アイサ村の模倣魔人(三)

 目の前には直剣を両手に構えた老人……の姿をした模倣魔人ドッペルゲンガー


 模倣魔人ドッペルゲンガーは人間の脳を食べることで姿と記憶を奪い、その者に成り代わるという恐ろしい妖魔だけれど、戦闘技術にけているわけじゃない。訓練を積んだ者なら苦もなく倒せる程度だという。


 だから仮にも軍隊で基礎訓練を積んだことがある私が苦戦してしまうのは、気持ちの問題。自分が傷つくのも相手を傷つけるのも怖くて、命のやり取りが恐ろしくて、致命的な間合いまで踏み込めないだけだ。


「ううっ……」


 老人が急にうずくまり、お腹を押さえてうめき声を上げた。

 お爺ちゃん大丈夫? とつい声をかけてしまいそうな状況だけれど、いくら私でもそこまでの阿呆あほうではない。むしろ弱々しい老人を装って相手を陥れようとするその魂胆と浅はかさに腹が立ったし、こんな卑怯な妖魔に喰われて姿と記憶を奪われた老人に同情を覚える。

 つまり……覚悟は決まった。私は怒っている、こいつは絶対許さない!


「私を……人を馬鹿にするなあっ!」


 自慢の足で思い切り地を蹴って間合いに飛び込む。突然の私の行動に驚いたのかやや反応が遅れた老人、だがその手にした剣が突き出される。刀身の短い小剣で正面から突き合えば勝ち目は無いけれど、そこまで馬鹿じゃない。

 横跳びに身をかわしてそのまま横を駆け抜け、さらに速度を上げて後ろに回り込む。眩滅法めくらめっぽうに振り回される剣に空を切らせて懐に潜り込み、その首筋に刃を滑らせた。半ば切断された頭がぐらりと傾き、それに引きずられるように倒れる胴体。やがてそれは人の形を失い、青白い軟質の物体に変わった。


「や……やった! やりましたよ!」


 これは勇者リナレスカの記念すべき初勝利かもしれない! と小躍りする私の横では、本物の勇者が本物の戦いを繰り広げていた。


「じゃあ黙ってそこで見とけ!」




 うなりを上げる大鎌サイスを長剣が受け止め、火花の雨を散らす。膂力りょりょくの差で撥ね飛ばされた人間ファールスに向けて数条の光の矢がはしる、三本までそれをかわしたものの四本目が胸の中央に弾けた……と見えたが、寸前で長剣のつばに阻まれて消滅した。


 攻撃魔法が消滅した? 世の中には様々な効果を付与された『神託装具エリシオン』というものがあると聞いたことがある。砦で魔術師がかけた魔法の鍵を解除したのは、もしかしてこの剣に付与された力なのだろうか。


 間髪入れず飛び込んだ男に大鎌サイスが振り下ろされるが、砕けた右膝のためか狙いが定まらない。逆に長剣が赤黒い皮膚を切り裂き鮮血が散る……




 これが本物の勇者の戦い。とても人間ファールスが勝てるようには見えない巨体、それも攻撃魔法まで操る妖魔にひるむことなく挑み、練達の技で確実にその生命力を削っていく。

 でも、もしあの大鎌サイスが直撃したら。僅かでも受けそこなって怪我を負ってしまったら。魔法で動きを封じられてしまったら。その瞬間に勝敗はひっくり返ってしまう。そんな戦いにあの人は挑んでいる。何とかしなければ、おつむが弱くて役立たずの私でもできることがきっとあるはず……


「ええい!」


 手近の石を拾い上げ、思い切り投げつけた。それは狙い違わず下位悪魔レッサーデーモンの頭に命中し、跳ね返った……ただそれだけ。

 それはそうだ。こんなもので負傷ダメージを与えられるような相手ではないし、強敵を目の前にして「何すんのさ! 痛いじゃない!」なんて振り返るのは私くらいのものだ。そんなしょうもない事を考えていたら、頭上から落ちて来た大鎌サイスが目の前の地面に突き刺さった!


「ひえええええ!」


「黙って見とけって言ったろ!」


 やっぱりやめとけば良かった! 一歩、いや半歩間違えば勇者リナレスカの冒険はここで終わってしまっていた。




 ……私が阿呆みたいに口を半開きにして見守る中、やがて決着はついた。

 巧妙な作戦で足裏と膝を傷つけて機動力を奪った勇者は最後まで優勢を譲らず、時間と少々の手傷を必要としたものの、見事に下位悪魔レッサーデーモンを討ち果たしたのだ。


「ったく、余計な真似しやがって」


「ごめんなさい……」


 だが軍の教本マニュアル通りに全身の負傷箇所を確認、怪我が酷い順に消毒を施して軟膏を塗り包帯を巻き終えると、「やるじゃねえか」と初めて褒められた。




 初陣ういじんを飾ったというには少々、いやかなり情けないけれど、ひとまずこうして私は生き残った。

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