勇者リナレスカ・エブリウス(二)

 私達がこのロッドベリー砦に戻って来たのは、もちろん懐かしさのためではない。二年前に魔軍将アーク・レムレスを討たれて壊滅した魔軍モンストルが再び攻勢に出たというのだ。


 魔の領域とされる『ドゥーメーテイルの大樹海』との境には要所を塞ぐ形でいくつかの砦が築かれているが、山と森と川が入り組む複雑な地形だけに、少数の妖魔の侵入を完全に防ぐことはできない。今回も数十匹程度の妖魔が境界を越えて侵入したようだが、その後の動向を掴めずにいるという。

 これに対して防衛の中心的な役割を果たすロッドベリー砦は各町村の規模に応じた兵を駐屯させ、土嚢袋を積み上げた障壁や柵を作って妖魔の襲撃に備えている。


 もちろんこれは後方の町村にとって恐るべきしらせなのだけれど、師匠である『飲んだくれエブリウス』さんにとっては「金の匂いがする」ということらしい。




「おう、こっちに麦酒エールをくれ」


 そんな状況下にあってもやっぱり『飲んだくれエブリウス』は飲んだくれで、食堂の隅でお酒ばかり飲んでいる。酔っ払ったようには見えないけれど、こんな状態で出撃要請があったらどうするつもりなのだろう。


 そしてそれはすぐにやって来た。左右に副官と秘書を従え、軍靴を鳴らしてリットリア副司令が姿を現したのだ。

 その威圧感、硬質の美貌、この場の誰もが知る卓絶した実績。威に打たれた兵たちは姿勢を正し、もう軍属ではないはずの私も思わず直立して敬礼したほどだ。


「クルケ村に駐屯中のラムザ小隊から援軍要請だ。百匹程度の妖魔を撃退したものの被害甚大、至急増援を求むとの事。敵は小鬼ゴブリン豚鬼オークの混成部隊、これを魔軍長レムレス級が率いている。出られるか、飲んだくれエブリウス


「金とこっちの兵力は?」


「規定の報酬に加え、状況に応じた報奨金を約束しよう。防衛部隊は付近からかき集めても五十に届くまい。何人欲しい?」


「足の速ぇ奴を十人」


「わかった。よろしく頼む」


 こうして手短に打ち合わせと人選を済ませ、準備もそこそこに即刻出撃。


 ただ前回と違って、「飲んだくれエブリウス小隊出撃」と聞いて希望者が相次いだことには驚いた。二年前の魔軍将アーク・レムレス討伐に多大な貢献をした勇者を、この砦の兵士達はいつしか認めていたのだ。




 小走りに一昼夜を駆け通した飲んだくれエブリウス小隊十二名は、翌日の朝になってようやくクルケ村を見下ろす峠に達した。


 数度の休憩を挟んだだけで一気に五十キロメートルは移動しただろう。さすがに体力と脚力に自信のある選抜隊とはいえ疲労困憊こんぱいの様子、かく言う私も似たような有様だ。やっと村で休めると思ったものだが、隊長はこの山中で待機するという。


「火は焚くなよ、水と携帯食で腹を満たせ」


「うええええ……」


 変な声を出してにらまれたのは私で、軽く肩を叩いて慰めてくれたのはライトさんという若い兵士。長くロッドベリー砦に勤めていたおかげで顔見知りは少なくないし、珍しい女性兵士とあって目立ってもいたのだろう。


「リナ、よくここまでついて来たな。疲れたろ」


「そりゃあ疲れましたよ! うら若き乙女を何だと思ってるんですかね、あの人は」


「前から足は速かったよな。さすが元伝令兵クルソールだ」


「だからって普通、五十キロも走らせませんよねえ?」




 幸いなことに、魔軍モンストルが現れたのは十分に休息をとり夕刻になってからだった。百戸余りの小さな村に妖魔の群れが迫るのを眼下に臨んだ私達は隊長の命を待たずに立ち上がったものだが、村を喊声かんせいと土煙が包みこむ段階になっても肝心の号令はまだ下されなかった。


「あ、あの……」


「まだだ」


 私だけでなく小隊の皆がもどかしそうな顔をしている。それで説明不足を悟ったのか、隊長は面倒くさそうに口を開いた。


「守備隊の隊長はラムザだ。簡単にやられるタマじゃねえ」


 よく見ればその言葉の通り守備隊は木柵と防壁を巧みに使い、投石や連絡、物資の運搬などに村人の協力を得て魔軍モンストルを寄せ付けない。これならばそう簡単に破られることはないだろう……と眺めることしばし、やがて魔軍モンストルの後方に控えていた大きな影が動き出した。距離と薄暗さでよく見えないけれど、おそらく魔軍長レムレスとその一隊だろう。


「おい、伝令兵クルソール!」


「はい!」


 つい反射的に返事をしてしまい、すぐに後悔した。これで私の役割は決まってしまったのだ。


「奴らに伝令だ。『―――』ってな」


「復唱します! 『―――』!!」


「よし行け!」




 茂みを飛び出し、足元に小石を跳ね上げ、オレンジ色に染まる空に向かって山道を駆け下りる。


 規則的に息を吸い込み、吐き出し、軽く広げた掌を前後に振り、爪先で大地を蹴りつけ体を跳ね上げる。亜麻色のセミロングが風に流れ、その先から汗が散る。


 一刻を争う状況、私の足に人の命が懸かっているというのに不謹慎だとは思う。思うけれど、やっぱり、やっぱり私、この足で走るのが大好きだ!

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