凡才勇者と秀才補佐(五)

 イスマール侯国の領地であるロッドベリー市は侯爵様が任命した太守が治めており、その下に実務を行う行政府が置かれている。

 その業務は多岐に渡り、付近一帯の人口や農地の把握、それに伴う徴税、利害調整に裁判、果ては妖魔や魔獣に関する情報を受け付けるなど市民生活に欠かせない組織だ。


 白い土壁、黒い御影石みかげいしの屋根。市の中央で重厚感を漂わせる二階建ての庁舎には、常時二百人ほどの職員が勤めているという。




 ただ窓があるだけで、何の飾り気もない正方形の部屋。

 やはり飾り気のない机を挟んで向き合うのはリージュと私、それぞれの横に職員さんが一人ずつ。この行政府庁舎の一室で始まるのは『和解交渉』というものらしい。

 なんでも盗まれたお金を私が「いらないよ!」と言ってもそれで済むものではないらしく、それを証明する立会人と証拠書類、それから本人の署名が必要だそうだ。


「ではリナレスカさん、盗難に遭ったお金の返金は求めず、慰謝料も無しということでよろし……」


「はい!」


 言い終わらないうちに返事をして書類に署名サインをしてしまったので、職員さんに苦笑いされてしまった。私にとっては当たり前で面倒なだけだというのに。




 続いて被害者一人一人との和解交渉。リージュはいつか必ず返すためにと、お金を盗んだ相手と金額を全て記録していた。被害者は私以外に三人、被害総額は八〇〇万七四五〇ペタ。被害者本人が気づいていなかった分まで申告されたことに誰もが驚いていた。


 結局さほどの問題はなく被害者全員と和解交渉がまとまったのだけれど、これで全てが終わったわけではない。一年以内に全員にお金を完済して一人あたり五十万ペタの慰謝料を支払えば良し、支払えなければ改めて罪に問われるというのだ。


 これらの内容を記載した書類を確認し、迷いなく保証人の欄に署名した。これでもし支払いがとどこおれば私が代わりに借金を背負うことになる。当然だと思う、何の能も無い私がせめてそれくらいの覚悟がなくて誰を救えるというのか。


「リナちゃん、ありがとう。必ず全部返すから」


「うん! 頑張って一緒に返そうね!」


 まだ春とは言えない肌寒い夕暮れ。ようやく行政府から出て来たリージュお姉ちゃんに、寒風の中で身を寄せ合っていた三人の弟妹が駆け寄って来る。口々に無事を喜ぶその中に、あの母親はいなかった。




 一刻ほど後。私は半ば強引にリージュの家、あの崩れかけた集合住宅にお邪魔していた。ひび割れた壁、硝子ガラスではなく布が張られた窓、がたつくテーブル、不揃いの椅子、外から見るよりも一層粗末な部屋だ。


 リージュと一緒に野菜だけのシチューを作っているのは十二歳の次女メルちゃん、料理が得意なしっかり者。


 私が絵本を読み聞かせているのは九歳の長男サリオ君、本が大好きで旅に憧れているという。


 元気いっぱいに走り回っているのは七歳の次男エルロン君、ちょっとでも隙を見せると胸やお尻のあたりを触ってくる。




 やがてシチューが出来上がり、さあ楽しい夕食……という時に玄関で物音がして、皆が一斉に動きを止めた。あの・・母親が帰ってきたのだろう。


「うるさいよあんた達! そんな元気があるなら……」


「こんばんは! リナレスカといいます、リージュにはいつもお世話になってます! 夕食を作ったので一緒に食べましょう!」


 大きな声で、満面の笑顔で、有無を言わさず。これが私の小さな脳みそで必死に考えた作戦だった。

 このお母さんも家族以外の人がいれば、子供達を怒鳴りつけたり殴ったりはするまい。根本的な解決にはなっていないかもしれないけれど、少しでも安心できる時間を作ってあげたい。私も早くに両親を亡くしたから『みんなで一緒に温かい夕食』などというものはすっかり忘れてしまったけれど、きっとこんな感じだったのかなと思い出す。




「メルちゃんはお料理ができてすごいね。私、大雑把おおざっぱだからいつも違う味になっちゃうんだよね。今度お弁当作ってほしいなあ」


「サリオ君は何でもよく知ってるね。もう文字も読めるの? 物知りなのはリージュに似たのかな、今度図書館に行こうか」


「エルロン君は駆けっこが得意なの? 走るのが仕事だったから私もちょっと自信あるんだよ。負けないよ?」


 みんなに話しかける。返事が返ってこなくてもかまわない。悪い言葉は使わない。過去のことより未来のこと。

 この子達は今この時が辛いのだろう。でも息が詰まるような日々もいつか終わる、自分の力で羽ばたく時が来る、そんな未来が必ず来るのだと伝えたい。小さな家の外には果てしない世界が広がっているのだと教えてあげたい。


 葡萄酒を瓶のままあおるお母さんは小声でぶつぶつと何かつぶやいていたけれど、私の目論見もくろみ通り、誰かを怒鳴りつけたり殴ったりはしなかった。




「リナお姉ちゃん、また来てね!」


「うん! また来るよ、必ずね」



 子供達に手を振り返して夜道を歩く。黒い画布キャンバスの上で町の灯火と冬の星々がその光を競い合っている、すっかり遅くなってしまったようだ。


 迷惑だったかもしれない、余計な事だったかもしれない。でも私には黙っていることなどできなかった、新しい友達とその家族のために一生懸命考えて、いま自分が出来ることをするだけ。ただそれだけだ。

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