幹に手をつき、息も絶え絶えに呼びかける。だがその男が振り返ることはなく、代わりに向かってきたのは二匹の小鬼ゴブリンだった。緑色とも茶色ともつかぬ小柄な体躯だがその目は黄色く濁り、奇声とともにびた短剣を振りかざす姿は邪悪そのもの。


 私はこれでもロッドベリー市から認定を受けた勇者だ。軍で基礎訓練を積んだこともあれば、勇者飲んだくれエブリウスの補佐として二年間を過ごした。さすがに並みの兵士よりは戦える。でも……


「はあ、はっ……うっ!」


 短剣の刃が右腕をかすめた。小鬼ゴブリンの刺突をかわしそこなったのだ。妖魔は慎重に私を左右から挟み込む、最下級の魔兵レム級とはいえ彼らは人間ファールスの子供程度の知能と身体能力は有しているという。


「はっ……はっ……ふうっ……」


 呼吸がおさまらない。小剣を握る手に力が入らない。リージュのおまじない、【身体強化フィジカルエンハンス敏捷アジリティ】の反動が表れたまま全力で走ってきたからだ。全身を濡らすのが汗なのか、強くなりつつある雨なのかわからない。それが傷口にみて脈打つように痛む。でも。


「こんなところで……負けられない!」


 私の両足に飲んだくれエブリウスさんの、リージュの運命が懸かっているのだ。いつまでも魔兵レム級なんかに足止めされているわけにはいかない。


「ええい!」


 背後の敵に構わず正面の小鬼ゴブリンに突進、突き出された短剣を左手の籠手で受け流しての刺突。粗末な布をまとう胸に小剣を埋め込んで仕留めた、そこまでは良かった。だが崩れた姿勢を立て直そうとして膝に力が入らず、無様にも顔から泥の中に突っ込んでしまう。背中に殺気を感じて横に転がった直後、私が倒れていた水たまりに短剣が突き立てられた。


 泥の中から起き上がろうとしてまた蹴倒され、飛びかかってきた小鬼ゴブリンの顔が間近に迫る。黄色く濁った目に不潔な乱杭歯らんくいば、極めて不快な容貌だがそれどころではない。この妖魔が持つ短剣が私の胸に達すればそれで終わりだ、でも両手に力が入らない、こんなところで私は……




 不意に雨が顔を叩いた。覆いかぶさっていた小鬼ゴブリンが蹴り飛ばされたのだ。大木に叩きつけられ動かなくなった小鬼ゴブリンの代わりに私を見下ろしたのは黒一色の剣士。


「立て。お前も勇者だろう」


黒の勇者アトムールさん、お願いです。私の友達を、大切な人達を助けてください!」


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