大樹海の大討伐(一)

 稲穂がこうべを垂れ、麦の穂が黄金色に染まり、その先に蜻蛉とんぼが止まり、見上げた水色の空には薄い雲がたなびく。

 農作物の収穫を控えたこの季節、いよいよ『大討伐』が始まる。人と魔の境界であるロッドベリー砦を拠点として『ドゥーメーテイルの大樹海』に勇者の大軍を送り込み、妖魔をことごとく殲滅しようという作戦だ。




 このたびイスマール侯国各地から集まった勇者は八十七名。侯国が認定した勇者十四名の中から十名、その他は私と同じように国内の市町村や有力者が独自に認定した者ということになる。


 真新しい儀礼用の軍服を支給され、更衣室で濃紺色のそれに袖を通す。女性の勇者というのはやはり少ないらしく、ここで着替えているのは僅か五名。ものすごい肉体美だったり、鋼のように鍛え上げられた細身だったり、妙齢の魔術師風だったりするけれど、それぞれがかもし出す雰囲気オーラは只者ではない。親しげに会話しているところを見ると私以外の全員が顔見知りなのだろう、場違いを自覚した私は隅っこで目立たないように着替えを済ませた。




 ロッドベリー砦には軍事施設以外にも様々な建造物があり、中でもこの催事場は二階建てのひときわ大きな建物。軽く百人以上を収容できる大広間や劇場に加えて大小五つの多目的室、広い厨房などが設けられている。私がなぜそれを知っているかといえば、雑用係として調理に給仕に掃除にと走り回っていたからだ。


 その二階大広間にて今、壮行式の準備が進められている。赤い絨毯じゅうたんの上に配置されたいくつもの円卓、その間を給仕の女の子が忙しく立ち回っている。なんだか手伝いたくなって落ち着かないけれど、それはたぶん迷惑なことだ。


「よう、凡才勇者。景気はどうよ?」


「ぷっ……あはは、あっははははは! 誰ですかそれ!」


 後ろから懐かしい声がして振り返ったのだが、失礼ながらその顔を見た途端に笑い出してしまった。

 八方に乱れていたはずの頭髪を綺麗に撫でつけ、無精髭ぶしょうひげに覆われていたはずの顎は綺麗につるっつる。色せた軍服を着崩してうらぶれていた三十路みそじ男は、小綺麗な三十路みそじ男に姿を変えていた。


「てめえも同じようなもんじゃねえか。衣装に着られてんじゃねえ」


「お久しぶりです、飲んだくれエブリウスさん。どうしたんですかその格好は」


「こうじゃねえと参加させねえってリットリアがうるせえんだよ。せっかく無料タダで高ぇ酒飲めるってのによ」


「お似合いですよ。ぷっふふふふ」


「馬鹿みてえな笑い方してんじゃねえ。似合わねえことくらい俺だってわかってんだよ」


 軽くこめかみを小突かれた時、司会の方から着席するよう案内があった。席は決まっていないようなので飲んだくれエブリウスさんの隣に座り、数々の料理を前に待つことしばし。




 壮麗な音楽に合わせて国外からの勇者が入室してきた。白地に金色の飾りを施した軍服を着ているのはピエニ神聖王国、黒地に銀の刺繍をあしらった軍服は南方都市国家群、それ以外は他地域から。このように他国の勇者を歓待することには様々な意味があるらしい。


 このイスマール侯国は広大な穀倉地帯を有する農業国であり、穀物を始めとした食料を輸出して侯国の財政を大いにうるおしている。また周辺国にとってもこの穀物が頼みの綱であるため、安全に収穫を行って十分な収量を確保し、侯国に恩を売って食料を安価で手に入れることは国益にかなう。


 侯国としても他国の正規軍を領内に招く訳にはいかないが、民間人である『勇者』が少人数であれば防衛上の問題は薄い。周辺諸国としても自国の勇者の武を示すことで国威の発揚と発言権の強化を狙う……と様々な思惑が入り混じり、『大討伐』は年々その規模を増している。


 ……というのは全て、この場にいない勇者補佐リージュに教えてもらった知識だ。




ほまれ高き勇者の皆さん、イスマール侯国ロッドベリー砦へようこそ。このたびは……」


 おごそかな雰囲気の中でロッドベリー砦メルモーゼ司令官のお話が始まったのだけれど、なんだか難しい言葉を使っている上に話がとても長く、とうとう耐えられずに頭がかくんと落ちてしまった。

 慌てて周りを見渡したものだけれど、隣で飲んだくれエブリウスさんが堂々といびきをかいて眠っていたので安心した。じゃあいいか、と目を閉じてしまったのはたぶん師匠の教育が悪かったのだと思う。

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