失われた村の夢喰い(四)

 失われた村の小さな廃屋。奇怪な魔獣は極めて不快な音を立てて歯をすり鳴らし、口を一杯に開いて私達を威嚇する。

 このあまりに悲痛な鳴き声は何と表記したら良いのだろう、死に瀕した兎が渾身の恨みを込めて声を絞り出せばこうなるのだろうか。


 灰色熊の体に兎の頭部を無理矢理つけたような奇怪な姿、立ち上がると天井に届きそうなほどの大きさがある。こんな巨大な爪を振り下ろされたら、こんな恐ろしげな牙で食いつかれたら、愛用の籠手こてなど一撃でひしゃげてしまうだろう。


 だがそれは容赦なく振り下ろされた。天井から落ちてくるような爪から、せめて背中のリージュだけでも守ろうと左腕の籠手こてを掲げる。


「我が内なる生命の精霊、来たりて不可視の盾となれ!【物理障壁フィジカルバリア】!」


 リージュの声に合わせて白く輝く半球体が出現し、私は命を長らえた。だがその半球体には大きな爪痕が残され、二度、三度と振り下ろされる巨大な前脚を受けて粉々に砕け散った。


「も、もう一回【物理障壁フィジカルバリア】……」


 短く詠唱するリージュの額に汗が浮いている、おそらく多くの魔力を使って強い障壁を張っているのだろう。しかしそれは反撃する暇もなく叩き壊されてしまう。


 硝子ガラスが砕けるような音。三度目の【物理障壁フィジカルバリア】にも致命的な亀裂が走る、これでは勝ち目がない。一目散に逃げ出したいところだが相手は灰色熊の身体だ、すぐに追いつかれてしまうだろう。それに私だけならともかく、リージュは身軽に屋根の上に逃れたりはできない。

 どうする? 強くもなければ賢くもない、魔法も使えない私がどうやって勝つ? 大切な友達を助けられる?




「ねえ、あなたピノちゃんだよね!」


 障壁を掻きむしる前脚の動きが僅かに鈍ったような気がする。私はさっきまでリージュが夢の中でつぶやいていた断片的な言葉を頼りに、巨大な魔獣に呼びかけた。


「あなた、うさぎのぬいぐるみのピノちゃんだよね? 大事にしてくれたサヤちゃんが亡くなって悲しかったんだよね?」


 否定の意思を示すように両の前脚が振り上げられ、叩きつけられた。私の目の前で白い半球体が粉々に砕け散る。


「ううん、サヤちゃんは病気で亡くなったの。ピノちゃんが今まで守ってくれたんだね、偉かったね。でももう休ませてあげよう、このままじゃ可哀想だよ」


 前脚が半ば朽ちた床を掻きむしる、魔獣の口から悲しげな咆哮が上がる。それはやり場のない怒りを引きずるかのように長く長く尾を引いて、やがて消えた。


「今までお疲れさま。サヤちゃんと一緒に生まれ変わって、また守ってあげてね」


 ……消えていた。小さな家を満たしていた白いもやが、あれほどの存在感を放っていた巨大な魔獣が。床の上に茶色いうさぎのぬいぐるみだけを残して、全てが夢だったかのように。




 家に残されていたお母さんとサヤちゃん、それからぬいぐるみのピノちゃんを一緒に土に埋めた私達は、泥だらけの顔をそのままに立ち上がった。丘のむこうには秋の陽がもう沈もうとしている。


「リナちゃんはすごいね、夢喰いタピルスを説得しちゃうなんて」


「全部リージュの魔法のおかげだよ。私、力も頭も弱いからさ、誰かに頼るしかないんだよね」


「そうじゃないよ。何ていうか……リナちゃんはすごく立派な勇者様になるような気がする」


「立派な? 私がぁ?」


「そう。何人も勇者様を見てきたけど、みんな報酬や名誉が目的だった。でもリナちゃんは違う、心から誰かを助けてあげたいって思ってる。だから私も今日のあの子達も、みんなリナちゃんに救われたの」


「そ、そうかなぁ……だといいなぁ。えへへへへ」




 村に残されていた遺体を全て埋葬した私達はロッドベリー市に戻り、この件を行政府に報告した。

 だが「幽霊に導かれ、ぬいぐるみの思念から生まれた魔獣を討伐した」などという内容は妄言もうげんとして扱われ、記録に残されることもなければ追加報酬をもらえることもなかった。


 これがもし飲んだくれエブリウス師匠ならば証拠を持ち帰るなり、証人を連れて行くなりしたのだろう。やっぱり私が立派な勇者になるにはまだまだ時間がかかりそうだ。


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