アイサ村の模倣魔人(二)

 村はずれの森に入っていく老女を追って、私達も森の中に足を踏み入れる。


 その老女は腰が曲がっている割にやけに足が速く、倒木や窪地に阻まれているはずの獣道を小走りで危なげなく駆け抜けていく。おまけにほとんど後ろを振り返ることもない、確かに彼らは私達ほどの知性を持ってはいないようだ。


「ご苦労。っていいぞ」


 やがて木々の向こうに古い狩猟小屋を見つけると、飲んだくれエブリウスさんは音もなく老女に近づいてその首をねた。

 草の上に転がるのっぺりとした白い頭部、老女の衣服を着た軟質の身体。やはりこの人も模倣魔人ドッペルゲンガーだった。


 ここまで来ると私のおつむでもわかる。村の中央に模倣魔人ドッペルゲンガーの首を並べさせたのは、この老女を使って黒幕を探るため。そしてこの狩猟小屋がその拠点だ。




下位悪魔レッサーデーモンが一匹と模倣魔人ドッペルゲンガーが二匹だ。お前も手伝え」


 中をうかがっていた飲んだくれエブリウスさんが戻ってきてそう告げた。偵察には軽率で迂闊うかつな私が一緒ではかえって危ないと考えたのか、待機を命じられていたのだ。


「うええええ……」


「それは拒否か? 承諾か? はっきりしろ」


「わかりましたぁ……」


 下位悪魔レッサーデーモンといえば、図鑑なら挿絵付きで『熟練の魔術師や騎士でも十分な準備なしに挑むべきではない』と書かれるような存在だ。その強さも知性も、魔軍長レムレス級妖魔の中でも上位に入るだろう。

 この人が十分な準備をしていないとは思えない。でもたった二人で、それも大して役に立たない私と一緒で何とかできるような相手なのだろうか。だがそんな私の思いをよそに淡々と準備を進める姿を見て、やるしかないと覚悟を決めた。




 やがて小屋が黒煙に包まれた。ぱちぱちと爆ぜる音、赤く黄色く揺らめく炎。これほど火の回りが早いのは朽木くちきに油を染み込ませたからで、やたらと煙が多いのは油に松脂まつやにを混ぜてあるからだそうだ。


 激しい物音がして、まず飛び出してきたのは模倣魔人ドッペルゲンガー飲んだくれエブリウスさんが投げつけた短剣がその喉元を捉えて一撃で仕留めたというのに、舌打ちの音が聞こえたのは目的の獲物ではなかったからだろう。


 そしてその獲物、下位悪魔レッサーデーモンが姿を現した。山羊やぎのような頭にねじれた角、たくましい両腕に握られた大鎌サイス、赤黒い巨大な体躯、図鑑の通りだ。

 思っていたのと違ったのはその大きさ。中背の飲んだくれエブリウスさんよりも頭一つ以上大きい上に、肩幅も厚みも全然違う。こんな相手とまともに戦えるはずがない!

 ……のだけれど、この人にはまともに戦うつもりなど無かったようだ。入口付近に撒かれた鉄製の突起物を踏みつけ、激痛でよろめいたところに長剣で痛烈な一撃。膝口の骨を砕いたようだ。


「おい。一匹行ったぞ、逃すなよ」


「うええええっ!?」


 声にならないうめきを上げる下位悪魔レッサーデーモンの陰から模倣魔人ドッペルゲンガーが飛び出し、突起物を踏みつけてよろめきながらも私の方に転がってきた。


 老年男性の姿をしているけれど、私に向き直り剣を抜く動作は老人のそれじゃない。どこを見ているのかわからない目、緩やかに開かれた口、模倣魔人ドッペルゲンガーと疑ってしまえば確かにそう感じ取れる……かもしれない。


「私でもやれるかな……」


 実戦経験が無いわけじゃない。乱戦の中で豚鬼オークと斬り合ったこともあるし、偵察任務の際に小鬼ゴブリンという小型の妖魔と遭遇して剣を交えたこともある。

 でも、そのどちらも相手に手傷を負わせることはできなかった。臆病者同士が威嚇し合って軽く剣先を合わせ、互いに逃げ出しただけだ。


 今はどうだろう? 目の前の模倣魔人ドッペルゲンガーは突起物を踏んだせいで足裏が傷ついている、衣服が焼け焦げて軽い火傷も負っている。戦い慣れていないのか、剣を持つ手だって覚束おぼつかない。


「ううん、やってやる! 私は勇者になるんだから!」


 右手に小剣を握り締め、下腹に力を込め、硬い地面を蹴って間合いを詰める。自然に気合の声が漏れる。


「やああっ!」


 甲高い金属音が一度、二度、三度。ただそれだけで私は大汗をかいて呼吸を乱してしまった。


 だめだ、腰が引けちゃってる。勇者になるどころじゃない、剣術の基礎を教えてくれたジョン小隊長が苦笑いして両手を広げる水準レベルだ。

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